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 エレベーターに乗ってから、季人は一切ボタンに触れることなく、ウィルによって操作されるがままの鉄の箱に身をゆだねている。


 各階を示すボタンがエレベーターの右に配置されているが、そこには地下三階までのボタンしかない。 その上で光るデジタル表記の数字が一つずつ減っていく。 B1、B2、B3を過ぎてからは明かり一つ点かなくなった。 そこで、下降していくエレベーター内で季人は違和感を覚える。


 体感的に分かったのは、これは降下距離的に表向きの四階より深く潜っている気がする。 恐らく、地下六階相当だろうということだ。


 徐々に下への加速度が緩和され、音もなくエレベーターが停止した。


『見……図は……い。 こち……のサポ……十分……はでき……い。 気を……けて……よ』


 かなり深く潜ったせいか、スマートフォンの電波状況に影響が出ていた。


 季人はボディーバックからあらかじめ用意していたスマートフォン用の高感度外付けアンテナを取り出し、USBのソケットに差し込む。 すると、通信感度は時を置かずして直ぐに復旧した。


「OK。 それじゃ、サウンドメディカルの闇を覗いてみるかね」


『災厄が飛び出してこなければいいけど』


「希望が残ってる事に期待しようぜ。 ……よし、開けてくれ」


 一つ深呼吸してウィルに促す。


 本当にパンドラの箱であるのなら、まだ期待値が高い方だ。


 箱の底には、希望っていう残り物があるはずなのだから。


 エレベーターの扉がゆっくりと開いていく。


 サーバールームのような明るさを想定していた季人だったが、昼間のような光量に一瞬顔を顰める。 そして、扉は開ききり、目が明るさに慣れた季人は正面を見据えた。


「……何だ、ここは」


 視線の先には比喩や形容など使うまでも無く、只々真っ白な空間が広がっていた。 広さ的には三十平米くらいだろうが、これだけ白一色でシミも無いとなると錯視効果もあって壁や天井の境が分りづらく、広さも曖昧にしか捉えられなくなる。


『何があった? 楽園? 酒地肉林?』


 そんな物が本当にあったら多分自分は正気じゃいられない。 一般人ならそれで狂喜乱舞するかもしれないが、恐らく自分は望んでいたものとは違う期待外れ感に発狂するだろう。 幸い、そんな事にはなら無さそうだ。


「いや、これがさ、何も無……くもないか?」


 少し歩みを進めると、分りにくいように境目が消された扉が確認できた。 直接手で触れてみると、その作りは分厚く強固なものであり、かなり頑強である事が分る。 まるで戦艦の装甲版がそのまま扉になったかの様だ。


 季人はそこを何度もなぞる様に触り、ノックしたり、耳をあてたりと色々試してみる。


「中に部屋があるみたいだ。 ただ、壁も扉も分厚い。 手持ちのアイテムじゃ開錠は難しいな」


『う~ん、そこはネットワークが完全に遮断されてるからこっからじゃどうにもできないね。 出入り口はそこだけ?』


 つまり、ここはサウンドメディカルであって、そうではない。 自国にあっても大使館のように、おいそれと踏み込めない。 本社の人間にも触れさせたくないものがあるという事だ。 それはサウンドメディカルの暗部。 厄災をまき散らしている箱の底部。


「たぶんな。 非常口なんて無いだろうし、これだけ頑強な箱だ。 余計なものはこさえてないだろ」


 当然だが、表面的に分かりやすい鍵穴も電子制御版も見当たらない。 その扉は殆ど壁と一体化している。 開錠を試みたいが、とっつくポイントがなければどうにもならない……。


 しかし、状況に苦慮しながら壁を触っていた季人から突如、「……あ」と気の抜けた声があがった。


『どうしたんだい?』


「いや、その……」


 扉を確かめる為に指でなぞりながら壁を歩いていたが、少し強めに押してみると、一枚岩ともとれた鉄の塊に三センチ程の隙間ができてしまったのだ。


「開いてるんだけど……」


『まさか……本当に?』


「これがデフォルトなのか……? いや、いやいや。 んなことないだろ」 


 季人は若干興奮した声で自分を納得させ。 ドアの隙間に指を入れ、鈍重な鉄の塊を思いきり押し込む。


 初めに少し開いた時とは違い、かなり力がいるようだ。


 ズズズ、と全体重と筋肉を総動員して一人分通れるスペースが出来た。


 そこから季人は猫の様に顔を入れて中の様子を覗き見る。



 ――「いらっしゃい」



 そんな声をかけられるとも思わずに。

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