第33話、遊戯はほどほどに

 溶岩流れる中層の区域。


 灯りはない。光源はどろどろと流れる溶岩流のみ。


 他には黒々とした岩しかなく、植物の類も一切ない。


 生命体は……。


「…………」


 ……マスクをした子供が一人。


 不思議なことに宙に浮かび、髪色と同じ赤々と流れる溶岩に肌を赤らめていた。


 目の隈は濃く、目付きも冷え切っている。


【見えざる手】シス・キネィ、魔眼を持つ若き黒雲級であった。


「…………」


 無言で溶岩の流れを見つめていたシスの瞳に魔法陣が描かれる。


 溶岩が……二つの竜巻のように宙へ渦巻いて舞い上がる。


 子供に悪魔が宿るかの如きシスを中心に、空中を優雅に泳ぐ二つの溶岩流はまるで遊戯を楽しむ雌雄の龍のようである。


「やっぱり隠れてた……」


 溶岩流の失せた窪みへ、シスは虫けらを見る眼差しを送る。


 そこにいたのは、黄色の巨大な蟷螂の魔物であった。


 他のゾーンで狩りをし、腹が膨れればこの溶岩流の中で息を潜める。


「紫山級までは魔物をどう倒すかを考えるけど、僕等は違う。黒雲級に倒せない奴なんていない」


 長く討伐を免れて来た特異種の一体である。


「だから上層中層ここじゃあ、黒雲級からどう隠れるかで魔物の難度は決まる。お前はなかなかだった」


 小さな子供の手が握られる。


『ッ――――』


 念力の魔眼により周囲の岩の面が剥がれ、蟷螂を閉じ込める。


 耳障りな金属音が激しく鳴り響き、蟷螂をすり潰しながら岩石は上昇して蠢く。


「よわ……」

「酷いことするねぇ」

「…………」


 蟷螂から削られた刃の破片が漏れ出る岩石の球に、軽やかに飛び移る影があった。


「……何しに来たの、ロクウさん」

「何って、手ぇ貸してやろうってな」


 未だ圧縮される岩球の側面に棍を突き立て、膝裏を引っ掛けてぶら下がるロクウ。


「いらない」

「そう言うな。もう遅ぇけどな」


 棍先より多大な炎を内部へと送り込み、岩石を内から爆破した。


「…………余計な真似をしないで欲しいよ。他人の獲物を掻っ攫うのはマナー違反だろ」


 蟷螂の刃片や赤くなるほど熱された岩の破片などが勢いよく飛散するも大小問わず全て、マスクの下で爪を噛むシスの直前で停止する。


 宙を踊っていた溶岩流を窪みに戻しつつ吐き捨て、見上げるロクウを睨み付ける。


 溶岩流をぶつけてやろうかとも考えたが、動きが速くて捉え切れないと悟る。


「相も変わらず無愛想な野郎だねぇ、テメェは。まっ、とりあえず第二安全地区で飯でも食おうじゃねぇか。奢ってやるよ」

「……一回、上に戻るつもりだったからいらない」

「マジかよっ、折角潜ったのにトンボ返りかよ!」


 本当はロクウから逃げるつもりで適当に口にしただけであったのだが、何故か同行することとなってしまっていた。


 黒雲級といえども中層から上層への帰還は数日を要する。


 シスの疲労の日々が始まった。


 ………


 ……


 …



 一日目、大喧嘩をしてゾーンを死闘の場と変えてしまった。


 二日目は口も効かず、身振り手振りで意思疎通を図った。


 三日目。最早シスは我慢は限界を迎えていた。


 馴れ馴れしいのは嫌いだ。粗暴なのも。だが喧しいのはもっと嫌いだ。


 つまり……イビキだ。


「もう寝るな。死ねとは言わないけど、もう二度と寝ないでよ」

「うん、死ぬなそれ」

「どれだけ離れても聴こえてくる。今も頭から離れない。お前のそれは呪いなんだよ」

「ガッハッハッ!! 小せぇこと気にすんなや!!」


 豪快に笑い飛ばして肩を叩くロクウの手を魔眼で弾き、本気の殺意を抱く。


「気安く触るなよ……シユウさんはよくこんなんとやっていけてるな」


 愚痴溢すシスが浮かび上がり、一歩先を行く。


 かつて巨大なワームが巣食っていたとされる岩の空洞迷路を通り、最短ルートを進む。


「……は?」


 操る松明を先導させていたシスだが、目の前から迫る暗い煙に驚く。


「お〜い、下がれや。おいらがやるからよ」

「…………」


 連なる魔蚊の群れが、殺到して来ていた。


 ロクウは素早く床に棍を突き立て、深く……深く深く深く息を吸い込む。


 そして倍近く膨れ上がった胸の中の空気を、炎灯るそれへと一気に吹き付ける。


 空洞内を、灼炎が染める。


 視界を覆い、それでも吐き続け、生み出され続ける炎は空洞の奥へと溢れ出す。


「――――っ!? ……おい、なんか来てんぞ」

「今のを越えて来てるの?」


 蚊の焼かれる臭いと薄まった空気に息苦しさを感じるシス。


 棍を引き抜いたロクウと共に、炎を掻き分けてやって来る異質な存在へ備えた。


 現れたのは、思わず顔を顰めてしまう存在であった。


『ッ――――!!』


 人間を思わせる表情豊かな大きな顔面に、六メートルを越えて天井スレスレを行く巨体。


 猿を彷彿とする手足に、蠍のような背と尾。


卑劣な一家チェイサー】である。


「っ、背後は!?」

「いないっ、こいつだけ……!」

「はぁっ? マジか、どういうこった!!」


 悍ましき魔物を目にしてロクウがまず視線を向けたのは、【卑劣な一家】のその先。続く一家の家族の確認であった。


 この魔物は特異種にも関わらず、数が増える。姉妹がいる。


 常に複数の万全の備えで、この地底魔窟をゾーンの垣根を越えて自由に行動していた。


 それが今は、前方にも後方にも家族の影はない。悪性の性根を持つが故に何かの罠を疑うも、迫る一体を無視する訳にもいかない。


「やるぞ、ガキ!!」

「ガキって言うな……」


 戦闘を楽しむ似た者同士の二人だが、この魔物ばかりはそうもいかず確実に駆除しなければならない。


 武の練度の高さを物語る巧みさで、二老棒を回転させて操る。シスの瞳の魔法陣もより輝く。


「…………っ」


 念力で【卑劣な一家】の足首を固定し、転倒させる。


 そこを時計回りに回転していたロクウの棍が跳ね上げ、大きな顔面の鼻っ面を打ち抜く。


 しなる棍は重量凄まじい分厚い肌にめり込み、容赦なく跳ね上げる。


『ぴぇええ!?』

「ちっ、うるせぇ!! 気色悪ぃ声聞かせんじゃねえ!!」


 弱者の悲壮感を漂わせて涙を流す【卑劣な一家】だが……演技であった。


 それが分かるロクウとシスは攻撃の手を止めたりはしない。


『…………ピギュぁっ!!』


 豹変して険しい顔付きとなった【卑劣な一家】が、ロクウへと拳を振り被る。


 シスの胸元にある魔検石のペンダントは、“黒に程近い濃い紫”へと変わっていた。


 しかしロクウもシスも、魔検石を一瞥すらしない。


『アォ!!』


 拳をロクウへ打ち下ろす素振りを見せ、虚を突いて尾をシスへ叩き込む。


 石は知能までもは判定しない。


「それで人間様の頭脳を超えたつもり……?」


 振られつつあった尾を操作して脚に絡ませ、今一度転倒させる。


「ロクウさん、首へし折って終わらせるからもう少し弱らせてよ」

「あいよっ!!」


 筒状の空洞を、縦横無尽に跳躍し始める。


 更に右に左に棍を回転させ、自身の回転も加わり跳ねる度に勢いは増していく。


『ッ――っ、ウゥ――ッ――ひぃっ!!』


 絶え間なく浴びる殴打に呻き声を漏らす【卑劣な一家】。


 一手、一手に破裂音が鳴り響く。


 明確に自分を弱らせる為に繰り出される打撃に、体力は着実に削られていく。


「…………」


 シスが複数の松明を操り、姿も搔き消える程に加速するロクウを補助する。


「どうせ悪事の帰り道だろうがっ、さっさと逝っちまいな!!」

『アァンっ!?』


 挑発を理解してのか、蓄積するダメージに危機感を覚えたのか、激憤に顔を真っ赤に染め上げた【卑劣な一家】が急速に身体を転がせてロクウを弾く。


 振り回されただけの尾先の針が、岩壁を削り飛ばす。


「とっとっと…………痛め付けずに、さっさとトドメいっとくべきだったか?」

「どっちでもいいよ。くぁぁ……結果は変わらないよ……」

「食らうなよ、結構パワーあんぞ」

「悪いけど攻撃もらったことないから、僕」


 欠伸を堪え切れないシスを前に、【卑劣な一家】の形相は感情豊かに怒りを表して歪められる。


 空気が破裂する程の打撃をあれだけ痛烈に打ち込まれた肌だが、痣の一つもない。皮下のぶよぶよとした脂肪のようなものが衝撃を吸収したようだ。


「いつ見ても醜いね。今回の討伐目標に入ってるんだっけ」

「あぁ、こいつ等は間違いなく入ってるぞ。てか常に入ってる筈だ」

「なら僕も“マザー”討伐に参加するよ。こいつ等の顔はもう見たくない」


 獲物を挟んで会話する二人を前に、【卑劣な一家】は魔力を滲ませていく。ここからが本気だと言わんばかりに、力んだ肌に血管が浮き出している。


『…………』


 自分の尾を、もぎ取った……。


「……マジで異常だっての」

「…………」


 言葉を失う二人を置き去りに、武器として試し振りして強固な空洞を思うがままに斬り刻んで遊ぶ。


『イヒヒヒヒっ!!』


 崩落を思わせる程に刻み込むその威力はロクウもシスも認めるものだが、その過程が狂っている。


 中には自身の尾を囮として切り離すなどするものもいるが、【卑劣な一家】の体の作りがそうなっていないことは千切られた肉や骨が丸見えの血液噴き出る臀部が示していた。


 やはり生物として間違っているのだと……再確認する。


『――――ウアぁ!!』


 満を辞して不恰好ながら横薙ぎに振るう相手は、散々痛め付けた大きめの人間。


「もうやっちまうぞ? よっ――」


 くるりと側転宙返りで針先を避けつつ、強かに尾の鞭を蹴り弾く。


「死ね……」


 瞳の魔眼は光り輝き、注がれた魔力の大きさを感じさせる。


 しなった針は念力により急速かつ急激に行方を変え――


『ほぇ…………』


 こめかみに突き刺さった己が針を横目に、数秒後に【卑劣な一家】は白目を剥く。


 仰向けに倒れ、白目の中に毒らしき緑の線が走る。


『…………』

「……あ〜、もう。死んだふりでしょ?」

『…………ッ――』


 正真正銘の止めとして、憤りを込めた魔眼は光った。演技の為に脱力状態にあった首の骨を捻り折り、【卑劣な一家】の一体が完全に駆除された。


「他の魔物は絶滅するまでオモチャにする癖に、自分達は何してでも生きようってところ、ホント嫌いだ……」

「言ってても仕方ねぇ。とにかく一番たちの悪いマザーを見つけねぇとな」


 ただの子供でさえこのしぶとさ。


 黒雲級でなければ対処困難な強さと生命力であるのも、この魔物の悪質さを表していた。


 もしも紫山級が相手取ったのであれば……。


 

 ♢♢♢



 人面が二つ。


 巨大で、頭髪もなく、不気味に表情豊かな人面が、水面に天井にと飛び跳ねる。


 その強さは個としても強大。


 あのアルディンを除き、抗える魔物は数少ない。それが単身だけでなのだ。


『ホホホホホホホホホホホホ!!』


 追いかけっこをしていた。


 野を駆ける駿馬、空を行く鷹、それらよりも速く飛び交う。


 前行く人型の巨影は黒い飛膜を腕から横腹を伝い脚まで生やし、天井の突き出た石柱から滑空して逃げる。


『なぁぁぁぁあうぅ!!』


 追う斑点柄の一体は四足で駆け、牙を剥いて姉を追う。


『……ぷす……ぷす』


 蠍の尾を持つ最も弱き妹は、不貞腐れながら遠くから姉等の遊びを眺めつつ周囲を見張る。念には念を入れるのが、母の言いつけであった。


 姉妹とされるも、雌雄はない。生殖器もない。


 これらは特徴がまるで異なるも、同じ【卑劣な一家】であった。


 この魔物は、当然に“母”が生む。


 真に特異種なのはその母で、この魔物は他の異なる種の子を宿すことができる。通常は有り得ない筈なのだが、それができてしまう。母は特徴混ざり合い産まれた子に命じる。また他の魔物を攫って来いと。


 生まれながらに強力である子等は放たれ、種を見つけるとまずその力でメスだけを駆逐する。そしてオスだけを持ち帰られる限界まで連れ帰る。


 母は特殊なフェロモンを用いてそのオスから新たな子を宿す。その後のオスは赤子のオモチャか食糧に。また種を潰して子を産む。この繰り返しだ。


 これまでに七種の魔物が絶滅している。


 しかし常に行われている捜索の目を擦り抜け、母はこれまで一度しか人の目に触れていない。


『ゆろろろろろろろろっ!!』


 羽ばたき上昇し、また滑空して地を駆ける妹を引き離す。


 よく聞けば気色悪い鳴き声に混じり悲鳴のようなものが聴こえ、よく見れば【卑劣な一家】の手には小さな影がある。


「イヤっ! カッ、は……」


 鼻や耳から血を流す【キルギルス】の女性。


 かれこれ五分間も巨大に肥大した手に握られ、空を急速で飛行している。


 更に――


『グァァんっ!!』

『ほほっ!』


 地が震える程に強く蹴って飛び掛かる妹を避け、女性を遠くへ投げてしまう。


「止めろっ、止めてくれぇぇー!!」


 最後に残された・・・・・・・【キルギルス】の男性が追い付ける筈もない速度で飛んだ女性を追う。


「…………」

「…………」


 先に遊ばれた他の三人は、既に沈黙して倒れ伏している。


『っ……!!』

『ほほほほほほほ!!』


 着地して駆け出そうとする妹を置いて、天井から再び滑空。


 いとも容易く先行く女性に追い付き、掴み取ってしまう。


 遊びゲームは終わらなかった。


「うぐぁ……」

『ロロロロロロロっ!!』


 掴まれた脚が砕けるも、肺にあるのは僅かな空気だけ。捻り出たのはか細い呻めき声のみであった。


 かかる重力、死なない程度にと大雑把な力加減で握られる握力、速度の落差、言うまでもなく限界を迎えつつある。


 今がベストだろう。


 そう判断した【卑劣な一家】は旋回し、女性を――


「なっ……!?」


 男へと放り投げた。


「――――ガッ、くぁ!!」


 絶望感に諦めそうになるも覚悟を決めて受け止める。


 だが人の重さに降下の速度も加わり男は女性と共に吹き飛ばされてしまう。


『ヌグ……!!』

『ほほほほっ』


 悔しそうな妹と人間の男への嫌がらせは満足のいく形であったようだ。


 ここで終えてもいいが癖なのか、教育なのか、メスは殺さずにはいられない。


 ぶら下がっていた天井から降ちる。


「…………」


 女性は呆然と赤く染まる視界の中で、大きくなる影を見る。


 人の足裏を大きくしたような影。


 次に感覚のない中で、仲間を背に下敷きにしているのを察する。


 気を絶っているのか動かず、ただ鼓動を感じる。その脈動の度に逃げて欲しかったと、涙が溢れる。


 思考などできない。掴まれて飛び立ってから何も考えられない。


 だからこれは無意識な、心底からの願いだったのだろう。


「た、すけて……」

「勿論だ」



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