第16話 後編

 入ってきたのは、マキスだった。

「てめえも男なら、わからねえか?障害者として、ひまわりとして甘んじるより、人間として、男として生きることを選んだんじゃねえか。何がひまわりだ! 男を舐めてんじゃねえ!」

「なんだ……!失敬な……!」

 そっと静かに、島田に呟くのは、香具村だった。

「失敬なのは、誰だとお思いですか」

「何だと…!?」

「一人の立派な会計士の男が、ある日突然、ひまわりなんて名前をつけられる。それはどれほどの屈辱だったと思われますか。私は、あなたに伺いたかった。あなたは、それに想いを致したことが、おありなのですか?」

「う、うるさい…!当麻は障害者だったんだから、仕方がなかったことだ」

「教えてください。障害者とは、何ですか? あなたにとって、いかがですか?」

「そうだろう。病名が、そうだったんだから。何とか性障害って、あったじゃないか!」

「オッサン。じゃあ、聞くがな。躁鬱病と双極性障害の違い、わかるか」

「い…いや…、ソウがつくから……二重…人格のような……」

「馬鹿野郎!」

「島田さま。同じなのです。」

「同じ?」

「ただ呼び方を、変えただけなのです。呼び方が変わっただけなのです。そこに障害とついている事には、意味はないのですよ。パニック障害、発達障害、たくさんありますが、症状の重さとは全く関係がないのです。ちなみに、症状が特に重いとされる、幻覚・妄想を生じる統合失調症。障害という文字は、ありません。つまり……」


「あなたも含め、社会の誤解は、それほどまでに、大きいんです」

 香具村は言った。「それこそが、社会にある、障害と言えなくもない」


「ひまわりさんと名付けられ、当麻氏はひどく打ちのめされたことでしょう。それでも矜持を捨てようとはしなかった。仕事を奪われ、自分が自分である意義を見失ってしまった。そういう性分だったのでしょう。最終的には、あの地震速報の音もきかない。アンモニア水を嗅いでも、倒れ込んでしまう。それでも這うように。文字通り這って仕事をしていたのでしょう。ここからは憶測でになりますが、当麻氏は最終的にはアンモニア水を少量飲んだのではないでしょうか。」

「まさか、これをか」

「はい。まさかとは思います。しかし朝起きるためだけにこんな薬物を使用していた人です。苦しみと引き換えに遅刻しない安心を得られるなら、あるいはやったかもしれません。しかしこれは致命的だったでしょう。アンモニアは神経に作用します。痛い、苦しいではもはやすまなかったはずです。」


「では……、これは自殺ということに、なりますか……。睡眠が極度の不安定に陥り生活を送ることができなくなってしまったからという……」


「そんなこと言うなよ。な?」

 とマキスが言う。

「彼は彼なりに、苦労していたということじゃないか。努力と言い換えることもできるかもしれないけど、どうも俺にはしっくりこない。苦労していたっていうことじゃないか。努力はするだけじゃあんまり価値がない気がするけどさ、苦労は、認められるべきだと俺は思うんだよ」

 そうマキスはいい、続ける。

「人に迷惑をかけることもあったかもしれない。あったんだろう。それでも、彼は、自分を捨てたくなかったんじゃないか。ひまわりなんて呼ばれるところまで墜ちてしまったとしても、捨てなかったんだよ、きっと。会計士であるってことと……」

 少し間を空けて、言った。

「プライドを、さ」



 彼にとって、病気とは、なんでもないものだった。

 彼にとって、障害とは、どうでもいいことだった。

 価値のあることではなかった。

 価値のないものでもなかった。


 他人の評価でしかなかったから。

 

 だから、何も変わらなかったし、彼は、何も、変えなかった。

 変える必要も、なかったんだ。


 変わるのは、まわりだけだった。

 

 病んでいるのは、どちらだっただろう――。


「島田さま。これが私によるご依頼の件の、調査結果です。乱暴を申し上げたことは深くお詫びいたします。」

 続けて、言った。「いたします、が、あなたほどではないでしょう。」


 マキスが言う。

「香久村……。お前さん、さしづめ、この一件はどう締め括るつもりだ?」

「そうですね……。島田さま。あなた、あなた方かもしれないが、障害という名目で、一人の人間のプライドを蹂躙したこと。それも、あなたにとっては優しさで、配慮だったつもりなのでしょうね。それによって当麻さまはお亡くなりになった。つまり、あなたが殺したようなものです……とでも言うことができるのかもしれない。かもしれないが、……報われねえ」

 香具村は部屋を歩き、座っている島田の背後で、スーツの内ポケットに手を入れた。

 見ていた海百合副所長が思わず、声をあげる。

「香具村君、あなた……」

「こうするのが、一番良いでしょう。そうしなければ、解決にはならない。……始まらないんだ」


 たいていのことは、そうではないか――。

 事故は、事件ではない。

 自殺も、事件とは、扱われない。

 事件だからこそ、事件足りうる――。

 。  


「こんなことは、あってはならない。人には尊厳があるでしょう……?副所長。この事件のことは、たくさんの人に知ってもらわなければ。」

「待っ……」

遮って、香具村は言った。

「所長に、お願いしますね」

そう笑わずに言うと、香具村の手から、

 乾いた破裂音が二度、三度、室内に響いた。




――――――――――――――――――――――――


 香具村はマキスと一緒に歩いていた。

「どうして、死んでからじゃないと、人は評価されないんだろうね……」

「それだけ、死ぬってことは、……冗談じゃねえってことだ」


 香具村は何も言えなかった。

「でもよ。ずっとそれじゃ、悲しいだろ。」

「うん。 え?」

「考えてみたらどうだ。お前さんなら、きっと何か、見つけられるんじゃねえか。名探偵なんだからよ」



 それが、1年前のことである。



――――――――――――――――――――――――


プロローグ「Nothing about us without us」へ続く

令和3年11月28日 23時

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