器となる儀式

第40話 エンディーヴァの苦悩

 オランジェリーの言う通り、廊下の突き当たりには何処にでもありそうなドアがあった。光輝とトリーシヤはその前で立ち止まり、頷き合う。

 光輝がドアノブに触れ、一気に開け放った。バタンッと騒々しい音が鳴る。


「華月!」

「黒崎さん、いるか!?」


 しかし、室内には何の気配もない。ただ可愛らしいクッションや本の詰まった棚があるだけだ。椅子や机、簡易的なベッドなどもあるが、そこに華月の痕跡はないように見えた。

 ダンッと光輝が壁を力任せに殴りつける。葉を食い縛り、眉を寄せた。


「遅かったか……」

「オランジェリーの言った通り、彼女の姉――ヴェルシアによって何処かに連れて行かれた可能性が高いな。どうする?」

「勿論、探す」


 踵を返して部屋を出て行こうとする光輝の腕を、トリーシヤはつかまえた。


「――っ、離せ」

「離しても良いけど、心当たりでもあるのか?」

「……ない」

「だったら、焦っても仕方がないだろう」

「それは、そうなんだが……」


 トリーシヤの手を振り解いた光輝だが、その顔色は冴えない。図星を突かれたという顔をしている。

 トリーシヤは肩を竦めると、ふと何かに気付いて周囲を見渡した。


「……?」

「トリーシヤ、どうした?」


 キョロキョロしている友人に問いかけた光輝だが、当のトリーシヤはそれには応じない。そのまま歩き出すと、ソファーの裏を覗き込んだ。

 そして、何かに向かって問いかける。


「お前、誰だ?」

「わっ!?」

「グルル……」

「だ、駄目だ。ロウ!」


 ソファーの裏から飛び出してきたのは、黒い毛並みの美しい狼と、その狼の首に抱き付く少年。彼は顔を青くして狼を引き留め、ようやく息をついた。


「もう、誰彼構わず襲い掛かったら駄目だよ? ボクを守ろうとしてくれるのはとっても嬉しいけど」

「くぅん……」

「わかってくれれば、それで良いよ」


 反省したのか頭を垂れる狼の背中を撫で、少年は気弱に微笑んだ。


「……きみは」


 光輝は改めてソファーに座る少年を観察する。

 短い黒髪と真っ黒な瞳は華月やアズールたちと同じものだ。彼自身の特徴といえば、ふくよかな体型とおどおどとした態度だろうか。目元も彼の性格故か、優しい。年齢は光輝たちよりも下に見えるが、魔族だとすれば外見は判断材料にならない。


 自分が注目の的になっていることに気付いていなかった少年だが、ロウと呼ぶ狼をひとしきり撫でてからふと顔を上げた。そして、光輝とトリーシヤに見られていると知り、赤面する。


「あ、あの……」

「どうする、白田?」

「どうするって……。敵には見えないよな」


 もしも顔を青くして硬直している少年がこちらに敵意を持っていたら、人間不信になりそうだ。相手は魔族とはいえ、光輝たちは問答無用で彼を攻撃する気にならなかった。

 ため息をつき、光輝は少年の目線に合わせるために中腰になる。


「……俺は光輝。こっちはトリーシヤ。きみは?」

「ボ、ボクはエンディーヴァ。こっちはロウ。……きみたちは、カヅキを助けに来たの?」

「やっぱり、知っていたか。きみ……エンディーヴァと華月の関係は?」

「兄妹。母親が同じなんだ。……本当は、ここできみたちを倒すべきなんだろうね。だけど」


 エンディーヴァはロウを抱き締めると、小さく首を横に振った。


「ボクは、姉上たちの計画を止めたいんだ。母様は、こんなことを望んでいないのに……きっと悲しんでおられるのに。ボクは弱いから、何も出来ない」

「キュウン……」


 主人を気遣うように見るロウに、エンディーヴァは「ありがとう」と小さく微笑んだ。そしてロウから手を放し、エンディーヴァの目は2人の少年へと向かう。


「ミツキ、トリーシヤ。きみたちに、カヅキの向かった場所を教える。だから、おそらく危機的状況にあるあの子を助けて欲しいんだ」

「……詳しく話してくれ。きみは何故、華月が向かった場所を知っているんだ」

「ボクが、ここから逃がす目的で地下通路に向かわせたから。……でも、まさかそっちに『儀式の場』があるなんて思いもしなかった。母様がそっちにいるんだから、あるのはわかりきっていたはずなのに、ボクは忘れていたんだ」

「「儀式!」」


 悔しげに歯噛みするエンディーヴァの発言を受け、光輝とトリーシヤの声が重なる。

 儀式とは、オランジェリーも言っていたもので間違いないだろう。つまり、華月が華月として存在する時間が残り少ないということだ。

 光輝は逸る気持ちを気合で抑え込み、深呼吸を一度してからエンディーヴァに話すよう促した。それに応じ、エンディーヴァは震える声で話し始める。


「カヅキがここに囚われていたのは間違いない。ヴェルシア姉上がここを出たのを見計らって鍵を開け、彼女を起こしたから。この城にはボクが幼い頃に見付けた外に繋がる隠し通路があって、まだ体の痺れが残っていたカヅキをロウに乗せてそこに案内したんだ。だから通路を通って行ったはずだけど……」

「ちょっと待ってくれ。華月の体に痺れがあったって……どうして」

「それは……」


 光輝の眼光が鋭く、エンディーヴァは怯えて言葉に詰まった。それを察し、トリーシヤが苦笑を浮かべる。


「すまない、エンディーヴァ。こいつは黒崎さんが大事過ぎて、過剰なんだ。獲って食いやしないから、安心してくれ」

「おい、トリーシヤ!」


 顔をしかめてトリーシヤを睨む光輝だが、その顔は赤く染まっている。最早言い逃れは出来ないのだが、本人にその自覚はない。

 一方のトリーシヤはそれを理解した上で、楽しそうにエンディーヴァにあることを耳打ちした。すると初めは驚いていたエンディーヴァも納得の顔をして、今度は落ち着いた声音で話し出す。


「カヅキに対して、ヴェルシア姉上の眷属の蛇が痺れと睡眠の作用のある毒を注入したんだ。勿論、儀式に必要な彼女を殺すようなものじゃない。それでも動きにくくはなるから、走ることはほぼ不可能だと思う」

「……その毒が抜けるのにはどれくらいの時間がかかるんだ?」

「おそらく、数時間。カヅキと別れてまだ10分くらいしか経っていないから、まだ体は辛いだろうと思うよ」

「わかった。……続けてくれ」


 険しい表情を崩さないまま、光輝はエンディーヴァに話の続きを促す。

 かすかに震えている彼の剣を握る手を見詰め、エンディーヴァはあることを思った。


(この人は、何故ボクが地下通路について行かなかったのかを責めないんだな)


 エンディーヴァが華月について行っていれば、彼女を無事に外へ連れ出せた可能性もないことはない。途中でヴェイジアたちに邪魔された可能性の方が高いが、それでも有り得た。

 しかし実際はエンディーヴァは工作のために城に残り、華月は一人で通路を歩くことになっている。これにはヴェイジアたちの注意を華月から逸らす意図とエンディーヴァが足手まといにならないようにという理由があったのだが、完全に裏目に出た。

 エンディーヴァには負い目があるのだが、光輝もトリーシヤもそこには触れない。彼らにとっては無意識なのかもしれないが、エンディーヴァにとっては驚きだった。

 少なくとも、魔族の間では揚げ足取りは日常だから。誰もが自分が一番であることを望み、相手を貶めることに余念がない。エンディーヴァのように常に怯えている者は、格好の標的だ。


「……カヅキを守る人たちが、きみたちでよかった」


「何か言ったか、エンディーヴァ?」

「何でもない。通路の場所を教えるよ。ロウについて行って」

「わかった。ありがとう」

「助かったよ」


 エンディーヴァに命じられ、ロウがゆっくりと立ち上がった。そして「ついて来い」とでも言いたげにしっぽを振ると、廊下に飛び出す。

 光輝とトリーシヤはエンディーヴァに礼を言い、ロウの後を追う。そんな2人を見送り、エンディーヴァは目を伏せた。


「――どうか、間に合ってくれ」


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