3.どうしようもないのに悩んでることくらいある。


 去年の球技大会で脩平と初めて話したときは、頭の上の数字は180くらいだったと記憶している。今の数字から逆算しても間違いない。


 そのときは、数字の大きさについては気にしていなかった。爽やかで格好良くて、誰にでも好かれそうなやつだもんな、くらいに思っていたから、むしろ恋人がいるのは納得だった。


 球技大会から約半年が経過して、脩平の頭上の数字は、今では6となっている。


 6日後、爽やかで格好良くて、誰にでも好かれそうな脩平は恋人と別れる。


「ところで柾人、数学の課題やったか?」


「…………」


「柾人ー?」


 目の前で手のひらを振られる。


 頭の上を見つめていて、ボーっとしてしまっていた。


「え、ああ。ごめん。数学の課題だよね。やったやった」


 この時点で、次にくる言葉は予想できていた。


「頼む。見せてくれ」


 僕の予想通り、脩平は両手を合わせて頼んでくる。


「やってないの? 土日があったのに」


 僕は声に非難の色をにじませる。もちろん、本気で怒っているわけではない。


「土曜日は部活の練習試合で、日曜日はまりなと出かけてたんだ」


 まりなというのは、脩平が現在交際中で、6日後に別れるはずの女の子、吉見よしみまりなさんのことだ。同じ高校二年生で、脩平と同じ中学出身。近くの女子高に通っている。


 三ヶ月くらい前に、僕も吉見さんと一度だけ会ったことはある。いかにも女の子、という感じの、小柄でかわいらしい人だ。


 脩平に、俺の彼女、と紹介されてはにかむ吉見さんの姿に、僕は初対面ながら思わずドキッとしてしまったことを覚えている。


 爽やかな脩平と、おしとやかな吉見さん。並んで立っているだけで絵になる二人は、学園もののドラマに出てくるような、お似合いのカップルだった。頭の上にも、お揃いの数字を浮かべていた。


「そっか。じゃあ仕方ない……なんて言うと思った? それ、言い訳になってないからね。土曜日は仕方ないとしても、日曜日は遊んでたんでしょ?」


 まあ、そういう正直なところも脩平の美点の一つなんだけど。


「とかなんとか言って、最終的には見せてくれるんだろ?」


 甘え上手なところも。


「はいはい。ちゃんと次の時間までに返してよ」


 頼られるのは嬉しくて、つい貸してしまう。僕に何か損失があるわけでもない。


 修平の性格上、ただ都合よく利用されているわけでもないだろうし、仮にそうだとしても、別に僕は構わないと思っていた。


「サンキュ!」


 と、僕のノートを受け取る。


 脩平はさっそく、一時間目の世界史の授業の最中に数学の課題を写し始めた。世界史担当のおじいちゃん先生は、淡々と授業を進めるタイプだ。静かにさえしていれば、別のことをしていようと、寝ていようと、注意する素振りは見せない。


 黒板にきっちりと書かれた文字たちを見ていたら、眠気が襲い掛かってきた。視界がぼんやりしてきて、クラスメイトたちの頭上に数字が浮かんでくる。


 脩平以外にも数字が出ている人が何人かいた。十人程度。クラスの二、三割くらいだろうか。


 中には20000を超える数字が見える人もいる。まだ十六歳なのに、すでに生涯を共にする相手を見つけているのだと考えると、素直にすごいなと思う。妬みなんてわいてこない。そういう人たちと僕とでは、根本的に人間としての完成度が違うのだ。


 二時間目の前。脩平にノートを返される。


「計算ミスってたとこあったから直しといたぞ」


「マジか。サンキュ」


 最初から自分でやった方がよかったのでは? と思いつつ、僕はノートを受け取った。


「あー……ここかぁ。答えが中途半端な分数になるからおかしいなとは思ったんだよね」


 ノートをめくって確認すると、たしかに計算を間違えていた。符号のケアレスミスだ。


「柾人って意外とそそっかしいよな」


「……それは否定できない」


 物事を客観視することはまあまあ得意なくせに、一度そう思い込むと、絶対にそうだと決めつけてしまうようなところがある。思考が柔らかい人が羨ましい。




 それから四日後。


「ういっす」


 いつもより少し早く教室に着き、ボーっと座っていると、脩平が近くまで来ていた。


「ああ。うん」


「どうした、柾人。最近よくぼんやりしてるな。体調でも悪いのか?」


 脩平は心配そうに僕の顔を覗き込む。


「ううん。ちょっと眠いだけ」


 僕は適当に答える。眠いのは嘘ではないけれど、ボーっとしているのは眠さのせいではない。


 今日は金曜日。脩平の頭の上の数字は2になっていた。明後日の日曜日に、彼の頭上の数字は0になる。


「……ねえ、脩平」


 僕は意を決して口を開く。


「どうした?」


「今から変なこと言うけど、笑わないでくれる?」


「んー……内容による」


 相変わらず正直だ。そこは嘘でもうなずいてほしかった。


「最近、何か悩んでることとかない?」


「ふっ」


 鼻で笑われた。


「笑わないでって言ったのに……」


「悪い。あまりにも予想外だったもんで」


「で、どうなの?」


「悩んでることか……。あると言えばあるし、ないと言えばない」


 僕が追及すると、はっきりしない答えが返ってきた。


「どっちだよ」


「高校生なんて悩みのないやつの方が少ないだろ。そういう意味では、俺だって悩み事の一つや二つくらいある。ただ、誰かに相談するような深刻なものではないってことだ」


「本当に?」


「本当だって。どうしたんだよ、いきなり。柾人の方こそ、何か悩みでもあんのか?」


 二日後、吉見さんと別れる脩平のことが心配なんだ。


「いや、ないよ」


 もちろん、口に出して言わないけどね。


「なんだ。ねぇのかよ。つまんねーな」


「悪かったね。つまらない人間で」


「つまらない人間とは言ってねーよ。でもたしかに、柾人は悩みとかなさそうだよな」


「気楽な人間ってこと?」


「そうじゃない。お前は頭がいいから、悩んでどうにかなることだったら悩み抜いて解決しそうだし、悩んでもどうにもならないことだったらすぐに悩むのをやめそうだなって。そういう、柾人の合理的なところ、すげーって思ってる」


「別に、頭よくなんてないよ。僕だって――」


 どうしようもないのに悩んでることくらいある。


 続きを言おうとしたタイミングでチャイムが鳴って。


「っと。もうこんな時間か」


 脩平は慌てて机の中から教科書を探し始める。


 僕たちの会話はそこで終わった。


 結局、脩平が吉見さんとの関係で悩んでいるかどうかはわからずじまいだった。


 仮に悩んでいたところで、恋愛相談なんて器用なこと、僕にできるわけがないし、今さら二人の関係に僕が首を突っ込んだところでどうにかなるわけでもないだろう。


 本人たちだけの問題だし、僕の脩平に対する心配は、ただの自己満足にすぎない。


 でも――僕は脩平に悲しんでほしくないと思っている。


 脩平は僕の大切な、数少ない友人だから。

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