第7話 局長の手紙


少し前のこと。


局内にある食堂で、弑流しいなと彼の先輩は昼食休憩を取っていた。弑流の左腕からはもう包帯が外されているが、傷跡は未だに生々しく残っている。

あの事件の後、弑流は部署内でちょっとした有名人になっていた。ただ、『初日から遺体を発見した上に切りつけられるなんて』という哀れみの視線を含んだものであるが。自分の所じゃなくて良かったと胸を撫で下ろした新入局員とその先輩は多くいたことだろう。

その時のことを思い出し、自分の運のなさと、それ故に発見できた遺体のことを思い返して苦笑いを浮かべる。


そんな弑流には気付かずに無言のまま食べ進める先輩局員は、急に何か思い出したように鞄を漁り始めた。


「そういえば、はい、これ。部長から渡せって言われてたんだった」


そう言って先輩局員が渡してきたのは、一枚の封筒だった。裏にも表にも宛名が書かれておらず、封がしっかりしてある。


「何ですか? これ」

「さあな。俺宛じゃないから勝手に開けるわけにもいかない。わざわざ封筒に入れるくらいだ、他人に見られたくない内容なんだろう」


それもそうか。弑流は納得して一度席を立つ。食堂は人が多い。念のため一人になれる場所で開封しようと考えたのだ。

結局トイレの個室に収まり、便座の蓋の上に座って封を開ける。中には一枚の便箋が折りたたまれて入っており、そこにはこう書かれてあった。



†・・・†・・・†


冷泉れいぜい 弑流しいな



改めまして、入局おめでとうございます。

このような目出度めでたい日に、不慮の事態で危険に晒してしまい、本当に申し訳ございませんでした。

捜査部の貴殿を管轄外の事件に巻き込んでしまったことは、わたくしとしても大変遺憾であります。今後このようなことがないよう、一層励んでまいります。


さて、ここからが本題なのですが、少々報告したいことがございます。

本日の貴殿の仕事はあらかじめ少なくしてありますので、仕事が終わり次第、東極国立中央病院と当局の中間にある小さな施設に向かってください。何の変哲も特徴もない、白壁の建物です。


図々しいお願いであることは百も承知ですが、どうぞよろしくお願いいたします。


追伸

この手紙は燃やすか水に流して処分してください。


局長 蘭童らんどう キョウカ


†・・・†・・・†




「きょ、局長!?」


思わず声を上げてしまい、慌てて口を押さえて周囲を確認する。幸いトイレには誰もいないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

それにしても、局長から手紙を渡されるとは。直筆ではなく印刷された物なので本人が書いた訳ではないかもしれないが、名前の横の押印は紛れもなく局長のものだ。誰かが勝手に局長を騙ってこんなふみを送ろうものなら、すぐ突き止められて牢屋行きだろう。

そのふみを燃やさなければならないほど重要な話なのだろうか。いや、局長からの手紙である時点で重要ではあるのだが。

心当たりがない訳ではないが、その話だと断言する根拠もない。何かと言えば、昨日のあの事件である。それ絡みであれば、犯人が捕まったか何か進展があったのだろう。当事者の弑流に知らせようとしているのは不自然ではない。しかし、ならば何故先輩局員には知らせないのだろうかという疑問が残る。

ともかく行ってみなければ分からない。弑流は手紙を細かく千切ると便器の中に落として流した。トイレットペーパー以外を流すのは気が引けたが、局内で火を起こす訳にはいかないので仕方ない。


局長の計らいで午後には仕事が終わったので、弑流は早速指定の施設に向かった。

今いる中央区は東極の主要施設が集まっており、警察局に併設する形で国立中央病院と審議場しんぎじょう、さらに近辺には国会議事堂がある。国立中央病院は国内で最大級の病院で、各地から全ての分野の優秀な医者が集まっているため、どの病気にかかったとしても診て貰うことが出来る。審議場は所謂いわゆる裁判所だが、この国においては検察官や弁護士はおらず、申請書を出せば意見を持つ全ての国民が審議に参加出来る。また、死刑制度はない。国会議事堂では警察局長、審議長、各区長、国立病院長が集まって国の方針を決めている。


弑流はそれらの建物の中から国立中央病院を見つけてその方向に歩を進めた。手紙では警察局と病院の間に目的地があるとのことだったが、果たしてそれはそこにあった。建物と建物の繋ぎ目に、不自然にただ白いだけの場所が存在した。窓はあるが磨りガラスになっており中を窺い知ることは出来ない。そして扉は付いていなかった。


(どうやって入る……?)


国立中央病院の正面出入り口から回って入らなければならないのだろうか。どういった施設なのか分からないが、あまりに不便ではないだろうか。そう思っていると。


「あ、もしかして冷泉れいぜい様ですか?」


後ろからそう声をかけられた。驚いてそちらを見ると、そこには細身で背の高い男が立っていた。服装からして病院の関係者だろうが、顔には布がかけられており人相や表情は窺えない。話し方から悪い人間ではなさそうだが、警戒心を引き上げながら聞き返す。


「あ、はい、そうですけど……」


どちら様ですか。そう聞く前に相手が教えてくれた。


「私はイル・レヴァンと申します。警察局長の蘭童らんどう様から、ご案内するように仰せつかった者です。この建物はその特殊性から一般人の立ち入りは禁止となっておりますし、入り口が分かりにくいですので」


レヴァンは丁寧にお辞儀をすると、自分に付いてくるように促した。怪しさはかなりあるが、局長の名前を出している辺り付いていって問題ないだろう。それに、入り口が分からなくてちょうど困っていたところだ。案内してくれるのであれば助かる。弑流はそう判断し、大人しく後を追った。


「このような出で立ちで申し訳ありません。顔に少々傷がありまして。醜いのでこうして隠しているのです。どうかご容赦ください」


病院に勤める者が時折被っている白い帽子から垂れる布は、レヴァンの耳付近までしっかりと覆っており、その横顔さえ盗み見ることは出来ない。得られる情報は帽子からはみ出した髪が灰色であることくらいだった。


「いえ、気にしていません。案内していただいてありがとうございます」

「いえいえ」


レヴァンは少し笑うと、こちらですとただの白い壁に向かっていき、ポケットからカードキーを出して病院に近い方の壁に当てた。ピ、と簡素な電子音がして壁の一部が奥に開く。まるで隠し扉だ。中に入ると病院特有の消毒液の匂いがした。一応ここも病院なのだろうか。

よく分からない施設に関して疑問に思いながら入り口から左手へ進むと、もう一つ扉があった。そこは普通の取っ手が付いた扉で、鍵も掛かっていなかった。レヴァンが扉を押し開ける。


「おや、来たね」


にこやかに出迎えたのは、レヴァンと同じ髪色を持つ男だった。色素の薄い白い肌と灰色の髪の中で、エメラルドグリーンの瞳がよく映えている。左目の下に二つ並んだホクロがあり、一目見たら覚えられそうだ。白衣を着ている辺り、やはり医者なのだろう。

室内は病院の診察室、若しくは学校の保健室といった感じでデスクとパソコンがあり、奥には立派なベッドが二つ並んでいた。外観ではもう少し奥行きがあった気がしたが、物が置いてあるせいかそこまで広く感じない。


「初めまして。君が冷泉弑流れいぜいしいな君かな? 僕はイル・クローフィ。一応医者をやっていて、そこのレヴァンは息子なんだ。よろしくね」


笑顔で気さくに手を振るクローフィ。弑流は返事をして小さく会釈した。


「君を呼んだのは他でもなくのことでね。何でも彼女と接敵したらしいじゃないか。そのことについて詳しく聞きたいし、こちらから言いたいこともいくつかあるからね」

「……彼女?」

「そう、彼女」


クローフィは弑流が疑問符を浮かべたことに対して首を傾げると、身を翻して後ろのベッドへと向かった。ベッドごとに付いているレースカーテンをそっと開け、そこを指さして言う。


「ほら、彼女だよ?」


ベッドに座っていたのは、初日に弑流を襲った小柄な人物だった。上半身を起こして下半身には布団を掛けたその人は、「ああ、あんたか」とでも言いたげな顔で弑流の顔を見ている。


「え、え……この子、女の子なんですか?」


ちゃんと抑えたレヴァンと違って弑流はぽんと口にしてしまい、それから慌てて口を押さえる。対する相手は特に気にした様子はなく肩をすくめた。


「? そうだよ。まあ、この子達の性別はあってないようなものだけれど」


可愛らしい少年、または格好いい少女に見えるその人を、クローフィは少女だと断言した。塩と砂糖を舐めてどちらがどちらか言い当てる時のような態度だった。ベッドの上の人物が否定しない辺り、本当に少女なのだろう。

こんな小柄な、しかも少女に押し倒されたのか。その事実を前に、多少なりともあった弑流の自尊心が儚く砕け散る。警察局に入ったことで人を守れる立場になれたと舞い上がっていた矢先にこれだ。では少年だったら許せたのかと言われるとそれはまた違うが、少女に負けるよりはまだ傷は浅く済んだだろう。

ショックを受けた弑流だったが、そういえば何故彼女がここにいるのかという疑問が浮上してきたために、そのショックは深く残ることはなく流されていった。何の拘束もされずにいるということは攻撃の意思はないということだし、現に敵意は感じられない。薄いとは言え容疑者ではあるはずなのだが。

訝しげに彼女を見ていると、彼女は何か察したのか軽く布団を捲って足を見せた。両足に包帯が巻かれ、歩けるかどうかも怪しい。先輩局員が付けた傷だけではなさそうだ。何かあって怪我をし、ここに連れて来られたということか。現場部が追跡すると言っていたので彼らかもしれない。

納得している弑流を尻目に、クローフィは少女と話し始めた。


「じゃあ、彼も来たことだし話の続きをしようか」


クローフィはそこにあった椅子に座り、彼女の方をちらりと見る。彼女は無言で肯定した。

弑流が来る前からこうして話していたのだろう。弑流が自分はどうするべきかと困っていると、レヴァンがデスクの方から回転椅子を持ってきて座らせてくれた。高級レストランの給仕のように、弑流が座るタイミングに合わせて椅子を押して丁度良い位置にしてくれる。小さく礼を言うと「いえいえ」と首を振り、そのレヴァンは立ったままメモを取る姿勢になった。いちいち所作が流麗で、その丁寧で気遣い上手な物腰からは妙に気品を感じ、彼がどこかの貴族か何かではないかと連想させる。

その点クローフィは、物腰は柔らかいが気品などと言った繊細なものは感じ取れず、天才にありがちな底の見えなさを持っている。顔は見えないので何とも言えないが、あまり似た親子ではないらしい。

互いに簡単な自己紹介を済ませて、少女の名前がリンであることを知った。燐は弑流の名前を聞いて首を傾げたが、特に何も言わずに弑流が局員であることなどを聞いて咀嚼していた。大方、変わった名前だとでも思ったのだろう。

燐は弑流の左腕をチラリと見て、傷が痛むかどうか聞いてきた。

傷口が綺麗だったことやその浅さから現在は痛まない。傷の治りも早いだろう。そのことを伝えると、少しほっとしたようだ。殺すつもりはなく、脅そうとしただけだったと謝られた。

あの瞬間は死を感じて肝が冷えたが、その後もっと肝が冷えることがあったために、正直彼女をそこまで恨めなかった。気にしていないとは言わないが、許す旨を伝えた。

二人の会話が終わるのを待って、クローフィが口を開く。


「弑流くん、君は燐ちゃんが人間ではないことは分かっているよね」

「あ……はい。目の前で変身というか、狼的なものになったのでそう思わざるを得ないかなと。とても信じられませんが」

「うんうん。では、じゃあ何かという話になるんだけどね」

「はい」

「僕らは彼ら彼女らのことを『式神しきがみ』と呼んでいる」


今まで20年あまり生きてきて、聞いたこともない名前だった。その式神とやらは彼女一人ではないだろうからどこかでニュースになっていてもおかしくはないのだが。


「……式神、ですか?」

「うん。……それでね、ここから先は、聞いたら後戻り出来ないけれど……それでも聞くかい?」

「えっ。それはどういうことですか?」

「彼らは人並み外れた力を持っている。そんな種族がこの国のあちこちにいるとなったら、国民に無用な心労を与えかねない。だからこの話や彼らの存在は機密事項なんだ。君やその上司のように”見てしまった”人には二つの対応が取られる。一つは見たこと以上の情報は与えられないまま口止めされ、そして二つ目は今みたいに全て説明する。後者はまず今の部署には戻れないと思った方がいい。後戻り出来ないというのはそういうことさ」


人ではない何かが何処かに潜んでいる。そういったいつ自分が巻き込まれるか分からない恐怖は人を四六時中不安にさせる。同じ人間である殺人犯などが潜んでいてもそうなるのだ、それ以上となると心労は相当なものになるだろう。つまりそれを報道するということは国民にストレスを与え続けることになるのだ。国としても不利益にしかならない。

クローフィは弑流に、その安寧を棄てる覚悟があるのか、と聞いているのだ。


「一つ、いいですか?」

「なんだい?」

「捜査部には戻れないのなら、何処に行くことになるのでしょうか」

「ああ、気になるよね。でも残念ながら今は答えられない。局長が決めることだからね」


手を上げてした質問に、クローフィは首を横に振りながら答えた。出来れば捜査部のままが良かったが、それが許されないのであれば心づもりだけでもしておきたかったのだが。

話を聞いてしまえば燐のことも、式神とやらのことも、何故あそこにいたのかも聞くことが出来るだろう。だが、代わりに今の部署と日常、そして安寧を棄てることになる。

知識と安寧を天秤にかけた時、弑流が選んだのは前者だった。彼の正義感は少しの不安分子も許さなかった。

昨日見た遺体。脳裏に焼き付いて離れないあの光景が、今も何処かで起こっているかもしれない。そう考えるといてもたってもいられなかった。どういう殺され方をするか知っていながら、知らない振りをして逃げるのはまっぴらだった。


「聞かせてください」


正面からそう言った弑流をクローフィはしっかりと見つめ返して、それからほっとしたように頬を緩ませた。


「いやー、そう言ってくれて良かったよ。実のところ式神の名前を聞いた時点で、いやここに来た時点で君に拒否権とかなかったんだよね」


心底嬉しそうに、そして爽やかにそう言ってのけるクローフィ。


「……え?」


唖然とする弑流の前で、彼はよかったよかったと言いながら弑流の肩を叩く。かなり悩んで結末を出した弑流からすればとんだ茶番だ。


「それじゃあ、もし断っていたら……?」

「あはは、知らない方が良いこともあるよ」


ケラケラと笑っているが、全く笑い事ではなさそうな不穏な返事だった。この医者からは時折影がちらつくので、不用意なことを言うと何をされるか分からない怖さがある。もはや医者ではない。


「さて、了承も得られたことだし、続きを話そう。……まず式神の定義からだけど、”人が使役しえき出来る、神のような力を持つもの”っていう意味なんだ。元々は『使役神しえきがみ』と呼ばれていたようだけど、言葉の伝来に付きものの訛りとかでいつしか『式神』になったそうだ。昔とある一族が、使役していた紙人形をそう呼んだからという説もある。どれが本当かは分からないけれど」

「神のような力……って、あの変身の術みたいな奴ですか?」

「まあ、それも間違ってはいないよ。式神はその変身の術――僕らが”うつし身”と呼んでいるものに加えて、”仙術せんじゅつ”と呼んでいるものを持っている。仙術は所謂いわゆる異能って奴だね」


異能と言うと、バトル漫画で良くある超人的な力のことだろうか。


「例えば、火を出したり水を出したり凍らせたり……?」

「そうだね。相手を攻撃するだけじゃなくて防御型の個体もいるけれど、とにかく人知を越えたもののことかな。あっ、そういえば燐ちゃんはどう? 仙術持ってるかい?」


クローフィははっとしたように燐を見た。一応話は聞いていたが、急にそれを振られた燐は、


「知らん」


と答えた。それから少し慌てた様子で「植物」と言い直した。植物を操るか何かするということだろう。


「ふむ、植物ね。ありきたりかもしれないけど、式神は数が少ないし、僕が診た式神の中では初めての仙術だね」

「他にはどんな仙術の式神を診たことがあるんですか?」

「んー……それがねぇ、ほとんど診たことがないんだよ。過去の文献なんかにはたくさん載っているんだけど」

「あー、それはやっぱり数が少ないからですか?」

「うん、それもある。でも大抵は僕が診る頃には死んでいるからだよ。原型も留めていないものも少なくない。何しろ”ご主人様”が碌でもないからね。だからどんな仙術だったのか分からないんだよ。結果、生きてる個体で仙術も分かったのは一人だけ。その子は現し身が蚕蛾かいこがに準ずる特徴を持っていてね、仙術もそれっぽいものだったよ。効果付きの鱗粉を振り撒いたり糸で絡め取ったり」


燐は狼っぽかったので他の式神も皆そうなのかと思ったが、どうやら違うようだ。

クローフィの言う碌でもない”ご主人様”とやらは、恐らく”人が使役出来る”の人の部分だろう。そこらにいる一般の人が彼らを操れるとも思えないので、この”人”も普通の人ではない可能性が高い。それをクローフィに問うと、肯定の意が返ってきた。


「それはこの後説明するよ。式神については現し身と仙術、それから人間並みの知能と動物並みの五感、身体能力が備わっているってことを覚えておいてくれればいいかな。人間の上位互換でもあるし、動物の上位互換でもあるってね。そんな優れた彼らが何故少数派なのかってところで、その”人”が関わってくるんだ」

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