第23話 酒場のお仕事① 料理本

 ぐつぐつぐつぐつぐつぐつ――――……。


 大釜で煮られる特製ポトフから何とも美味そうな香りが漂ってくる。

 少女はその蓋を少し開けて香りを吸い込むと、

「うん。いい感じですわ~~♪」

 と、はんなりとした口調で笑顔になった。


 青くて長いストレートの髪を赤いほっかむりで押さえ、やや垂れた優しげな目と口元のホクロがチャームポイントの彼女は名をライカと言う。


 一般人がよく愛用している厚手生地で作った頑丈なワンピースに、可愛らしいフリフリエプロンを着込んで、彼女は忙しそうに厨房で色んな料理をしていた。

 そのエプロンには刺繍でロゴが描かれている。

『大衆酒場・モーゼル亭』と。


 王都アストラの外れにある、とある裏通り。

 そこにモーゼル通りと銘打たれる小さな商店街があった。

 知る人ぞ知るその商店街は、表通りほどの賑やかさはないが、そのぶん質実剛健、職人肌の店ばかりが立ち並ぶ。


 その一角にモーゼル亭はあった。


 大衆酒場というだけあって昼間は準備時間で、営業は夕方から。

 ライカはそこの看板娘であり優秀な料理人でもあった。


「え~~っと……ポトフはもうすぐ出来ますし。三羽鳥の香草焼きは完成しましたし。パスタ用のトマトソースも作りましたし……マーボードーフと揚げ物も下ごしらえは終わってます。後は……魚と腸詰めでも焼いときましょうか……」


 思案を巡らせるライカに、


「ヤリジカシチューの仕込みはしなくていいのかい?」


 尋ねながら、恰幅のいいおばさんがモップを担いで二階から下りてくる。


「あ、母様。二階のお掃除は終わったのですか?」

「ああ、終わったよ。まったく汗臭いったらありゃしない。……まぁこれも仕事だ文句は言ってられないけどね」


 鼻をつまんで言うそのおばさんはライカの母である。


 酒場の二階は簡易宿泊施設になっているのがこの世界の常識で、このモーゼル亭もご多分に漏れずそうなっている。

 宿泊を専門としている宿屋と違うのは、部屋が一つ一つあるわけではなく、そのかわり仕切りのないだだっ広い床が解放されていること。

 寝たいやつはそこで好きなように転がって寝たらいい、と、いわゆる雑魚寝スタイルでの提供となる。

 その代わり一泊の料金は本格的な宿屋の半額程度なので、金のない連中はたとえ板の間だろうが酒場の二階に泊まり込むのが定番となっている。

 だた、そんなところに泊まろうとする客など大抵、身なりを気にしない汚れた冒険者ばかりなので、深夜から朝にかけてはその悪臭がすごいというわけだ。

 それを消すため、毎朝の床磨きは特に丹精を込めてやっている。


「そうそう、ヤリジカシチューの仕込みがあったんですわ」


 言われてパタパタと準備をし始めるライカ。

 もともと料理は母であり女将のオリンパが作っていたが、娘の料理の才能を知ってから、いまや食べ物系の仕事は全てライカに任せていた。


 その代わり女将は掃除とバーテンの担当をしている。

 あと一人ウエイトレスを雇っているのだが、開店するにはまだまだ時間はある。


「ああ……どうしましょう、仕込みに使うお肉が少し足りませんわ」


 地面を掘った保管庫を覗き込みながらライカは困った顔をした。


「買ってくればいいだろう? 開店までまだまだ半日はあるんだ、火の元は私が見ておくから行っておいで」


「そうですね、ではちょっと行ってまいりますお母様」





 そうしていそいそと通りを歩いて肉屋までやってきたライカだが。


「あらあら、まあまあまあまあ……」


 見上げて呆然と口を開けてしまう。

 肉屋があったはずのその建物が大火事になっていたからだ。

 窓や石壁のすき間から大量の煙が上がっている。

 周囲にはそのようすを面白そうに見物している野次馬が集まっていた。


「た、大変……!!? わ、わたくしも何かお手伝いしなきゃ……!!」


 頭にバケツリレー的な運動を想像しながら右往左往するライカ。

 しかし周りにはそんなことをしている人間は誰一人いない。


「あ……あの……みなさん……火事ですよ~~……」


 弱々しく呼びかけてみるが、みんなは知らん顔で、モクモクと盛大に空へ広がっていく煙を楽しんでいる。


「あ……あの、え~~と……」

「やあ、モーゼル亭のライカちゃんじゃないか?」


 そこへ当の肉屋の店主、ムートが話しかけてきた。


「あ、ム、ムートさん。大変です、お家が燃えてらっしゃいますよ?」


 慌てて立ちこめる煙を指差し教えてあげるライカだが、


「あ~~あれは違うんだ。……ちょっとね、増えてきたネズミを退治しようと思ってさ。デネブちゃんから譲ってもらった薬を焚いているんだよ」

「あ~~~~~~……」


 それで全てを理解したライカ。


 つまりあれは火事なんかじゃなくデネブおさななじみの魔法具が出している煙ってわけだ。


「そういうわけだから、今日ウチは一日休むことにしてね。今からカミさんに内緒で飲みに行こうかと……、あ、夕方になったらモーゼル亭にも顔をだすよ。なんせライカちゃんの作る料理は美味いからなあ、今日のおすすめは何だい?」

「おすすめは……三羽鳥の香草焼きと、キノコと獅子肉腸詰めのポトフですけど……えぇ~~と、そんなことより今日お店やってないんですか?」

「ん? ああ、見ての通りあのありさまじゃね、仕事にならないだろう?」


 石造りで出来た肉屋の店舗はしっかりと木戸が閉じられ、その隙間や窓、壁の割れ目など、いたる隙間から煙が噴出している。

 これだとおそらく中は息もできないほどに煙が充満してしまっているはずだ。


「……あの~~……わたくし、ヤリジカのもも肉を買いに来たんですけど」

「あっちゃあ~~、そいつは悪いなぁ~~……今日は無理だわ、明日なら用意出来るんだけどなぁ~~。もっとも生肉じゃなく燻製肉になってんだろうけどな。あっはっはっはっはっはっは」


 陽気に笑うムートさんを置いて、ライカはトボトボと店に戻った。

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