第16話

 村上君と加藤君の喧嘩という一騒動があった球技大会だったが、当日は滞りなく始まって滞りなく終わった。

 私たちのクラスはどの競技もそこそこ勝ち、最後には三年生に負けていた。

 私はバレーで参加してはいたが基本的には交代要員だった。メインで試合に出る子たちは決まっていて、応援と審判を体育が嫌いな子などとローテーションしながら最低限の参加をした。

 私は飛んでくるボールすら怖いというほど球技が苦手なわけではないけれど、さして運動神経が良いわけでもない。足を引っぱって、頑張ってる子たちに睨まれるのは面倒だったのである程度は精一杯頑張って動いた。

 村上君は一回戦で負けていた。わざとじゃないかと私は疑っている。

 加藤君が見に行く前に負けてしまったようで、怒られている姿を遠目に見かけた。あれ以来二人は対等に言い合っていることが多い。前よりもずっと友達らしく見える。

 球技大会が行われたのは金曜日だったので、私は帰りのホームルームが終わるとすぐに教室を出た。

 クラスメイトは打ち上げだのなんだのと教室で集まっていたが私が誘われることはない。それに約束というほどのことではないが、水曜と金曜日に村上君は必ず夕飯を食べにやって来る。

 内容に文句をつけることはないが、彼の食事姿を眺めていると、案外何が好きで何が嫌いなのかが分かりやすくて面白かった。表情で何となく伝わるのだ。

 面倒なので楽なメニューに逃げたいが、彼が嫌いなもの以外はすでにレパートリーがつきていた。

 わざわざ彼が嫌いなものを出すのも意地が悪いし、どうしたものかとスーパーで悩んでいると、素麺が安売りされていた。

 安いは正義だ。まだ食べていなかったしちょうどいい。作るの楽だし。楽さも正義だ。よし、決まり。

 早々に決まったことに機嫌を良くし、軽快に帰路につく。

 玄関を開け家に入ると、夏特有のむわっとした空気が私を迎える。エアコンをつけ、冷蔵庫にスーパーで購入した品物をしまった。

 全部しまい終えると、麦茶を取り出しグラスに注ぐ。カランと氷が鳴る。

 太陽に熱せられた身体に冷えた麦茶が行き渡る。

 麦茶を家で作るようになると夏を感じる。風鈴は馴染みがない、ラジオ体操は苦手だった。

 カルピスよりも私は麦茶が好きだった。

 夏はもう始まっている、来週末にはもう夏休みだ。

 来年は受験が控えているから、皆今年の夏休みを目一杯楽しもうと浮き足立っている。それを尻目に私は問題集を解いていた。

 誰にも頼まれていなくても。誰にも期待されていなくても。

 叶えたいことが、ある。

 叶えることで守りたいものがある。

 誰のためでもなくこれは私のエゴだから弱音は吐けない。エゴだけど私にとって何よりも大切なものだから止まることは出来ない。進む以外に道はない。

 一杯分の麦茶を飲み干すと、陽気なメロディが突然部屋に響いた。

 滅多に鳴らない私の携帯が鳴っていた。

 グラスに付いた水滴で濡れた手を拭いてから、鞄から携帯を取り出す。

 母からだろうか? まっさきにそう考えた。

 例えば荷物が届くとか、何かしら伝えわすれていたことでもあったのだろうか、と。

 当然あるべき名前を予想して携帯の画面を確認する。けれど表示されていた名前は母ではなかった。

 ――姉だ。

 携帯を一度取り落とす。慌てて拾い上げ、メロディに急かされるようにして携帯を操作した。

『やっと出た。久しぶり、元気してた?』

 蝉時雨が、ひどく煩い。

 窓を閉めているはずなのに、つんざくような鳴き声が鮮明に耳に飛び込んでくる。

『紗智? 聞こえてる?』

「あ……うん。聞こえてる」

 クーラーが効いているはずなのに額から汗が流れる。

『夏休み帰らないからってお母さんに言っておいてほしいんだけど』

「直接言えばいいのに」

『嫌、例え電話でもあの人と話したくない』

「…………わかった」

『紗智も……早く逃げ出せるといいね』

 私を思いやっての言葉だというのが伝わる。姉は心の底からそう思っている。

 だけど、私は。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る