第3話 なぜ?

「はっ! うける!」

「こいつ反応鈍ってるじゃん」

「あ~。てめーの顔むかつくんだよな」

 腹に鈍痛が残っている。

 視界に入るのは、殴られている僕を薄ら笑いで見ている人、人、人、人、人。

 みんな同級生であり、僕の敵。

 教室で露骨ないじめが発生しているにも関わらず、担任は『ただのじゃれあい』。よくても『悪ふざけをしているんでしょう』と。

 それだけ。たったそれだけで、僕は殴られている。

「――っ!」

 床を転がり、壁に背を打ち付ける。

 パシャ。

 スマホのシャッター音が響く。音のした方に視線を向けると、にたりと嗤う犬星いぬぼし如月きさらが立っていた。

 珍しくもない。仲間内で嗤い者にするつもりなのだろう。だが、彼女は大人しく、クラスの委員長だったはず。そんな人にも僕は見下されたのか……。



 カンカンと鳴り響く踏切。

 その向こう側に少女が立っている。珍しい銀髪だ。まるで西洋人形のような端正な顔立ち。だが、周りには見えていないように注目を浴びていない。

「疲れた……」

 不思議に思いつつ、それが僕の何かを変えるわけでもない。

 電車がゆっくりと近づいてくる。

 流れていく電車に、足が震えて止まってしまった。

 一歩踏み出せばそれですべてが終わるのに。この地獄から抜け出せるのに。

 でも、僕には生きなくてはいけない。まだレオがいる。僕は飼い主なのだ。彼が死ぬまでは途中で投げ出すわけにはいなかない。

 レオは僕が欲しいと言って飼った犬だ。飼い主としての責任がある。

「……?」

 自宅付近にきたというのに。どうしたのだろう? レオは僕が近づいてくるのを察知すると、吠えて迎えてくれる。

 庭にある犬小屋から伸びたリードがぐいぐいと引っ張られ、外れたこともある。その後に、ちょっとお高いリードや杭に変えたんだ。

 でも鳴き声が聞こえないのは、逃げ出してしまったのだろうか?

「レオー?」

 石壁から顔を覗かせると、そこにはレオがぐったりと倒れている。

「レオ!!」

 もしかして病気で倒れたのか!?

 驚いて賭けより、その小さな身体を抱きしめる。だが、

「血……」

 手にべっとりとついた赤黒い液体が、最悪の結果を想像させる。

 ぱっくりと割れた頭から白いものが露出している。

 獣の声。聞いた者に悲痛を与えるほどの絶叫が鳴り響く。

 涙など、とうに枯れ果て滴の一滴も落ちない。

 声が枯れるほど叫んだあと、身体の力が抜けていく。


「ははは。こいつ失禁してやがる」

「しかも気を失っているじゃん」

 嗤い声が聞こえる。

「こんな犬のどこがいいんだか……」

 僕の手から冷たくなったその子を乱暴に奪う人影。身に覚えのある顔立ち。しゃべり口調。

 やがて去っていくと、僕は立ち上がる。壁に叩きつけられたのか、無残な姿になり果てたレオ。

「僕が助けるからね」

 腕に納めると、ゆっくりと歩き出す。

 隣町に病院がある。いつも通っている獣医がそこにいる。レオの後遺症の手当をしてくれた。レオの事故から回復させてくれた。

 獣医ならなんとかしてくれるはずだ。

 その思いだけで歩き出す。

 やけに軽くなった身体を抱きしめ、歩く。

 希望の丘。その階段を登り終えると、その先に動物病院がある。

 ふいに身体が浮遊感を感じる。数泊置いて、コンクリートに顔をぶつける。鼻から新鮮な血が流れ出す。

 倒れるときに手を離してしまったのか、レオが一メートルほど先に転がっている。

「たす、けない……と。僕が、僕の……」

 視界に白いワンピースの端が映る。

「誰?」

 顔を上げると、そこには夢で見た少女が立っている。西洋人形のような顔立ち。銀髪のさらさらとした長い髪だ。

「わたし? わたしはアシャ・ワヒシュタ。アシャって呼んでいいですよ」

「アシャさん」

 外国人なのだろうか。それにしても不思議な雰囲気を持っている。見る者を癒やすような暖かさがある。

「そ、その子。レオを助けてください!」

 懇願するが、アシャは首を横に振る。

「それはダメです。一度死んだものを生き返らせるのは、この世の理に反します」

「……ち、違うよ! レオはまだ生きているんだ!」

 残念そうにかぶりを振るアシャ。

「諦めなさい。命あるもの、いつか尽きます」

 鈴を鳴らしたような凜とした声音で、冷たく突き放す。

「でも。だって! レオはたくさん辛い思いをして、傷ついて。それでも必死に生きているよ!」

「命失ったものは、生きてはいません」

 残酷な現実を突きつけてくる人間は嫌いだ。でも彼女は間違っていないのだと、脳髄のどこかが認識している。

「だったら……。だったら! なんで目の前にいるのさ! なんで邪魔をするんだよ!」

 僕とレオの間に立ち、僕を睨むでもなく助けるわけでもない、この少女は何がしたいんだ。

 意味が分からず声を荒げるが、彼女はすました顔で手を伸ばしてくる。僕はその手を払いのけると、自力で立ち上がる。

 少しふらつくものの、意外としっかりとした足取りで立てている。

八神やがみ輝星きあ。あなたはあなたが本当に望むのはなになのか、それを知りなさい」

「僕の、望むこと……?」

 考えたことがなかった。僕は今を生きるのに必死で、それが全てで。その先を考えている余裕なんてなかった。

「あなたに、力を授けます。これでなすべきと思ったことをなしなさい」

 僕の手を包み込むアシャの両手は暖かく柔らかだ。羽毛布団のような手触りに戸惑いつつ、手を見ると光が身体の中に流れ込んでくるのを感じる。


 熱い。熱い。熱い!

 身体が焼けるような熱を持っている。血液の代わりにドロドロに溶けた溶岩でも流れているかのような熱がある。

 身のうちから焼き焦がすような熱と痛み。鋭利な刃物が神経だけを突き刺すような激痛に、身をよじる。

 全身を襲う激痛から逃れようと、仰け反り頭を抑えるが、痛みは強くなるばかりだ。

 どれくらい経ったのだろうか。

 熱と痛みが引いて、周囲に視線を這わせる。汗をどっぷりとかき、身体中から水分が抜けたような脱力感だ。

 なんとか上体を起こすが、視界にアシャはいない。

 なんで僕はこんな目に遭っているんだろう? なにも悪いことなんてしていないはずなのに。

 頑張って生きてきたのに。

 勉強だって、父や兄の言う通りにしてきたのに。塾にも通っていたのに。

 どうして?

 どうして、みんなでいじめるの?

 どうして!

「僕は、なんのために生まれてきたんだろ……」

 僕は生きている意味が分からない。

 生きている意味がないのかもしれない。でも……。

「これで終わりには、しない」

 ここで死んだら本当に泣き寝入りだ。

 レオを殺した人影が焦点を結び、しっかりとした顔を形成していく。

 なんであいつらに泣き寝入りをしなくてはいけないんだ? 悪いのはあいつらだ。

 殺したのはあいつらだ。

 僕の生きている意味を奪ったのだ。

 自分は死んでも良かった。死んでしまえば良かったのだ。

 でも、このままじゃ死ねない。

 このまま死ぬくらいなら――

「道連れにする……」

 誰も助けてくれないのなら――

「僕も助けはしない」

 世界が排除するというのなら――

「僕も排除する!」

 自分という人間が生きていた証を、世界に残す。刻みつける。でなければ、僕が苦しんできた理由も、生まれてきた意味もない。

 このまま死んだらニュースで『いじめによる自殺か?』とだけ記載され、たったの数日で全国の人々から忘れ去られる。

 誰の記憶にも、誰の心にも残らずに消えていく。消えていく。

「そんなことのために生きてきたわけじゃない」

 そんなことのために苦しんできたわけじゃない。

 だから、僕にできることをする。

「しなくちゃいけない……!」

 レオを探すが、見当たらない。アシャがどこかへ連れっていったのだろうか? 僕を救ってくれた存在が、なぜ死ななければ――いや、なぜ殺されなくちゃいけないのだ。

「僕は――復讐する」

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