当代の魔王3

「どうぞ殴ってくれ。私を殴れば分かるだろう。頭の足りないお前でもな」


 こうしてわざとらしく煽れば、単純なフィリベルトはすぐに拳を振り下ろした。

 だがその攻撃も防がれる。

アリスの纏う黒い羽衣によって。

 ふわふわと浮いていて気になっていたものだったが、ただの魔術の衣服だと思っていた。だがそのレースを編まれた美しい羽衣は、フィリベルトの攻撃に即座に反応し、主人を守るように動いた。

 鋼鉄を叩くような音が響き渡り、フィリベルトの拳を包み込んだ。この拳で数々の魔物や人々を蹂躙してきた。武器も用いずこれ一本で歩んできた。


 それを、浮遊する薄っぺらい布切れで、防がれたのだ。


「む、ちょっとチクっとしたな。151以上のレベルを持っているようだな。やはり下手に殺せん」

「き、き、貴様ァア! アリス様のお召し物と――アリス様にィイイ!!! キィイイイィェエ!」


 後方から怒号――奇声が飛んでくる。勿論声の主はエンプティだ。

アリスのいる場所からは少し離れているものの、その場所まで「フーッ、フーッ」という荒い鼻息が聞こえて来るほどだ。

崩れた表情に、あの美しさは見られない。


 ハインツは取り押さえられなかったのか、代わりにルーシーが魔術で体を止めている。――それもそうだ。エンプティは元々スライムである。物理的に抑えようとすれば、体を液状化させてするりと抜けてしまうのだから。

 思考こそ人間離れしているが、エンプティを除いた他の幹部は基本的に冷静沈着。アリスの命令とあらばこの程度のことがあっても平静でいられる。


「ち……チクっとした……?」

「あぁ。この羽衣はな、レベル151以上190以下であれば1%は通すのだぞ」

「いち、ぱーせん、と…………?」

「あぁ、手加減をしてくれていたのかな。レベルが200以下であれば、半分は通るのだ、思い切りやってくれ」

「は……」


 フィリベルトは後ずさる。

 彼自身に感知魔術やステータスを見破れる能力はない。だからこうして拳を交えて初めて相手の力を知る。ヴァルデマルの時もそうだった。

だがそれの比にならない。

 ヴァルデマルは辛うじて攻撃が通っていた。多少のレベル差はあるが、お互いにいい「戦い」をしていた。――結果負けたが、それは対峙した時に彼が魔人であったことなど様々な理由からだ。


 この娘はそもそもそれすらかなわない。

無論フィリベルトが加減をして攻撃したわけではない。相手にするからには、全力で、だ。

それが、チクっとした――のだ。痛いではなく。そのへんの虫に刺されたが如く。


 弱そうな小娘がここまで化け物じみた力を持っている。であれば、あそこに控える者達は?

娘が出ていく時も心配している様子はなかった。街に買い物に行く子を送り出すようなレベルで見送っていた。


「う、うわあぁああぁああ!!!」


 もう一度拳を振りかぶる。今度は羽衣ではなく、その拳で止められた。

 いや、彼は拳だと思い込みたかったのだ。

実際フィリベルトの攻撃を止めたのは、アリスの指、一本だった。

 アリスはその指で優しく押し返せば、フィリベルトがよろめく。反撃する気もない、その必要も感じられないのだとフィリベルトは痛感させられた。


 そして思い出したのだ。あの時味わった苦痛。恐怖。あの、勇者の力を。


 今ならよく分かる。ヴァルデマルが床に頭をこすりつけて命乞いをした理由も、手に取るように分かる。いやむしろ瞬時にその判断が出来たことを、今すぐ褒め称えたいほどだ。

流石は自分の上に立つ存在だと。


「ひ、ひぃい!!」


 フィリベルトは情けなくも逃走した。途中でホラー映画よろしく何度も転げながら走り去る姿はなんとも滑稽である。

そんな様子を見ながらアリスは手を叩いて喜んでいた。


「あはは、ほんとにああなるんだ。ホラー映画特有の時間稼ぎかと思ったのに、面白いなぁ」


 怒り狂っていたエンプティも、アリスが上機嫌にしているものだから次第にその怒りは収まった。無邪気に拍手する主は、幹部の誰がどう見ても喜ばしいことだ。


 終始の様子をゴブリン達がしっかり見ていたせいで、しばらくすればこの噂が響き渡るだろう。

フィリベルトの強さは、未だこの城に残っている魔物であれば誰もが知っているはずだ。そんな強者であるフィリベルトを、まるで子供をあやすように対応したアリス。

 先程侵入したての時に向けられていた、不審者へ見つめる視線は今はもうない。あるのは恐怖と、新たな王が生まれる瞬間を見た目であった。


「逃げますぞ、アリス様」

「そだね、ついて行こっか」





 城の中は不気味なほど静かだった。それはアリスらの気配を察して、動物的な本能が働いていたのか、単純にこの城の勢力が衰退しており人がいないのか。

どちらにせよアリスには関係のないこと。この城を制圧すれば多くとも少なくとも、全ての配下はアリスのもとにつく事になるのだから。


「しかし外観から考えるよりも部屋数が多いですぞ」

「多分あーしが思うに、魔術で拡張してるんだと思うんだよねー」

「ふぅむ。その技術に関しては感心しますな。さほど魔力値の高そうな人物がいるとは思えないですし、スキルなどでしょうかな?」

「さぁねん。あーしの目はても、魔術を見てみないことには判断つかないしぃ」


 ルーシーとパラケルススは、一見ギャルとマッドアルケミストで反りが合わないと思われるが、実際は同じ魔術の道を行くものとして話が合う。つまるところ割と仲がいいのだ。

 ルーシーは魔術に関してはオタクと言っても過言ではない。そしてこの五人の中で話が合うといえば引き算をしてパラケルススのみになるというわけだ。


「どうせ配下に置くのだから、技法など聞けばよかろう!」

「確かに~。この天才ルーシー様の知らない知識というのは、許せないからね」

「その際は是非自分の錬金術部屋を作って欲しいですな」

「まっかして!」


 ルーシー曰く拡張してあるこの城は思ったよりも道のりが遠い。

迷子になるかと思ったアリスだったが、途中で機転を利かせたベルが蛾の一匹を飛ばしてくれたおかげで迷わずに済んだ。

――はずなのだが。


「んん? ここ前も通らなかった?」


 ルーシーが声を上げる。似たような部屋が多いが、装飾や置物から何まで一緒の部屋の前を再び通っていたのだ。

ベルが迷子にさせるよう誘導することなんてありえないので、つまりこれは幻惑魔術に惑わされているということ。

 蛾を飛ばしてくれたベルに喜んでいたが、よくよく考えればベル自身は魔術に対する防衛能力が一番低い。

蛾の方は魔術職(と言ってよいのか)なので問題はないのだが、肝心の主人はそうではないのだ。


「ふむ。では中が広く感じたのではなく、単純に迷子になっていた――のですかな?」

「確かにいつまで経ってもベルの虫が見つけられないわけね」

「え、えぇ~! スマソ……」

「ははぁ、これが魔術なんだね。それじゃあ、ルーシー」

「はいは〜い! アリス様! あーし頑張るね!」


 アリスに呼ばれてルーシーが前に出る。腰に付けていた、30センチ程の酷く装飾デコられた杖を取り出す。彼女らしさが前面に出たキラキラとしてピンクの目立つ杖だ。

ギャルが作りましたと言われれば納得いくが、そんな概念がないこの世界の人間からすれば宝石や魔石の沢山ついた高価なものと断定するかもしれない。

実際は百円均一ショップなどで売っているラインストーン――という設定なのだが。


「――〈絶対固有空間・常常つねづね〉」


 杖を胸の前に掲げて呟けば、スキルが発動する。

 一瞬で辺り一帯が暗闇に包まれた。仄かな明かりなどなく、完全な暗闇が全てを飲み込んだ。

 その圧倒的な暗闇の中では、アリスですらかすかに聞こえる吐息から周囲に部下達がいるのを把握できる程度だ。

 しかしその闇は直ぐに消え去った。闇が収束すると彼女のステージ〈絶対固有空間・常常〉が完成したことを意味する。


 闇が消えると同時に、周りに展開されていた幻惑魔術が解けていく。ただの廊下だったその場所は、徐々に徐々に本来の姿を現していく。

 目の前に巨大な扉が出てきたことから、おそらくここは玉座の間。ずっとこの部屋の前を行き来していたのかもしれない。それであれば恥ずかしいことだ。


「魔術は消えたっぽい!」

「おぉ! もしやこの部屋はッ!」

「此方が主人のいるお部屋でしょうか、でしょうか……」

「気にしないで、ベル」

「うぅう……気にしますぅ……」


 主人に慰められているが、ベルは落ち込んだままだ。自分のせいで無駄な時間と労力を使ったのだ。へこむだろう。

それに幻惑魔術に気付かなかった他の幹部も幹部だ。連帯責任というやつで、ベルだけが虐げられ非難されるべきではない。

それにまだこの体と世界に慣れてないとは言え、アリスも気付かなかったのだ。ベルを責められる者などいない。

――いるとすれば、この魔術を掛けた人間だろう。


「では我々は先に入っておりますッ」

「うん? 私も入るよ、ハインツ」

「いえ。エンプティから大事な話があるとのことですので!」

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