第四話 軍役




天文十二年(1543) 十月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 龍王丸




所領を拝領して最初の収穫を得たことで、軍役を課すと父上から言われた。もっとも、“お前の部隊を前線に投入したところで数も経験もなく役に立たないことは分かっている。ただ数は揃えろ”

との事だった。これは逆手にとれば、”頭数さえ揃えてあれば質は問わない”ということだと勝手に理解した。


だから子沢山で、食い扶持に溢れている武家の三男坊や四男坊と、貧困に苦しむ孤児たちを常備兵として囲うことにした。武家出身の男たちは十代が中心で、将来の将校・幹部候補生と見ている。


一方、孤児たちはまだ十歳にも満たない者たちを多く集めた。幼い分教育もしなくてはならない。だか幼い孤児に目をつけたのは洗脳教育をしたかったからだ。算学や兵法といった基礎的教育の他に、絶対的な忠誠心を植え付ける教育を施す。


そのために住み込みの施設、調練の施設等々、全て俺の私財で作った。これは陸軍士官学校をモデルにしている。将来は今川の防衛大学校にしていくつもりだ。とりあえず兵学校と呼ぶことにした。形になってきたら正式な名称をつけることにしよう。


まぁ、まずは集めてきた童たちを兵士にせねばならん。誰が“飢えに苦しんでいた君たちを食わせているか”というのをしっかり植え付けていく。鬼畜なことと言われるやもしれないが、俺だって生きるか死ぬかの戦いをしているつもりだ。生き残るためにやれることを貪欲に、粛々とやっていくさ。




天文十二年(1543) 十月下旬 駿河国安倍郡府中 兵学校 松井 五郎




龍王丸さまの命で集められてきた童たちに対する午前の調練が終わった。童たちへの教育は、明け方から昼までが調練、昼飯を挟んで小休憩後、算学や兵法の座学になる。武家から来た幹部候補生は皆座学になると眠そうにする。調練は家で鍛えられた基礎があるからか皆得意気なのだが、座学は軽視しがちな者が多い。


一方、孤児出身の童たちは何事にも必死で貪欲に修得している。何分、怠ければすぐにここを追い出されて、明日をも知れない生活に戻ってしまうからだ。実際、開校当初に数名が追放された。座学中に居眠りを続けていた者たちだ。もっとも、居眠りに近い状態だったが追い出されていない者もいる。睡魔と懸命に戦っていた者たちだ。


“この程度で諦めるものは戦場で役に立たん”と突っ伏して寝ていた者たちは追放された。龍王丸さまは理不尽なことはされない。効率を好み面倒を嫌われる。厳しさはあるが、仕えがいのある方だ。


はじめは余りにもお若く、その供回りを命じられたのは不本意だった。戦場にいく方がいかほど将来の糧になると悔やんだことか。だが今は違う。龍王丸さまは確実に、着実に今川を豊かにされている。この方は今川を更に大きくされるだろう。俺はそれを全力で支えるのだ。さて、次は何をされようとしているのだろうか。


「願いましては~」

物思いに耽っていると、今川家御用商人である友野屋から来た講師役の手代が、一際大きな声を上げた。いかぬ。次の問題が始まろうとしている。俺は算学があまり得意ではない。だから一緒に算学の講義は受けるようにしている。


孤児の者たちと同じ場で習うことに、はじめは抵抗があった。だが講義の内容が難しくなるにつれ、なりふり構うのをやめた。孤児だった者が分かるのに俺が分からんということは避けねば。




天文十二年(1543) 十一月上旬 駿河国安倍郡麻機村 草ヶ谷邸 草ヶ谷之長




久しぶりに実家に帰って来た。龍王丸さまの直臣になったことで今川館内に部屋が与えられ、そこで寝泊まりすることが多かったが、龍王丸さまが麻機村で作り始めた茶畑の視察をされたいと仰せになったので、椎茸や竹細工等の生産状況も含めて時間をかけて視察されることになった。明日からの視察に向けて、今日は我が家にお泊まりになる。


もともと我が家は、代官職を行う代わりに今川から200石程の禄を受けていた。豪奢な生活はできないが、それなりの生活をしていると言えるだろう。供回り全員が十分に寝泊まりできる大きさをもった屋敷を持っている。


龍王丸さまは麿の父上である式部大輔と実務的な話をされたあと、蔵に行かれて本の虫になっている。蔵には我らの先祖が綿々と書き留めてきた資料がある。宮仕えの記録だ。父上は式部大輔、麿は大学頭を名乗っているが、残念ながら自称に過ぎない。曾祖父の頃までは京の高辻家と親交があったようだが、今では文のやり取りも無くなっている。


後醍醐帝に近かった我らのご先祖様は、南北朝の争いの折に南朝に属して、北朝方の足利に対抗する武力を集めるべく駿河に下向された。庵原郡にある草ヶ谷村に居を置いたので、草ヶ谷と名乗りはじめたと伝わっている。


地場の御家人であった狩野氏とともに、足利一門・駿河守護である今川と戦ったが敗れて今に至っている。降った折りに、今川館から目と鼻の先にあるこの村に居を移されたとも聞いている。ご先祖様を破ったのは今川になるわけだが、もはや敗れて久しく、麿に今川へのわだかまりは無い。


だからこそ龍王丸さまのお誘いは、お家を再興するいい機会だと思った。龍王丸さまは矢継ぎ早に新しいことをされている。お家のことも大事ではあるが、今はこのお方の側で得る新たな経験が楽しい。


狩野伊豆介殿にも声を掛けてみよう。龍王丸さまは過去にとらわれず人をお使い下さる。彼らは我らと異なって今川から禄は貰えなかった。武士の矜持か野盗にはならなかったが、大工や忍びのようなことをこなして食いつないでいる。


今一度名を上げたいと思っているはずだ。麿も知己である伊豆介殿がいれば心強い。彼の忍びが情報を得てくれれば戦でも商いでも役に立つ。まずは龍王丸さまにお話ししてお考えをお聞きしてみよう。




天文十二年(1543) 十一月上旬 駿河国安倍郡麻機村 草ヶ谷邸 龍王丸




眠い。昨日は遅くまで蔵にこもって蔵書を読んでいた。行事の作法や人間関係等いろんな事が書いてあった。パラパラと流しで読んでいたが、面白そうな話がまだたくさんありそうだ。もっと早く気づけば良かったな。蔵の存在に気づいた時はすでに夕刻だった。家臣の家に何泊も長居出来ぬし、夜に必須な蝋燭は高い上に危ない。この時代、書類は明るいところで見るのが基本だ。夜更かしには気を付けよう。


さて、朝餉をとった後に茶畑の視察に出向いた。茶畑は今川領内にもすでにいくつかあった。茶農家からノウハウを聞いて、麻機村の北にある賎機山(しずはたやま)で茶畑を作っている。来年の初夏にはしっかりとした茶が採れるだろう。そんな事を考えていると、覆下栽培を思い出した。


茶葉にあたる光を少し遮って、芳醇でまろやかな茶を作る製法だ。前世の祖母の実家が茶農家だった。小さい頃は茶摘みによく駆り出されたものだ。覆下栽培は、確か安土桃山時代の頃から広まっていったはずだ。茶道の検定を興味本位で受けた時に勉強した覚えがある。ということは、まだどこも取り組んでいないかもしれない。


今のうちに覆下栽培で高品質な茶を生産してブランド化していこう。静岡茶は栽培地域が広すぎてブランド力が曖昧だった。掛川茶とか川根茶とか地域ブランドもあった。駿河茶などよりも地域を限った方が高級ブランドに育つかもしれないな。となると商品名は“賎機山茶”か?うーん語呂が悪いな。賎機茶にしてみようか。




天文十二年(1543) 十二月中旬 駿河国安倍郡府中 草ヶ谷邸 龍王丸




転生を自覚して二度目の冬を迎えた。戦国時代は小氷河期だったという論評を見たことがあるが、確かに寒い。前世での静岡は温暖で暖かな冬だったが、それよりもかなり寒く感じる。


清酒作りの工程で出てくる粕をもらって作った、甘くない甘酒を飲んでいる。砂糖は貴重だし糖分の取りすぎは虫歯が怖い。そういえば歯ブラシが欲しいな。糸ようじもだ。前世での俺は意外と口腔ケアはしっかりやっていたんだ。


モテる役員でいたかったからな。思い付いたらすぐ欲しくなってきた。馬の毛や豚の毛を使ったブラシがあったから同じようなものを作らせよう。特産品として商品ラインナップに追加しよう。また儲かるといいな。


水田の整地、清酒、椎茸、茶と色々取り組んできた。おかげでちょっとした金持ちになってきた。年収は前世でいうところの数億円というところだ。今は石鹸を開発させている。転生ものの小説を読んで知っている程度の知識しかなかったから苦労したが、クリーム状の石鹸はできたと報告があった。


もう少しすれば固形化された石鹸ができるだろう。女性受けするような香りを付けて売りだそう。保湿性や美肌効果も要研究だな。利益に貪欲でいこう。石鹸、綿花、塩田とネタは豊富にある。やりたいこと、やれることはたくさんある。忙しくも楽しい毎日だ。


それなりに商品を作って感じていることは、生活必需品であれば、作っただけ売れるということだ。前世で俺は平成のデフレ期を長く過ごしたからか、他と違うような良いものを作らなければ中々モノは売れないという感覚がある。


だがバブル前の商売を知る父親は、よく“昔はモノを作れば売れた。モノを作ることよりもどうやって運ぶかが大事な位だった”と言っていた。まさにその状態なのかもしれない。この時代は必需品が圧倒的に不足している状況なのだろう。もっと作ってもっと儲けてその金で新たに投資をしていく。


それから菅ヶ谷村で無事に石油が出た。史実通り、そのまま自動車が動かせるような軽質油だった。色がかなり澄んでいた。安定して産出しているらしい。史実では最盛期に年産七百キロリットルほどあったはずだから、この時代にしてはかなりの量が得られる燃料になる。当面は炭作りにでも使って、将来的には峰之澤鉱山の製鉄事業に利用しよう。石油を保管するための樽が必要だな。樽を作るならウイスキーも作りたいよな。この時代、焼酎が徐々に作られ始めているらしい。神事に使われることもあるとか。前世ではスコッチが好きだった。今から開発していけば、酒を飲める歳の時期に、ちょうど良い頃合いのウイスキーが・・・いかんいかん。自分がまだ五歳ということを忘れていた。少しずつやっていこう。


峰之澤鉱山といえば、こちらはやっと開発に掛かりはじめることができた。大学頭が連れてきた狩野伊豆介直信を配下にして、彼の郎党を使った開発をはじめた。

伊豆介の一族は今川に敗れたあとに大工や忍のようなよろず屋家業で食いつないでいたようだ。百名以上の組織だった。秀吉が家臣にした蜂須賀小六のようなイメージだ。彼らの半分ほどを峰之澤に送り込んだ。


現地は磁鉄鉱がごろごろしていたらしい。まずは高炉を作るように指示している。前世で調べた初期型の高炉だ。十六世紀にはイギリスで既に使われていたタイプだ。製鉄所の取引先の応接室に飾られていた高炉をうろ覚えで書き起こして製作を命じている。


志戸呂の陶工に協力させているが、しばらく時が掛かるかもしれないな。だが完成すれば一日一トン程度の粗鋼ができるはず。結構な量だが、この時代は全国で合計すると三千トンほど毎年製鉄されているという論文を読んだことがある。さすがは戦国時代だよな。近いうちに直営の刀鍛冶を雇おう。将来的に鉄砲製作に転換すればいい。


伊豆介配下の残り半分の要員は、元々忍びというか工作員のような仕事をしていた者たちだ。父上に繋いでもらったお陰で伊賀の上忍が三名来てくれた。


忍の育成という彼らのノウハウを拠出する依頼に戸惑っていたが、一人百石の禄で召し抱えると伝えたら二つ返事で来てくれた。上忍の三人は金で雇われたというよりも、召し抱えられることと、高い禄を提示したことで、自分たちが期待されていると思ってくれたようだ。


ちなみに伊賀の方はかなり怒ったらしい。少なくない金を父上経由で渡したが、しばらく今川の仕事は引き受けてくれないかもしれないな。


上忍三人を召し抱える交渉がうまくいってよかった。やはりこういう交渉はどかんと破格の条件を提示するのがいいな。逐次投入は良くない。前世でもこの方法で結構うまくやって来た。相手の予想を超える条件を提示して、思考停止に追い込んで畳み掛ける。


もっと安く契約できる取引もあったかもしれないが、破談になることは少なかった。今回の禄も俺の年収から十分に出せる額だ。


狩野伊豆介を忍衆の頭領とし、伊賀の上忍を顧問として入らせた。忍衆には期待を込めて”荒鷲(あらわし)“と名付けた。鷲のように空から俯瞰できるほどの情報を得て欲しい、そして時には猛々しく目標に向かって欲しいと思っている。


伊豆介は涙を流しながら、若殿の御期待に応えたいとか言ってたな。大学頭とキャラクターが違って熱い男なのだ。まぁ俺のことを早くも若殿とかいって忠節を尽くしてくれているし、暑苦しいだけで、頭の回転は良さそうなやつだ。頑張って伊賀や甲賀を超える諜報機関になってもらおう。


“下”にもぐり、俺の“手”として動きながら、“多”くの情報を得て、“歩”み続ける組織、“下手多歩(ゲシュタポ)“としようとしたが大学頭に反対された。


“はじめて聞く音ですな。斬新ですが、先に出された荒鷲の方がなじみやすいでしょう”とさ。あいつ本当に俺と十歳違うだけか?冷静沈着さが半端ないぞ。


今年を振り返ってみると大きく収入を伸ばした一年になった。石鹸や綿花をはじめればさらに収入は増えるだろう。実績が出来てきたから拡大もし易くもなってきている。


新規事業は一層スピードアップしていこう。収入が出来てきたからこそ、長期戦略を整理しておきたい。ビジョンというやつだ。知行地は実績をもとに少しずつ増やしてもらい、米の確かな収穫を足掛かりに、現金収入で得た金を使って常備兵を雇っていく。


当面はこの拡張だが、その先をどうするか。やはり桶狭間で父上には亡き者になって頂こう。義元急死で家中がぐらつくとはいえ、二十二歳で当主として最高権力を握ることができるのは大きい。史実でも桶狭間の数年前に義元から家督を譲られていたはずだが、実権が全て氏真に行った訳ではない。事実、桶狭間は義元主導でなされているのだ。


桶狭間後は、それまでに整備する予定の常備兵部隊をもって徳川の東進を防ぎつつ、財力を用いて家中混乱を鎮める。その後は再度三河征討から尾張へという流れだな。

三河武士は松平が大事であって今川が大事ではない。獅子身中の虫とは言わないが使いづらいのは間違いない。離反するだろう松平を叩き潰して俺の武威を示し、上洛を目指すのがいいな。その先はこれから考えていこう。


財力と軍事力を貯めつつも、桶狭間への流れを消さないよう気を付けねばならないな。桶狭間イベントが起こりそうもなかったら、また対策を考えるとするか。というか桶狭間がなかったら尾張制圧を義元がして、大きくなった今川を俺がもらうのかもしれんな。



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