32.そんなこと、考えるまでもないんだ。


 七里さんは嘘をついていたわけではなかった。


 小野屋さんの話を聞いて、それはわかった。


 でも、大きな疑問は残ったままだ。


 七里さんは、僕と別れようと思っていない?


 しかし、七里さんの頭上の数字は、たしかに今日、僕たちが別れることを示している。


 どちらが正しいのだろうか……。


 ――違う。


 正しい正しくない、じゃない。


 そんなこと、考えるまでもないんだ。


 恋人と別れるまでの日数が見えるなんて、意味のわからない力なんかより、信じるべきものがある。


「小野屋さん、ありがとう!」


「ちょっと、橘田⁉ どこ行くの⁉」


 突然走り出した僕に、小野屋さんがびっくりしたような声を出す。


 七里さんは、僕を嫌いになったわけではなかったのだろうか。


 もしかすると――七里さんの頭の上の数字を見た僕が、勝手に嫌われていると勘違いをして、彼女を遠ざけた。その結果、七里さんの心も僕から離れていって――。


 そうだとすれば、たしかにつじつまが合う。


 でも、因果関係がおかしいような気もする。僕に数字が見えるせいで、僕と七里さんはすれ違って、だから僕が見る数字は小さいものになった? 頭の中がごちゃごちゃになる。


 もしそれが真相なら、七里さんとのすれ違いは、数字が見えるこの力のせいだ。そのせいで、僕は焦って振り回されてきた。


「いや。それも違う」


 言葉が自然に口からこぼれた。


 僕が、勝手に七里さんの気持ちを決めつけて、逃げ出しただけ。


 全部、自分の弱さが招いたことだ。


 そもそも数字が見えなければ、七里さんに告白しようなんて思わなかっただろう。きっと、綺麗な思い出のままで、この恋は終わっていた。七里さんと付き合うことにもならなかったはずだ。




 僕は七里さんが行きそうな場所を探し回った。


 初めて手をつないだ公園。


 放課後に寄り道したコンビニ。


 どこにも七里さんの姿はない。


 もう、家に帰っている可能性もある。


 それならばいいのだけれど……。


 日ごろの運動不足がたたって、すぐに息が切れた。でも、立ち止まっている時間なんてない。


 僕は、逃げていたんだ。


 どこまでも、自分のことしか考えていなかった。


 恋人は、二人がお互いのことを想い合って、初めて成立する関係なのに。


 ――まあ、しっかりと相手のことを見るってのが大切だな。


 脩平だってそう言っていた。


 それなのに僕は、七里さん自身の気持ちに目を向けようとせずに、頭の上の数字ばかり見ていた。


 七里さんのことを知ろうとするくせに、自分のことは何一つ知ってもらおうとしていなかった。


 身勝手な自分が、どうしようもなく大嫌いだ。


 今からでは、もう遅いのかもしれない。


 けれど、まだ一ミリでも可能性があるのなら。


 どれだけみっともなくても、あがきたいと思った。


 まずは七里さんを見つけなくてはならない。


 呼吸が苦しい。膝が震える。それでも、足を止めるつもりはなかった。


 思いつく限り、七里さんとの思い出の場所へと走る。


 すでに夜の十一時を過ぎていた。外を出歩いている人はほとんどいない。


 踏み出した一歩が、地面を滑った。おととい、関東では初雪が降った。積もりはしなかったものの、ところどころ地面が凍っていた。僕は盛大に転び、尻もちをついてしまう。


「いっ……」


 痛かったけれど、構っていられない。僕は立ち上がって、再び走り出す。


 転んだ拍子にかどうかはわからないけれど、一つ、七里さんの行きそうな場所を思いついた。


 ――夜に見たら、星とか綺麗に見えそうだよね。根拠はないけど。


 七里さんは、きっとそこにいる。考えれば考えるほど、そんな気がしてきた。




 紫桜高校の校舎は、さすがに電気が消えていた。門も閉まっている。


 フェンス沿いに走って、裏口より少し手前、低い生垣をまたいで高校に侵入した。テニスコートの横を通って、生徒ならほとんどが知っている、特別教室棟の鍵のかからないドアを開ける。


 これは不法侵入になるのだろうか。ならないとしても、バレたら怒られるだろうな。退学まではいかなくとも、停学くらいにはなるかもしれない。だからって、撤退するつもりもないけれど。


 階段を駆け上がった。実際は、駆けあがるなんて動作とは程遠かった。疲労で足は上がらなくなっていた。手すりをつかみながら、無理やり歩を進めた。


 いつも美化委員の仕事で訪れる屋上庭園に出た。


 初めて七里さんと会った場所。


 倉庫の脇から階段を上って――。


 そこには、足を伸ばし、両手を後ろについた体勢で、暗くなった空を真っ直ぐに見つめる一人の女の子がいた。

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