《修行中の半亜人》:敵対者②

言葉に力が宿っている、ファーレイはそう感じた。


幼少期から騎士とはかくあるべきと説かれ、騎士となりうる天性の才に磨きをかけ続け、稀代の天才あるいは英雄に最も近しいと叫ばれているファーレイですら目の前にいる圧倒的な存在の前ではまるで無力に感じていた。


すると、脈打っているかのように魔力の波長が鼓動し始める。

ファーレイは己の根源たる魔力が高まるのを感じた。


「あら、純粋な魔力を持っているのね」


全身を濃い紺色のローブで包み込み、手や首さえも露出していない来訪者がファーレイに言葉を発する。

ほっそりとした脚や腕、そして腰回りが性別を不詳とさせているが、ローブの上からでも若干強調されている胸部と来訪者の声音が、女という性別を二人に教える。


「どういったご用件なのかお尋ねしてもよろしいでしょうか」


教皇庁の心臓部まで部外者が侵入するには少なくとも三つの魔法結界を破壊しなければならない。しかし、それらを破壊したのならばカルロスやファーレイが気づくはずだ。ここまで誰にも悟られず辿り着くのは理論上、不可能なはずである。


いや、はずであった


だが、現に目の前で不可能が可能に書き換えられた現実を突きつけられて二人の感情は怒りから困惑へと変わった。


「助祭カルロス・モデラ、並びにファーレイ・ミニュ・テスレイ聖騎士団長」


名前を呼ばれると最初はカルロス、次はファーレイが身体を震わせる。

二人の名前を謎の人物が知ったからではない。カルロスは民衆の前で演説を行うことがあり、ファーレイも顔はよく知られている。

まるで身体の奥深くまで見透かされているような響きに居心地の悪さを感じたのだ。


「突然の訪問に驚いていることでしょう。非礼は侘びます」


優雅な一礼。お手本そのものだ。


「時は金なりと言いますから無駄な社交辞令はこの際割愛させてください。しかし、風の噂なのですが、何やら儀式のご準備をなされているとか。よろしければ、その儀式の内容を教えて頂きたいと思っております」


顔を見ることはできない。しかし、その声音には微笑が含まれている。

ファーレイがカルロスへと目を向ける。

そこには顔面を蒼白させ、手足が小刻みに震えており、脂汗を流しているカルロスがいた。


「できない、と言ったらどうされるつもりですか」

「この際、拒否権はないと思っていただいて結構です」


断固とした態度。

高位の司祭であるカルロスに対して傲岸不遜だが、謎の来訪者にはそれを一切感じさせない貫禄がある。


「ここは一度、相手の話を聞いてみましょう。我々二人だけでどうにかなるような相手ではありません」

「お、お、お前は一体何なんだ! どこから入ってきた」


ファーレイの助言も虚しく、助祭という立場、矜持をかなぐり捨てたカルロスが声を荒げた。


しかし、とファーレイは考えていた、何なんだというカルロスの詰問は確かに正確かもしれない。静かに話している何かは人語を話す魔物である可能性も捨てきれない。

どちらにせよ、神聖な都である教皇庁に悪が侵入したというのは事実だ。


「知らないほうがお互いのためだと私は考えておりましたが……よろしいのですか」


前半はカルロスに、後半はファーレイに対する言葉のようだ。

よろしいのですか、という言葉に含まれた何か恐ろしい物に気づいたファーレイがカルロスを再び静止しようとするが、既にカルロスは口を開けていた。


「姿を現せ! ここは御神のおわす聖域であるぞ!」


すると、来訪者が両腕をあげる。ファーレイはその動作に合わせて剣の柄に手をかけるがすぐに緊張を解いた。


闇を切り取ったかのようなシンプルな漆黒のドレスが足元から消え去っていく。

左手の人差し指に填めている紅玉の指輪が怪しげに輝き、どこからともなく現れた青色の光を先端に宿す杖がその手に握られている。

背中の中程までに達している艶のある黒髪が、全身の異彩さを際立たせている。

そして何よりも目を引くのが……


「馬の仮面…まさか」


ファーレイが息を呑み、カルロスは腰を抜かす。


「《ディアマンテ》の副団長クリスティーナ・デンだ。民を導く神官と正義を執行する騎士に警告する。人々の平和を妨げ、不利益をもたらす悪事を企てるようなことをするな。虎の尾ならまだしも、竜を目覚めさせたくはないだろう」


未知の訪問者であった頃とは打って変わり、口ぶりが豹変する。

だが、誰がそれを咎められることができるだろうか。


クリスティーナ・デン。

『五大英雄』の一人であり、古の時から生きている歴史の体現者そのものである。

暗黒の時代に生きていた人々に希望を与え、新しい時代の礎を築き上げた当本人を目の前にして、何が言えるというのか。


偽者という可能性もあるが、英雄を騙るほど愚かな人間はいないだろう。


「助祭カルロス、この件からは手を引いた方がよろしいかと忠告します。私は忙しい、無駄な手間暇を小さな事柄にかけている時間はありませんので忠告は一回です。よろしいかしら」


再び、柔らかな物腰になったものの、その言葉の一つ一つに力が宿っていた。

硬直し、身動きの取れないカルロスに落胆したのか、クリスティーナがファーレイに向き直る。


「あなたも、あまりお痛しちゃダメよ。うちの団長は違えた正義を嫌う頑固者だから」


すると、クリスティーナがファーレイたちの目の前からかき消える。文字通り、物質そのものが次元から消失した。


「それともう一つ。あの子は私たちのものよ」


ファーレイはクリスティーナの声が聞こえた左側を急いで振り返るが、そこには誰もおらず、少ししてからようやく、それが魔法的な作用であることを悟った。

緊張で飽和していた空気が弛緩していく。

ファーレイはそこで初めて自分が呼吸していないことに気がついた。


「……ハァハァ……あれが……英雄」


純然な魔力でファーレイはクリスティーナ・デンという英雄の足元にすら及ばないに違いない。緻密なまで練り上げられた魔力は流石としか言いようがなく、その美しさを思い出す度に憧憬の念を覚えてしまうだろう。


だが、圧倒的な力の波動、場を満たすような存在感は感じなかった。

それが逆に恐ろしく、底しれぬ力を秘めているように感じてならない。


「それで、カルロス様。儀式とやらについて、ご説明して頂けますか」


力なく床に座り込んでいるカルロスに詰め寄り、次こそは真実を吐き出させようと、ファーレイが詰問を続けるのであった。

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