第53話 初デート

 友也から半ば強引に渡されたチケットは、次の週末が期限だった。それを見越してよこしたのではないかと疑ったが、彼は何も言わずに笑うだけだ。

 華月と光輝はその夜、メッセージのやり取りで集合時間と場所を決めた。水族館がある市の中心部にある駅前に、朝10時。


「待ち合わせまで、あと15分かな」


 駅前広場にある時計を見上げ、華月は改めて自分の服装を見直した。

 冬が近付き、朝晩は冷える。白いニットのワンピースに、薄手のブラウンのコートを羽織った。そして背中には、ツーウェイ仕様の鞄をリュックにして背負っている。ワンピースと同じ白を基調とした、可愛らしいデザインだ。

 昨晩何度も考え直した上でのコーディネートだったが、それでも華月は光輝がどう思うかが不安だった。

 朝にもかかわらず、広場には何人もの待ち合わせをしている人たちがいた。その半分以上は仲睦まじいカップルで、華月から見ても恥ずかしくなる程にラブラブだ。

 一人で取り残されているような気がして、華月はふと心の声を洩らす。


「……光輝くん、早く来ないかな」

「黒崎?」

「! 白田くん」


 待ち合わせ時間まで、あと10分。時計を見上げて手のひらに息を吹きかけていた華月は、声を聞いてぱっと振り返った。

 そこにいたのは、制服姿ではない光輝だ。藍色のシャツに黒のパンツ、黒のジャンパーを羽織った光輝は、固まってしまった華月を見て不器用に頭を掻く。


「……よく、似合ってる。かわいい」

「――っ。あ、ありがと」

「行こう」


 華月は光輝に褒められて頬を染めた。まさか、光輝が勇気を出して正直な褒め言葉を口にしたとは思っていない。お互いに照れてしまい、水族館に着くまで2人共無言だった。


「わぁっ」

「凄いな、これ」


 水族館に入り、2人は最初の展示を見て声を上げた。

 水槽がトンネルのように設置され、人々は魚たちが泳ぐのを見上げる。青い光の中で揺らめく様々な大きさと形の魚に見惚れ、華月は嬉しそうに笑った。


「友也くんにチケット貰った時はびっくりしたけど、来てよかった」

「ああ。ほとんど水族館に来た記憶ってないけど、こんなに綺麗なら来とけばよかったな」

「うん。あ、あっちにもあるよ!」


 華月は自然に光輝の腕を取ると、次の展示に向かって歩いて行こうとする。

 無邪気に水族館を楽しんでいる華月はかわいい。そんな自分の気持ちを戸惑いつつも受け入れ始めた光輝は、苦笑気味に彼女について行った。


 ゆらゆらと浮かび沈む海月。元気に泳ぎ回るかと思えば、降らせられる雪を静かに浴びているペンギン。更に、何故かぼんやりと客を見ているカピバラまでいる。

 どの展示の前にも、家族連れやカップル等様々な人々が立っていた。幼い子どもが大きく足を広げるタコの真似をして、頬を膨らませて両手を広げて笑う。その向かい側では、スマートフォンのカメラで飛ぶように泳ぐイルカを捉えようと試みる女子学生がいた。


 華月と光輝は順番に水槽を見て回り、午後に開催されるイルカショーまでに昼食を食べようと水族館内の飲食店にやって来ている。

 カフェテリアにレストラン、ベーカリーカフェ等が集まるエリアで、2人はハンバーガーショップを選んだ。長期間眠っていたために消化に良い食べ物ばかり食べていた光輝が、ジャンクフードを食べたいと希望したのだ。勿論、華月に反対する理由はない。

 順番に注文し、出来たものを取りに行く。そして取っていた席で「いただきます」と手を合わせた。


「これ、結構うまいな」

「うん。ポテト揚げたてだったし、ハンバーグも焼いてすぐにパンに挟んでた。手作りって銘打ってるのは間違いないみたいだね」


 おいしそうにハンバーガーにかぶりつく華月と向き合ってポテトを摘まんでいた光輝は、ふと気になったことを口にした。


「そういえば、黒崎は向こうと連絡を取ってるって先生からのメールで知ったけど……」

「ん? うん、そうなの。先生の幻蝶が連絡役をしてくれて、エンディーヴァと何度か手紙のやり取りをしてる。エンディーヴァ、頑張ってるみたいだよ」

「そうか」


 華月の話によれば、エンディーヴァはまず黒龍と話し合いをしたらしい。自分と同化した相手とどうやって話すのかと思ったが、黒龍は自分の化身をエンディーヴァの前に顕現させるのだという。そして、少年が魔王としてやっていけるように手ほどきするのだ。

 2人の周囲には、幸いにも食事をする人がいない。そのためあまり気兼ねせず、魔界の話が出来ている。


「黒龍はね、わたしが拒否した時点でエンディーヴァを魔王の候補として見定めてたんだって。ヴェリシアのことは、自分を受け入れて力を合わせられる者として見られなかったって……夢の中で聞いた」

「……本当に、お前が戻って来てくれてよかった。あの時、本当に息が止まるかと思ったからな」

「――っ、うん」


 ハンバーガーを一口食べた光輝は、ジュースを飲む華月の前髪を指で払ってやった。目にかかり、視界を遮っていると感じたからだ。

 しかし、そうすることで華月が赤面する。彼女に釣られ、光輝も胸の奥がドクンと音をたてるのを自覚した。


「……黒崎」

「な、何?」

「一度も許可得てなかったよな。……名前で、呼んでも良いか? 友也には許可してたよな。今更感も凄いけど」

「――う、うん。あの、わたしも」

「呼んでくれよ。――華月」

「う……ずるいよ、光輝くん」


 華月は顔を俯かせ、口元を両手で覆う。

 光輝はそんな彼女の気分でも悪いのかと思ったが、よくよく見ると顔を真っ赤にして恥ずかしがっているだけだとわかった。それを見て、光輝はくすぐったくて面映おもはゆい気持ちにおちいった。


「そ、そろそろ、行こう。あと10分くらいでショーが始まる」

「う、うん」


 2人は空になったお盆を所定の位置に返し、連れ立ってイルカショーが行われる野外プールへ向かい歩いて行った。同じように向かう人々は多く、はしゃいだ子どもが華月のすぐ脇を通り抜けようとする。

 光輝は子どもがぶつかりそうになった華月の肩を抱き、自分の方に引き寄せて庇う。


「危ない」

「きゃっ。……あ、ありがと」

「……ああ」


 彼らは友だち以上恋人未満の関係で、もう少しだけ手を伸ばすのを互いに躊躇っていた。

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