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「参りましたねウィルさんよ」


『これは、僕らの会話も余裕で聞かれていると考えていいね』


 呟きにも等しい季人の声だけじゃなく、物音を立てないように動いていたそれさえも察知する那須の聴力は、季人側にしてみれば唐突に明かされた事実にしても厄介すぎて饒舌に尽くしがたい。


「まぁ、ここまできたら開き直ってるから気にしないぜ」


『まさかの異常聴覚者とは……。 那須の頭の中にはレーダーが埋め込まれているようなものだね』


「サプレッサーは大きすぎる銃撃音から自分の耳を守るためか。 けど、リボルバーって付ける意味あったっけ?」


 本来リボルバーはその機構上、燃焼ガスがシリンダー部分からもれてしまう為、消音効果は高くない。


 となると、リボルバーが装着できて、サプレッサーの効果が見込める銃ということになる。


『季人、今調べてみたけど、M1895っていう銃なら隙間からガスが漏れないようになって対応してるみたいだ。  装弾数は七。 弾丸も、サプレッサー使用に適した弱装弾が使えるらしい」


 その名の通り、弱装弾とは火薬量を減らして発射時の反動を低減させ、命中率の向上が見込める弾丸だ。 火薬が少なければ、その分ガスの燃焼も少なくてすむから、その銃ならばサプレッサーと相性はいいのだろう。


 それでも、那須の腕前を見る限り、射手が下手糞ならあまり関係ないようだが……。


「飛び道具持ちで、対象を察知する音感式探知機がデフォルトで備わってるって、殆ど詰んでいるような気がしてきたが。 これはいよいよ特攻を覚悟しないといけないか」


『……周りに鉄板とか落ちてないの?』


「あったとしても、銃弾を弾けるだけの物を俺が持ち上げられるかな」


 十中八九不可能だ。 上半身を隠せるだけの大きさでも、十キロじゃまだ足りないだろう。


『なら、車輪がついた台車みたいなのは? それを前面に押し出しながら近づくとか』


「あぁ、あるぜ。 那須のすぐ近くに……資材運搬用の台車が出入り口の近くにあるのをさっき見た」


 それはつまり、現状最も遠い位置に存在すると言ってもいい。


『わ~ぉ。 優勢指数が面白いようにガックンガックン下がっていくね』


 小粋なジョークを語るように明るく的確に現状を口にするウィル。


 それは間違いない。 結局のところ、季人は那須に対して有効な対策を見いだせないまま、時間だけが刻一刻と過ぎているだけなのだから。


「まぁ、やるしかないならさっさとやるか。 時間もないし、迷うのは俺の性に合わない」


 ならば、無駄に時間を浪費している暇はない。


 機材に手を掛けながら重い腰を上げた季人へ、ウィルがやけに落ち着いた声をかける。


『……季人、君って素潜り得意だっけ?』 


「なんだよ突然……」


 まったく場違いとも思えた質問。


 しかし、今の状況で関係の無い話など、ウィルが振るはずも無い。


 そう考えたところで、季人はウィルが言わんとしている事を理解した。


「……素人に毛が生えた程度だが、三十秒くらいならいけるぜ」


『了解。 頼もしくない自己分析だけど、予想通りだね。 いつやる?』


「もちろん、直ぐにでも始め――」


 ――カンッ!!


 季人の声に被さる様に、直ぐ近くを甲高い音を出して弾丸が跳ね回る。


「さぁ、いつまでも隠れているわけにはいかないだろう。 そろそろ出てきたらどうだ?」


 退屈を持て余しているとでも言わんばかりの口ぶりで、隠れている季人に声を投げかける那須。 銃を持つ反対側の手にはいつの間にか黒革の手帳が開かれており、先ほどからそれに目を通していた。


「私も経営者という立場上、そうそう会社を空けておくわけにはいかないんだ。 君たち若者にはまだ分らないかもしれないがね」


 皮肉の混じった那須の言葉に、季人は侮蔑を込めて答えた。


「別に若者じゃなくても、していい事と悪い事の区別くらいなら出来るぜ。 まぁ確かにあんたよりは人生の経験値は少ないかもしれない。 無差別に人を誘拐したり、元同僚を監禁したり、ましてや父親と自分の尊厳を守るために戦った女を銃で撃ったことなんて無いからな」


 すぐ隣にいる人間に話すくらいの声量でも、季人の声は那須に十分聞こえていた。


「最後の件に至っては正当防衛というものだ。 直前まで私は殺害を宣告されていたわけだからな」


 那須は手帳を胸ポケットにしまい、再度弾丸をスラックスのポケットから取り出して装填していた。


「それだけ業が深いってことだろ。 大学で金儲けの勉強ばっかりしすぎて、女性の扱い方を学ばなかったのか?」


 那須はその問いに答える前に一拍おいた。


「君は義務教育の最中、図工や理科というものが一体何の役に立つのだろうと思ったことはないか? 誰もが思う疑問において、その考えは概ね正しい。 生きていく上ではそれほど役に立たない……自分に何の利益ももたらさないものだ。 一般生活、ひいては人生で役に立たない知識は学ぶ必要がない。 そうは思わないか?」


「いやいや、学校ってのは勉強以外の事だって学ぶもんだ。 俺は中高一貫して女の子にモテたいって毎日のように思ってたぜ。 人生には金も必要だけど、花だって必要だろ」


 その為の勉強が報われたかと言えば、その限りではなかったが……。


「花は金で買えばいい。 必要なとき、必要なだけ。 そのうち花の方から寄ってくる」


 確かに一企業の社長ともなれば、その言葉を体現するだけの財力はあるだろう。


「はは、一度でいいから言ってみたいけど、実際そうなったらきっと俺じゃあ退屈すぎて発狂するかもしれないな」


 しかし、本当に再認識したのはそんな事ではない。


 結局のところ、多少話したところでは、お互いにどこまでも相容れないという事実だけが浮き彫りになっただけだ。


 理解しあうには、今生では不可能だろう。


 根底からしてもう、お互い別の生き物なのだ。


「それなら一度試してみないか? そちらがデータを返し、我が社の秘密を生涯口にしないと誓うなら、私はここで君を見逃し、毎日花束を買っても死ぬまで無くならないだけの金額を渡そう」


「そいつは中々魅力的だ。 ちなみに、その場合セレンはどうなるんだ?」


「……言わずとも分るだろう。 彼女の自尊心がそれを許せるとは到底思えない」


 それは季人も十分なくらい分っている。 分っていて、言ったのだ。


 那須の言う通り、彼女の目的は金で補う事は出来ない。 その金が父の努力を掠め取った結果生まれたものなら尚更だ。


 どの道、那須にセレンを見逃すという考えは持ち合わせていないのだ。


 その確認が出来ただけでも、季人にとっては十分だった。


 だが、返答を返さない季人に痺れを切らしたのか、それとも新たな楽しみ方を見出したのか、那須は少しだけ声量を上げ、季人の耳と、精神に届くように思いついた事を口にした。


「……ならば、私が先にゲートから出て、扉を押さえつけるとかどうだろうか。 なぁ、どうかな、侵入者君?」


 季人がセレンを助けようとしている事がより確かなものだとしたら、那須にとってはどうする事が一番自分にとって有利に働くのか、十分理解していた。


 見え透いた挑発。 しかし、それは必殺の一言でもある。


 季人がそれを聞いた以上、確実に身をさらさなくてはならないのだから。


「んな冷めたことすんなよ!!」


 そして、季人は物陰から飛び出した。 それも、近づこうとしていた物陰からではなく、三十メートルは離れた場所からだ。


 次いで、季人が駆け出すと同時に頭上の各所から消火剤が噴出された。


「小賢しい真似を……」


 那須は顔を顰めつつ季人に向けて引き金を引く。 だが、距離がある上に目標が動いているせいで、撃つことに慣れていない那須の放つ銃弾は離れた場所を通過していく。


「……っ!!」


 一直線にではなく、消火剤を目くらましに利用し、滑り込むようにして物陰に入りながら、しかし即座に那須へと近づくために走り出す。


 続けて、二発、三発と放たれるも季人には命中しない。 やはり、那須は拳銃の扱いには長けていない。


 だからと言って、季人の精神的な負担が減るわけじゃない。 現在進行形で発砲者に向けて無手のまま飛び込んでいくという状況は、神経が鉋どころかグラインダーのレベルで削られていく。


 その間にも、季人は呼吸を一度もしていない。 走り出す時限定とはいえ、二酸化炭素が噴出されている中を走っているのだ。 先ほども数秒間噴射され、現在工場内には少なからず残留濃度が通常時よりも上がっている二酸化炭素が充満している。 一呼吸が自分に与える影響は、ほぼ間違いなく軽度なれど酸素欠乏症だ。


 那須も同じように酸欠になってくれればいいのだが、消火剤の噴出位置から離れているうえに、直ぐ近くに換気ダクトが見える。 故に、可能性としては薄い。


 全力疾走と緊張感における心拍量……おおよそで考えられる全力運動中の自分の無呼吸可能時間は二十秒。 三十秒にも満たない。


 この短い間に、セレンと自分の命を懸けなければいけない。


「……っぐ!?」


 四発目が大きくそれ、五発目の銃弾がジャケットの上から左腕を掠めていく。


 人生で初めて、撃たれた。


 銃で撃たれたことによる精神的な萎縮、全身の緊張による硬直を、そんな未知の経験をしたことによるテンションの急上昇がねじ伏せる。


 季人の口の端が笑みを作りながら物陰から飛び出し、さらに那須へと接近する。


 残弾は、残り二発。


 リボルバーの最大装填数は五、六発が一般的。 しかし、何事にも例外は存在する。


 ウィルが言うには、那須の撃っているであろうリボルバー、M1895の装弾数は七発。


 暴発防止用に六発しか弾を込めない場合もあるが、可能性の上ではあと一発で弾切れだ。


『季人、消火剤のガス圧が上がらない!! あと二秒で噴射が止まるよ!!』


 耳もとに告げられたウィルからの事実にも怯まず、両足にはさらに力が籠められる。


 あと二秒後には目隠しが無くなり、季人と那須の間を眩ませるものは無くなる。


 もうストップ&ゴーの時間はない。 待たれればどの道負けなのだ。


 季人に残された選択肢は、もう特攻以外に残されていない。


「結局、そうするしかないのだ小僧!!」


 六発目が右目の直ぐ下、頬を掠め、顔面がその勢いに一瞬引っ張られるが、目線は決して逸らさない。


 もう少しで死んでいた。 その事実に、普段とはかけ離れた現実に身を置いているという事に、季人は爆笑しそうになる横隔膜を懸命に抑え込んだ。


 ここまで歪んでいるとむしろ開き直れる。 そして今はそんな自分の精神に感謝したい。


 那須はまだ銃口を季人に向けている。 即ち、残弾がまだ残っている。


 だとしても、ラスト一発。


 相対距離は……五メートル。


「……いっくぜぇぇぇ!!」


 これまで溜めていた呼吸を吐き出しながら、季人は自身の持つたった一発の銃弾……右腕の拳を引き絞る。



 ――ドクン



 一瞬、心臓が高鳴る。


 この場面で瞬間的に、季人は冷静で俯瞰的に、直感で感覚的に理解した。


 奇跡でも起きない限り、この距離は……このスピードでは、間に合わない事を。


「あの世でセレンにレクイエムでも奏でてもらえ」


 カチリとハンマーが下がる。


 技術の無さ云々関係なく、ここまで相対距離が近ければもはやその弾丸、必中は確実。


 脳天も狙えるだろう。 胸部ならより確かに、季人を無力化させられるだろう。


 今更引くことは出来ない。 引いたところで事態は好転しない。 仕切り直すことなんてもう出来ないのだから、自分はただ突き進む事しか出来ないのだ。


 ならばもう何も考えない。 一瞬先に、自分が殺されていようが生きていようが、こんな劇的な場面が生涯の分かれ目となるのなら――。




 ――非現実性に身をおけたこの瞬間は、これ以上ないほど幸運な事なのだから、悔いはない。




 引き金は引かれ、最後の弾丸が放たれた。


 目を瞑っていても命中するこの距離で、正しく必殺として撃たれたそれは……。


「……な、あ、あ」


 喉から言葉にならない声を出している那須の視線の先、銃口の示すままに、天井で明滅する黄色灯ランプを打ち抜いていた。


 ゆっくりと視線を下げると、撃ち殺したと確信した筈である青年の拳が自分の胸部に打ち込まれ、接触した部分から体に稲妻が奔ったかのような衝撃が駆け巡っていた。


 那須は呆然とした表情をしたまま、膝から力なく倒れ伏した。


「ふぅ、はぁ、はぁ……」


 季人は緊張を解くと同時に、これまで呼吸を止めていた反動で、体が酸素を欲していた。


 那須のいたポイントは消火剤のポイントから離れており、かつ換気も行き届いているが、それでも若干空気が吸いにくい。


 呼吸が辛いと同時に、少し頭痛もする。 典型的な酸素欠乏症の症状だ。


「どういうことだ……。 わざと外したってことか?」


 生きている事が不思議なくらいだ。 だが、ならば余計に解せない。


 倒れる間際まで、那須の表情は驚きを隠しきれていなかった。 つまり、彼にとって予想外の事が起こったという事だ。


 しかし、極限の状況をやり過ごした季人はそこまで頭が回らない。


『季人、無事かい?』


 ヘッドフォンから聞こえるウィルの声。 再び相棒の声が聞ける事に、季人は素直に嬉しく思う。


「あ、ああ。 大丈夫だ。 いや、左腕は今になって超痛くなってきたけどな」


 弱装弾とはいえ、銃弾は銃弾。 掠めた部分に手を当てれば、鋭い痛みと熱を感じた。


『へはは。 必要経費にしては、安い代償と思っておこう』


「まったく、当事者としては異を唱えたいぜ。 ……にしても、一体最後のは何だったんだ」


 走馬灯こそ見ることはなかったが、最後の一発が放たれる瞬間、自分は確実に撃たれると覚悟していた。 もし幸運にも即死を免れたとしたら意地でも一矢報いてやろうぐらいは思っていたが……。


「ひょっとして、俺の気迫に圧倒されたとか?」


 自分で言っていて、解からは一番遠いだろうなと直ぐに頭からその考えを消し去る。


 那須が引き金を引く瞬間、奴は確かに勝ち誇った顔をしていた。 確実に殺せると心に余裕を持った表情だった。


 しかし、結果そうはならなかった。 


 死を確信した人間が生き残り、勝利を確信した人間が地に倒れ伏した。


 一体あの瞬間に何があったのか……。


『季人、セレンを』


 その声に季人はすぐさま意識を切り替える。


「……了解」


 季人は地面に倒れ伏したまま意識を失っている那須を一瞥し、特別な感慨も湧かないままその場を後にした。

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