第2話 入局


「へえ、名前、難しい漢字だな。何て読むんだ?」


 デスクやパソコンが整然と並ぶ会社のオフィスの様な場所で、上司とおぼしき男が聞いた。


冷泉弑流れいぜいしいなと読みます。……すみません、普通読めないですよね」

「読めないことはないが……これを初見で読むのはちょっとキツいかもしれないな」


 答えたのは緊張した面持ちのスーツの男。黒い髪の前髪を上げて固め、こぼれた前髪の奥では真面目そうな黒目が不安げに揺らめく。


 東極警察局。

 この国において治安維持と犯罪行為の取り締まり等を行う、治安維持組織である。

 北区、南区、東区、西区、中央区からなる東極の中央区に本拠地を置き、そこから各地に依頼人の要望に合わせた局員を派遣している。危険が伴う仕事も多く、試験も厳しい代わりに給料は高い。


 彼らがいるのはそんな場所の捜査部署だった。捜査部は足を使って様々な場所やものを捜査し、データ化して他部署の支援をする部署である。

 今朝入局式が行われたばかりであり、この部署には五人の新入局員が来ていた。新入局員の数はそれほど多くないので、一人の新人につき一人の先輩局員が面倒を見ている。

 新入局員である弑流にも例外ではなく、先輩局員が付いてコミュニケーションを図っていたのであった。


「ちなみにどんな意味なんだ?」

「え、ええと、”流れをしいする”で”世界の大きな流れを変えるような人間になって欲しい”という意味を込めてくれたみたいです。意味優先で完全な当て字なのでなかなか読んでいただけないですが……」

「ほぉー……いい名前じゃねえか」

「あ、ありがとうございます。きょ、恐縮です……」


 緊張からかたどたどしい話し方になり、先輩局員の顔をチラチラと見ている弑流に、先輩局員はため息を吐きながら笑った。


「おいおい、気持ちは分かるがあんまり緊張するなよ。気楽にな。この後簡単な任務やるからさ、そんな調子じゃ困るぜ?」

「え……任務ですか?」

「ああ。つっても迷子の猫探しだけどな! ははは!」


 終始明るい先輩局員に引っ張られて弑流も緊張を緩ませる。


 入局日のカリキュラムは、午前中に式と部署配属の挨拶を済ませ、午後からはそれぞれが先輩局員とともに簡単な任務をこなすというものであった。新入局員にも当然事前に教えられているはずだが、緊張状態のため忘れているようだ。


 先輩局員と昼食を済ませた後、弑流は自分の担当の先輩局員と迷い猫探しの準備を始め、他の新人も先輩局員に連れられていった。


「……おっと、新人。ちょっと下がってな」


 弑流たちが外に出るために無駄に広い廊下を歩いているとき、先輩局員が手を上げて止めた。ちょいちょいと手招きして自分の背後に入るよう促す。


「どうかしたんですか? 先輩」

「しっ」

「?」


 訳が分からないまま言われたとおりにする弑流の前を、正確には先輩局員の背中越しの前を、二人の男が談笑しながら通り過ぎていった。飛び抜けて背の高い癖毛の男と、長い前髪とマスクで顔が隠れている男のペアで、広い廊下でもかなり目立っていた。彼らは周囲を全く気にしていないようだが、他の局員達は皆遠巻きに見ていた。


「行ったか」


 ほっとした様子の先輩局員に弑流が不思議そうな顔をした。


「あのお二人がどうかされたんですか?」


 確かに目立ってはいたが。


「あ~、簡単に言うと”問題児”だな。出来ることならあまり関わり合いにならない方が良い。デカい方がシャルル、マスクの方がレノっていうんだが、悪い噂が絶えなくてなあ……。ま、あの部署は元からまともな奴が少ないらしいが……。まともなのはリチャードさんくらいか」


(まともな人が一人しかいない部署ってどんなだろう……)


 警察局の試験が難解なため、頭が良すぎるが故に変わった人が多いということだろうか。ただ、わざわざ”問題児”だと言うというからには、ただの変わった人では済まされない何かがあるのだろう。


「あ……そうなんですか。……あの、その部署について詳しくお伺いしても……?」

「あー、いいぞ。そうだな、例えば――」


 先輩局員は捜査地点に行きがてら、弑流に自分が知っている噂話を話した。


 シャルルという背の高い方の男は元暴走族であり、車関係のトラブルを起こして警察局に捕縛され、そのまま局員になったという。現在は性格的には穏やかだが、体格が大柄で威圧感がある上、そういった噂があるために誰も近寄らないそうだ。そして彼の隣にいたレノは、以前所属していた部署の上司に顔も見たくないと言われるほど恐れられており、その上司に暴言を吐いた上勝手に退署、局長が介入する騒ぎを起こした。この話は騒ぎが大きかった故に信憑性が高く、シャルルよりも小柄なレノの方を恐れている人は多いという。顔が全く見えないのもその原因の一つだが。

 さらに、先輩局員は彼らのいる部署――調査部についても話してくれた。調査部は一年前に設立されたばかりの新設部署で、現在の署員は七人。内三人はリチャードとシャルルとレノで、残り四人はあまり見かけないが、それでも彼らについての噂が飛ぶくらいなので、変わった人たちではあるのだろう。


「他の方々にはどんな噂が?」

「ん? ああ、そりゃあたくさんあるが……。どれもこれも怪しい内容ばっかりでなあ。盲目の探偵がいるとか二メートルの巨人に食われそうになったとか殺人鬼が潜んでいるとか。事実とは思えないし、相当誇張されているかデマだろうな」


 もしデマなのであればはた迷惑な話だ。シャルルとレノがいるからとそう見られてしまっているのか、誰かが面白がって流したのだろう。


「――とまあ、こんな感じでな。奴らに関わった人たちが噂してる話で、特に最後のは信憑性に欠ける噂の寄せ集めだが……多かれ少なかれ良くない噂があるんなら、関わらない方がいいだろ? あー、ちなみにリチャードさんは部長だな」


 常識的に考えて殺人鬼とか巨人とかが警察局で働いている訳がなく、全体的に脚色された噂とみていいだろう。

 ただ先輩局員の話を聞く限り、例え本当の話でなかったとしても良い印象は持てず、弑流は配属されたのが調査部でなくて良かったと胸を撫で下ろした。捜査部と一文字違うだけで大違いだ。


「……部長さん大変そうですね、それ。本当だとするとですけど。ありがとうございます、先輩。先程守っていただいて」

「いいっていいって。あ、それよりこの辺りだぞ。捜索場所。っと、猫の写真は……これだな。二枚あるから持っとけ」

「ありがとうございます」


 話している間に目的地に着いたらしく、先輩局員は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。写真には額に黒いハートマークのある白猫が写っている。変わった柄なので、見たら一目で分かりそうだ。簡単な任務とはそういうことだろう。


「わ、可愛い」

「動物好きか?」

「はい、とても」

「奇遇だな、オレもだ」


 にっと歯を見せて笑う先輩局員につられて笑い返して、弑流は周囲に目を走らせる。動物好きの弑流は動物図鑑をただひたすら眺めたり、動物の生態を調べたり、観察したりしていたため今回の任務は適任だった。それを見越してこの任務を寄越したなら、この部署の部長は相当切れる人物だろう。


 弑流はそう考えながら、もう一度身を引き締めた。


 先輩局員に詳細を聞くと、依頼が来た当時に猫が逃げたのがこの辺りらしく、現在はこの辺りにいるかどうか微妙らしい。一応周辺住民から目撃情報が上がっているため、捜索地帯をここに絞ったらしいのだが。


 少し迷った後、弑流は周辺住民に最近の目撃情報がないか聞いてみることにした。


 この国の主要施設が集中している中央区は、他の区に比べて人口が多い。そのため、話を聞くことが出来る住民など山ほどいると踏んだのだが、残念ながらその予測は外れた。今の時間帯が昼であるためか、民家はあれどどれも空っぽなのだ。人のいる気配すらない。


(猫……云々うんぬんよりも人間がいないんだけど)


 弑流は困り顔でため息を吐いた。内容的にはとても簡単なはずなのだが、こうなってくるとそれなりに難しい任務である。先輩局員に頼り切るわけにはいかないし、かといって他には何の宛てもない。


(どうしよう……)


 頭を抱えながら猫がいそうな場所を探し回る弑流の前を、タイミング良く一匹の猫がてけてけと通り過ぎた。全身が白い毛皮で覆われ、額にはハートマーク。それはまさしく探していた猫だった。


「あ、いた!」


 思わず声を上げてしまい、驚いた猫が逃げ出した。慌てて後を追う。あまり追いすぎると逃げ続けてしまうので、見失わないように気をつけながら付いていく。探し猫は、一軒の民家の庭に入っていった。先輩局員に無線で連絡をして、任務が終わりそうであることを告げる。先輩局員は良くやった、と嬉しそうに言うと、すぐに行く、と無線を切った。

 弑流は先輩が来る前に猫を見つけてしまおうと、その家の主に声をかけるべく、そこに近付く。


 そこで、一つの異変に気が付いた。


 ――家の門と玄関扉が開いている。門は手前に引くタイプの両扉式で、玄関扉は引き戸だったのだが、そのどちらも開いたままなのだ。ざわり、と背筋を何かに撫でられたような、全身の毛が逆立つような感覚に陥る。何故かは分からないが、とても嫌な予感がした。

 もしかしたらこうして家の換気をしているのかもしれないが、そうだとしたらあまりに不用心すぎる。


「あの、すみませーん! 誰かいません……か」


 不審に思った弑流は、一応声をかけながらそっと玄関に入り――。


 玄関の少し奥に立っていて、弑流の声に驚いて振り向いた人物と、目が合った。人を探して入った訳だが、思ったよりも近くに人がいたことに驚いて声を上げてしまう。


「わッ」

「…………!」


 しなやかな黒髪と宝石のような青目が印象的な、少年とも少女とも言い切れない誰か。何処か人間離れした気品さえ漂う小柄な人物に、声もかけられずに呆ける。弑流はそのまま何処かに吸い込まれてしまいそうな感覚にすら陥った。


 一度固まった双方の内、先に動いたのは相手の方だった。


 突然入ってきた弑流に驚いた顔をしていたのも束の間、その少し吊った目に敵意が籠もる。鼻の頭に皺を寄せ、とても人間とは思えないほど鋭い犬歯を剥き出した。それはまるで獰猛な獣のようで、気品の漂う顔の造形と併せて小さな豹のようだった。

 彼もしくは彼女は、身をかがめてその小枝のように細い右腕を素早く腰の後ろに回すと、そこに括り付けられていた鞘から小刀を引き抜いた。同時に足で地を蹴り、左腕で弑流の体を押す。

 初動が遅れた上に突然の攻撃に反応出来なかった弑流は、そのまま押し倒されて尻餅をつく。その拍子に相手の小刀が腕を掠め、服と供に下の肌が切り裂かれた。


「痛っ……!」


 鋭い痛みに顔を顰めながら声を上げた弑流に、相手は容赦なく馬乗りになり小刀を振り上げた。まだほんの子供にしか見えないというのに、動きは俊敏で的確だった。弑流の頭上で刃が銀色に輝く。

 今から藻掻いてももう遅い。相手の振り下ろした刃の方がより速く弑流の心臓に届くだろう。


(殺される……!)


 ぞわりとする死の恐怖に思わず目を瞑った時、閑静な住宅地に一発の銃声が響いた。同時に、目の前の相手がびくりと飛び跳ねて身を捩る。相手が退いたことで自由になった弑流は、体を引き摺るように後ずさって、相手から距離を取る。


「大丈夫かっ!?」


 声の主を振り返ると、必死の形相をした先輩局員が薄く湯気が立っている銃口を相手に向けながら、足を開いて立っていた。

 その先輩局員に足を撃たれた相手は、自分を撃った人間を睨み付けながら半歩下がった。右の太股に穴が穿たれ、血液が滴っている。

 しばらく先輩局員とにらみ合った後、分が悪いと悟ったのか、低姿勢で弑流の脇を通り抜けると一目散に逃げ出した。


「ま、待って! …………え?」


 相手に手を伸ばし、尻餅をついたまま顔だけを動かして相手の動きを追う弑流の目に、信じがたい光景が映った。


 小柄な人物の手の爪が鉤爪かぎづめに変化し、白く細い手は指先から黒い毛に覆われていく。そしてそれが前足として地面に付く頃には、頭からは耳が、尻からは尻尾が生えていた。先程まで人型だったものは、一瞬で狼に似た一頭の黒い四足獣しそくじゅうへと変化した。


(…………!!? …………??!)


 突然の理解出来ない出来事に、弑流の脳の処理能力が下がる。己の目を疑い、脳がパニックを起こしている間に、四足獣は猛烈な速さで地をかけて逃げていく。現在は後ろ足へと変化しているが、撃たれた傷は消えたわけではないはずだ。だというのに、弑流たちでは全く追いつけそうもない速さで逃げていく。

 途中、傷が痛んだのか一度つんのめったが、四足獣は異常な身体能力で転倒を避け、民家の屋根の上に軽々と跳ね上がって逃げ去っていった。人間の足ではとても追いつけない。


 全てが一瞬の出来事で、状況の一割も理解出来ていない弑流の元に、先輩局員が息を切らせながら戻ってくる。


「大丈夫か!? ……おい、血ぃ出てるじゃねえか!」


 彼は流れる汗を拭いながら、弑流の左腕を見て顔を青くした。猫が見つかったと無線を受けて来てみれば、新人が刃物を持った人間に襲われていたので慌てて助けてくれたのだろう。


「先輩のおかげで無事です……! これも刃が掠っただけで……」

「そうか……良かった……」


 心底ほっとした様子の先輩局員に、弑流も安堵感を覚える。本当に心配してくれたのだろう。弑流はこの人が先輩で良かったと心の底から思った。上司によっては自分に危害が加わる可能性があるからと見殺しにされてもおかしくなかっただろう。警察局という場所に務めている手前、そういう人はいないと信じたいが。

 左腕を気にしながらゆっくりと立ち上がって、先輩局員に礼を言う。


「あ、あの、先輩……。一体何が起こっているんですか?」

「分からない……。人……じゃねえことは確かみたいだな」


 四足獣に変化した人間について、もしかして先輩なら分かるのではないかと思ったのだが、期待は外れた。初日からよく分からない生き物に襲われるとは。


「とにかく局に早く連絡を――」


 先輩局員が胸元から携帯電話を取り出して番号を打とうとしたとき、ふとその動きが止まった。眉を寄せて家の中を凝視している。そしてその顔から徐々に血の気が失われていく。


「…………?」


 どうかしたのかと弑流も玄関の方を振り返った。


「あっ馬鹿! 見るな!」


 先輩局員が慌てて忠告したが、もう遅かった。

 ドクン、と心臓が高鳴り、頬を嫌な汗が流れた。

 そこにあったのは、体中を無残に切り裂かれた、一人の人間の死体だった。

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