第48話 継ぐ者

 魔王と華月の再会が落ち着き、魔王は立ち上がって黒龍を見上げた。


「黒龍、長い間世話になりました。本当はあなたに子の代も見守り支えて欲しかったのですが……行ってしまうのですか?」

 ――……。さて。


 黒龍は問いには答えずに静かな目をして、黒龍は華月と目を合わせた。威圧感はないものの、その大きさに圧倒される存在感だ。

 華月は息を呑み、黒龍の瞳を見返した。


 ――華月、お前は選んだな。

「はい」

 ――お前の望む力に免じて、我も選び取った。

「それはどういう……」


 どういうことか。華月が問う前に、黒龍が咆哮した。そして、思いも寄らない者の名を呼ぶ。


 ――エンディーヴァ。

「え? ボ、ボク!?」

 ――お前だ。前へ出ろ。


 驚きわたわたと慌てるエンディーヴァは黒龍に促され、困惑してロウを見下ろした。するとつぶらな瞳でロウに見返され、エンディーヴァは表情を改めて頷く。


「ま、待ちなさい!」

「!? あ、姉上?」

「待ちなさい、エンディーヴァ。そして、黒龍」


 一歩歩き出そうとした弟を足止めし、ヴェイジアはよろよろと立ち上がった。まだ本調子ではないのか顔色は悪い。それでも突き動かされるように、ヴェイジアは黒龍の前に立った。


 ――何用だ。

「元々、あなたを呼び出したのはワタシ。魔王からあなたを引き離したのも、ワタシ。……黒龍、この魔界を去ることは許さない」

 ――……愚かな。


 黒龍は力のオーラをまとい、黒風の嵐を生み出した。それはそのまま黒龍の怒りの体現であり、ヴェリシアの態度への叱責だった。


「あっ」

 ――身の程を知れ。

「ぁ……助け――」


 ヴェリシアが華月たちに手を伸ばし、助けを求める。しかし彼女の腰より下は、既に竜巻から生まれたブラックホールのようなものに呑み込まれていた。

 恐怖し、怒り、泣き腫らしたヴェリシアの顔が消えた。そして伸ばした指の先が呑み込まれる直前、華月たちの間をすり抜けた影があった。


「姉上!」


 ヴェリシアの手を掴んだのは、イレイストだった。彼は姉の手を引きこちらに引き戻すのではなく、共に何処かへと消えようとしていた。イレイストの表情に覚悟が見え、手を伸ばし助けようとしたエンディーヴァは躊躇ためらい足を止めざるを得ない。

 ちらりと自分を見詰め立ち尽くす者たちを見て、イレイストは初めてわずかに唇の端を引き上げた。


「さよなら。僕は、姉上について行きます」


 その言葉を最後に、イレイストはヴェイジアと共に魔界から消え去った。

 しん、と部屋の中が静まり返る。誰も言葉を発することが出来ず、しばらく時間が流れていく。

 魔王は全てを悟ったかのような顔で子ども2人が消えた場所を凝視し、エンディーヴァは呆然とロウに寄り添われていた。また華月は震える指で光輝の腕に触れ、光輝は彼女の残っていた手を握った。トリーシヤはといえば、目を閉じて顔を背けていた。


 沈黙を破ったのは、黒龍だった。


 ――安心せよ、あの者たちは死んだわけではない。少しお灸をすえるだけだ。


 いつかは戻るだろう。黒龍のぼやけた言葉に、華月たちは納得するしかない。微妙な空気の中、それを気にすることなく黒龍は言う。


 ――話を戻そう。エンディーヴァ。

「は、はいっ」

「ガウ」


 ロウに物理的に押され、エンディーヴァはそろそろと黒龍の前に出た。じっと黒龍に見詰められ、冷汗をかいてしどろもどろになる。


「ボ、ボクが何か?」

 ――……。お前には、歴代魔王に近い波動を感じる。もしもお前が望むのであれば、我が力を貸し与えよう。

「えっ……」

 ――つまり、お前が魔王を継ぐのであれば、我はまだ魔界にいてやろうということだ。さあ、どうする。

「で、でもっ。ボクが継がなくても母上はまだ――」

「いいえ、エンディーヴァ。わたしは、もう長くありません」

「母上……?」


 黒龍とエンディーヴァの会話に割り込んだ魔王は、当惑するエンディーヴァの頭を優しく撫でた。そして、息子の隣に立つ。


「先代と同様、私もあなたの力を極限まで借り尽くしました。ですからエンディーヴァが継ぐという覚悟を持つことが出来るのなら、私は喜んでこの命を差し出しましょう」

「そんな、母上」

「これは運命です。魔界を統べる魔王という立場を得た者としての、ね」


 泣きそうに歪むエンディーヴァの頬を指で撫で、魔王は微笑んだ。


「あなたが望まないなら、無理強いはしません。黒龍の力がなくとも、私の子どもたちが――エンディーヴァとオランジェリー、アズールがそれぞれの役割を果たせば不可能ではありません」

「でも、黒龍との繋がりは消える……」

「ええ、その通りね」


 力なく笑った魔王は、立ち上がって華月を見た。白さを通り越して青白い顔色の魔王は、確かに命の時間切れが近付いているようだ。

 何も言えずに目を伏せる華月に、魔王は目を細めた。


「華月。あなたを明さんの元に残したのは、あなたに普通の人間の女の子として生きて欲しかったから。だから明さんにも、15歳になるまでは母の正体について知らせないようにと頼んでいたのです」


 15歳は、高校生になる歳だ。その頃には物事の分別がつくだろう、と夫婦で決めた。もしもまだ理解出来ないようならば、二度と伝えなくても良い、とも。


「自分が何者か知った上で、魔界と関わらずに生きてくれればと願っていました。……ですが、運命というものはどう転ぶかわかりませんね。――ごほっ」

「お母さんッ」

「もう少しだけ、時間を」


 華月に支えられ、魔王は体を折るようにして咳き込んだ。落ち着くと、華月の後ろで親子を見守る光輝とトリーシヤに目を向ける。2人を交互に見て、魔王はトリーシヤを選んだ。


「ルシュリアは元気かしら、トリーシヤ」

「はい。……時折、あなたとの話を聞きました」

「あら、ふふ。彼女にはしてやられたから。元気なら、よかった」


 苦しげに微笑むと、魔王は光輝に目を移す。


「あなたのお父さんには、お世話になりました。……あの時、止められなくてごめんなさい。謝っても許されることではないけれど」

「許す気はありませんが……あれはあなたのせいじゃない」

「……ありがとう。どうか、華月を宜しくお願いします」


 泣きそうに微笑むと、魔王は改めて華月に向き直った。そっと娘の頭を撫でる。


「最期に、成長したあなたに会えてよかった。……大好きな人と幸せになりなさい」

「――はい」

「良い子ね」


 魔王は頷くと、黒龍に向き直って目を閉じた。両手を広げ、黒龍の顎に触れる。

 黒龍は喉を鳴らすと、魔王にすり寄るような仕草を見せた。


「母上!」

「母上ぇ!」

「アズール、オランジェリー」


 そこへ、光輝たちに敗れたアズールとオランジェリーが走って来た。2人は状況を見て、これから何が起こるかを察したらしい。何かを我慢するような顔で、じっと魔王を見詰める。

 魔王はそんな2人を手招きし、そっと力のない手で抱き締めた。


「――決めた」


 一連の光景を黙って見ていたエンディーヴァが、呟いた。その声は思いの外響き、その場にいた全員が注目する。


「ボクが、魔王を継ぎます」


 少年の決意を受け、黒龍は頷いた。

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