第25話 お宅訪問

 既に夜11時を過ぎ、秋の夜は肌寒さを増していた。小さくくしゃみをした華月は、ふるっと体を震わせると自分が歩いている道を見回す。

 普段、彼女が暮らす町並みとは似ているが違う景色。少し緊張しながら、華月は先を行く2人の背を追った。


「白田くん、もう少し?」

「ああ。……あ、あれだよ。紺色の屋根の」


 そう言って光輝が指差したのは、閑静な住宅街の一角。十字路に面した2階建ての住居だった。


「入って下さい」

「ありがとう。お邪魔するね」

「お邪魔します……」

「俺の部屋は2階で、階段を上った目の前です。先に行ってて下さい。お茶、入れて持って行きますから」

「お構い無く。──行こうか、黒崎」

「あ、はいっ」


 京一郎に促され、華月はややテンパりながらも首肯する。その様子が可笑しかったのか、京一郎にクスクス笑われてしまったが。


 光輝が階下でお茶を準備している間、華月と京一郎は光輝の部屋に入っていた。

 黒とグレー、そして青色で統一された室内は、普段寡黙であまり喋る印象のない光輝の印象とそっくりだ。しかし同時に、華月には物悲しく映る。


(白田くんが心の奥底に秘め続けてる痛みとか悲しさが、反対に静かな雰囲気になっているのかな?)


 青いカラーボックスが本棚の代わりを務めており、その中には少し難しそうなタイトルの小説や新書が並んでいる。辞書や図鑑は一番下にあり、真ん中の段は黒いカーテンで目隠しされていた。

 華月は触らない方が良いのか、と思い止まったが、京一郎はそうもいかなかったらしい。


「白田が来る前に閉じれば問題ないだろう。僕の予測では、後5分はかかるからね……っと」

「先生……。これ、マンガ?」

「彼も相応の男の子ということかな。ふふっ、安心したよ」

「……」


 京一郎が興味の赴くままにこじ開けたカーテンの奥に入っていたのは、何冊ものマンガだった。しかもよく見ると、そのほとんどが勇者が魔王等の強敵を倒すことを目的に旅をするストーリーだ。

 華月が1冊を手に取ると、自分が勇者だと知った少年が国王に命じられて国を出る場面を描いた巻だった。


「……白田くん」


 光輝は、どんな気持ちでこれらのマンガを読んでいたのだろうか。このカーテンも少しほこりを被っていて、長い時間開けられていなかったことが察せられる。

 マンガのタイトルを読む限り、華月たちが幼い頃に流行ったものばかりだ。光輝はそれらを幼い頃に読み、両親を亡くしてからは封印したのかもしれない。

 それでも捨てずに持ち続けていたのは、彼の何処かに勇者に対する何かがあり続けたからだろうか。ふと、華月はそんなことを思った。

 まさか、物思いにふける自分を京一郎が穏やかに見守っているとは知らないでいた。


 ──とんとんとん。


 その時、廊下から光輝が来たことを知らせた。

 華月は慌ててマンガを棚に戻すと、カーテンを閉じる。ほぼ同時に、光輝がお盆を持って部屋に入ってきた。


「すみません、お待たせしました」

「気にしなくて良いよ。さあ、白田も座ったら話をしようか」


 温かいお茶を受け取り、華月はそれに息を吹き掛けて冷やそうとする。猫舌で、熱いものが苦手なのだ。

 光輝と京一郎は猫舌ではないらしく、美味しそうにお茶を飲む。華月も2人に遅れないように、と火傷をしないくらいのスピードでお茶に口をつけた。


「……僕のもとには、ヴェイジアという魔族の女性が訪ねてきたよ。まあ、すぐに戦闘になったけどね」

「ヴェイジア?」

「そう。ヴェイジアもアズールやオランジェリーと同じく、魔王の子どもだ。風を司る人で、普段は魔王の城の奥で穏やかに過ごすのを好む人なんだけどね……」


 京一郎は、ヴェイジアが『器』を探しているのだと言った。しかも、魔王のタイムリミットが近付いていると言っていたとも。


「正しくは、魔王のタイムリミットが近付いているから『器』を欲している。ただそれが何のタイムリミットなのか、何のための『器』なのかはわからないけれどね」

「先生は、魔王の側近だったんだろう? だったら、魔王の何が限界なのかとか、そういうことがわかるんじゃないのか?」


 光輝の問に、京一郎は首を横に振った。


「そうであればよかったけれど、魔王様と僕の縁はとうの昔に切れてしまっている。繋ぐものがなければ、感じることは出来ない。ただ……そうだね。少し思い出してみよう」


 これでも、魔王軍の端くれだからね。京一郎はそう言って微笑んだ。

 寂しそうな京一郎に、華月はふと尋ねてみたくなった。今聞くべきことかはわからなかったが、ずっと気に掛かっていたことだ。


「先生は、わたしの母……魔王とはどんな関係だったんですか?」

「魔王様と、かい?」

「はい。側近で、魔王が地球に来た時にお供した話は聞きましたけど、その他のことは何も知らないので。……あっ、今聞くことじゃないってことはわかってるんです」


 慌てて「忘れてください」と発言を撤回しようとする華月の言葉に被せ、京一郎は「いや」と首を横に振った。


「どうせ、いつか言わなければならないことだろう。それにヴェイジア様とオランジェリー様が出てきたということは、アズール様の他、後2人の子どもたちも現れないとも限らない。……僕が知り得ることを、出来るだけ簡潔に話しておこうか」


 幸い、明日は創立記念日の休校日だ。少々の寝坊は許されるだろう。


「それに、思い出して喋っていれば、ヴェイジア様が言った『器』が何なのかも思い出すかもしれないしね」


 そう言い訳して、京一郎は華月と光輝を相手に話し始めた。自分と、魔王家族との長く短い日々を。

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