第8話 ~ 恋愛事情三十六計 ~

恋を成就させるには、戦略なくして成し遂げられない。

戦術なくして好きな人を射止めることはできない。

99%不可能な恋でも残り1%の可能性に賭けたい。

何故ならば、好きだから。




 片想いの彼女の心には、1ミリも入り込む余地がないのかもしれない。

 でも、諦めがつかない。好きすぎて心から彼女の存在を消すことが出来ないから。


 彼女とは、初夏の自動車教習所で出逢った。

 その日は、午前中快晴だったが午後になると急激に積乱雲が発達し灰色の雲が空全体を覆って、今にも雨が降り出しそうな、そんな夏の日だった。

 自動二輪車教習の控室に入ると、まだ誰もいない控室に彼女だけが独りイスに座って技術教本を熱心に読みふけっていた。テーブルを挟んで彼女と反対側の斜め向かいのイスに腰かけると、教本を読んでいた彼女が顔を上げ目線があった。

 お互いに軽く会釈すると、彼女の方から声をかけて来た。


 「今日の教習一緒ですね、宜しくお願いします」


 明るい感じの活発でショートヘアが似合う可愛らしい女性、これが彼女の第一印象だった。

 「そうですね、宜しくお願いします」

 自分は即座に返事をしたが、何故か咄嗟に彼女ともっと話したいという衝動にかられ、普段はそんなこと考えもしないが、とにかく、このまま挨拶だけで終わらせず、何とか会話が継続できないかと考えた末に口から出た言葉は、


 「今日は雨が降らないといいですよねぇ、」


 と、呟くように言ったものだから、彼女には会話として届かず、さながらキャッチボールだったら、ボールを明後日の方向に投げてしまった様な感じで、控室はシーンと静まりかえってしまった。

 何ともマヌケな間で言い放ったためか、恥ずかしさのあまりに視線を彼女から外し窓の外へ向けた。


 “何やってんだ自分、恥ずかしすぎる”


 そう思うと顔から火が出る思いではあったが、すぐさま気を取り直して、

 「いや、教習中に雨が降ってきたら厄介ですしね、二輪の教習だけに車とは違いますし」

と、慌てて付け加えると、彼女は一緒に窓の外を覗き込み「ホントですよね」と言って微笑んだ。


 これが、彼女と初めての会話だった。その時のことは、コントのワンシーンの様に記憶に残のこっていて、今でも思い出すと恥ずかしくて忘れられない。

 

 その後、彼女と教習時間が一緒になる機会が度々あった。その都度バイクの話題や免許を取ったらツーリングは何処に行くかなどといった話で盛り上がり、急速に彼女との距離感が縮まった。

 ある日、「すみません、まだ自己紹介していませんでした。奥谷信二ともうします」と名乗ったら、彼女は「小谷美香です。宜しくね」とこんな感じで、互いの連絡先を交換するまでに至る時間はかからなかった。やはり、お互いに共通の趣味があり、しかも出逢いが教習所となると学校感覚だから、コミュニケーションが取り易い環境にあるからこその、出逢いなのだと納得していた。もしこれが、街中のカフェとか、そんな場所で彼女と出会っても、知り合いにもなれないし、連絡先を交換するなんて難易度高いし、むしろ怪しすぎて相手にもされていなかったもしれない。

 教習所も無事修了し免許交付も受けてからも、彼女とは連絡を取り合っていた。ただ、一緒にツーリングに行けたらいいね、と話はしているものの、いまだ実現はできていない。理由は簡単で、


 “まあ、先立つものがないので、バイクを持てない”


というシンプルな理由だ。


 それでも、日が経つにつれて彼女とコミュニケーションを取る機会が多くなり、その度に彼女の魅惑に心が惹かれ、いつしか彼女のことが好きで好きで好きすぎて仕方がなくなっていた。


 ある時のメッセージで、

 『彼氏さんっているんですか?』

など、恋バナにも発展した会話ができた。まあかなり強引な聞き方だったけど。

 もちろん、彼女もちゃんと返答してくれて、

 『彼氏さん???? 付き合っている人のことかな?』

と最初にメッセージが来て、その後すぐに、

 『いない!いないよー!』と、嬉しい返事をくれたのだが、それもつかの間、

 『付き合っている人はいないけど、好きな人はいるかな』

との追加返信がやって来た。そのメッセージを読んだ時には、

 “好きな人いるんだあああ、そっか、そうなんだと・・・”と、少し落ち込みはしたものの、冷静に考えると、まだ恋人はいないという事だから、自分にチャンスは、“まだある“と、直ぐに気を取りなおした。そして、それ以降そこから先に発展することなく、単なる友達止まりのまま暫くは展開もないのだが。

 まあ、彼女には、どうやら好きな人がいるらしい、ということが分かったので、これはこれで彼女を振り向かせる対策は立てやすいのではないかと思えばラッキーチャンス到来だ。

 そんな感じで、何処かに入り込める隙があれば、彼女を自分へ振り向かせてみせるとは考えてみたものの、何の術もなく、当面は様子を見て行くことになるのだが。



 朝夕の暑さが和らいできたある休日、彼女とランチを一緒にする約束をしていた。彼女の好きなイタリアンのお店を予約し、いそいそと向かう。今日は、ランチを済ませたら彼女を今話題の映画に誘ってみようと、チケット購入も済ませてある。彼女には、まだ話をしていないが、彼女とのランチの様子次第で提案しようと計画していた。見切り発車ではあるが、上手く会話を誘導できれば、行けると確信していた。

 携帯を取り出して、映画の上映時刻を確認し、レストランからの導線と行き着くまでの時間コストを計算し、逆算してランチにかけられる時間と切り出すタイミングを頭の中でシミュレーションしていた時、彼女からメッセージが入ってきた。


 『ごめんなさい。今日は行けないかも』


 どうしたのだろう?彼女らしくないというか、急遽何か予定が変わってキャンセルということは、誰でもあることだが、やはりらしくない、キャンセルメッセージである。とりあえず、彼女に事情を伺ってみようと、携帯の画面をタップする。

 『何か急な予定変更?大丈夫?』 

 彼女の既読がつくと、直ぐに返信がきた。

 『そうじゃないけど、なんかごめんなさい』

 何故だか普段の彼女とは、少し異なる感じだったので、電車が駅に停車すると、直ぐに降りて彼女に電話を入れた。

 頼む電話を取ってくれ!願う様にして電話をかけ続ける。こういう時に、かかって来た電話をスルーする人じゃない。美香はそういう人だから。

 すると、数回のコールで、彼女の電話を取った。

 「もしもし、小谷さん、ごめんね、急に電話なんかして。大丈夫か心配になって」

 頼む、何でもいいから声を出してくれ!そう心の中で願った。

 「もしもし。ごめんなさい、突然のキャンセルで・・・」

 「大丈夫。ところで何かあったんだよね、話を聞かせてもらえる?」

 やや強引だが、ここは攻めしか突破口はない。

 「えっと・・・」

 「電話じゃ話が長くなりそうだから、とりあえず出てきてよ。約束したお店で待っているから」

 「え、うん・・・・」

 「じゃあ、後でね。待っている」

 そう言って電話を切った。後は神のみぞ知る!これで彼女が来なければ、それまでだ。その時は、また少しずつ距離を近づけて行けば良い。


 レストランに定刻通り着いた自分は携帯の画面で時刻を確認すると、彼女がここに現れるのは、約束の時刻から相当遅れて到着することが予測される。この様子だとランチタイムの時間は終わるだろうから、最悪お店にはいられなくなるかも。それに長居をしてしまうと、お店にも迷惑がかかる。携帯を片手にネットでお店の情報を見てみると、ランチタイムの時間後もお店は空いていることが分かったので、最悪二人分のランチを食べれば、このレストランで彼女を待っていられる。“よしっ“と腹を括り、ランチを二人分オーダーした。ランチを食べた後は、カフェのタイムだろうからコーヒーを何杯でも頼めば居座り続けられるだろう。

 

 と、思っていたら、意外にも彼女は早くお店に来たので、ランチ二人分を食べずに済んだ。寧ろ、彼女の来るタイミングに合わせてランチが運ばれてきて、ラッキーだった。

 「あの、遅くなってごめんなさい」いつもの彼女らしくない雰囲気だった。

 「ぜんぜん大丈夫だから、気にしないで。とりあえず、ランチの時間に間に合ったことだし、食べようよ」丁度運ばれてきたランチを彼女に勧めた。何よりも、美香が来てくれたことが嬉しかった。


 普段は明るく、暗い一面など全く見せない彼女が落ち込んでいたので、その理由を聞いてみたところ、彼女自身から起こした行動が原因による一連の不幸な出来事だということだった。

 要するに、彼女の話をザックリ聞くと、こんな感じで纏まる。


 昨年の春頃、美香は、美香の想う男性とお茶をしようとカフェに向かっていたところ、偶然にも美香の学生時代の友達に会った。そこで美香と友達の女性は、意気投合しお茶が終わったら食事をしようということになり、お茶の間も友達を待たせるのもなんだからと、カフェだし一緒に来ればいいじゃないと誘ったらしい。ただ、美香の誤算は、その友人が美香の想う人と同席をしてしまったことだった。つまり、美香はその友人が別の席で待ってくれるものと思っていたらしいが、何かの手違かハプニングか分からないけど、同じテーブルに同席となり、その友達を美香の想う人に紹介する羽目になったということだ。

 ところが、その紹介した者同士、つまり友達の彼女と友達の彼氏が、お互いに気に入ってしまい、美香は友達の彼女に想う男性を取られてしまったということだった。


 「でも、その小谷さんの想う男性って、その、小谷さんが好意を持っているって知っているの?」

 「知らないし気付いていないと思う」と言いながら、首を横に振った。

 「なるほど。で、その彼に告白しなかったの?」

 「なんか、気づいたら友達に好意をもっているって言われちゃって。それで、相談とか色々受けていたら言い出せなくなったの・・・」そう言って、彼女は下をうつむいた。


 なるほどね、彼女らしいと言えば彼女らしい展開だ。美香は、見た目もボーイッシュで行動もさっぱりしている性格のせいか、男性からしたら同性みたいに思われてしまう所があるのだろう。恐らく、その男性も、女性として見ているといより友達カテゴリーに入れてしまっているのだと推測する。でも、美香は、気立てが良くて人一倍気を遣う性格で、頼まれたら断れない性格なんだよな。

だから、誤解を受けやすいのだろう。


 「でも、それだけのことなら、小谷さんから告白して白黒つけるか、その想う男性にアピールして振り向かるだけなんじゃない?」

 「それはそうなんだけど・・・」

 「だけど? 他に何かあったの?」

 「それが・・・」


 だが話はそれだけで終わらず、落ち込んでいる本当の理由は、この続きがある。

その年のクリスマスイブの前日、美香は、好きな彼を友達の彼女に取られたくないと思う一心から、その友達に”彼には恋人がいるらしい”と偽りの情報を匂わせ、友達と彼との間に溝を作り距離を置かせたらしい。

 美香の思い通りに事は運び、友達は少しずつ彼と距離を置いていった。美香の想う彼は、なぜ彼女が離れていってしまったのか思い悩んでいた。まあ原因は美香の偽りの情報何だが。ある日、彼が傷心しているところに、美香が彼に「私と付き合えばいいじゃん!」と告白をした。だが、美香の想いは彼に届かなかった。その後も美香は果敢にも意中の彼を堕とそうとアプローチを試みたが、彼は全く靡かなかった。

 一方で、美香の友達の彼女は、いい雰囲気になりかけていた彼に恋人がいると、美香から聞いて以来、その彼とは距離を置くのだが、たまたま偶然にも彼女の父親の知り合いとの見合い話があり、断り切れず見合いを受けたところ、その見合いを受けた相手は彼女に一目惚れだったらしい。ある日、その見合い相手が彼女を食事に誘った時に、美香も一緒に同席したことを切っ掛けに、その見合い相手に彼女には想う人がいるが上手く行っていないとの入れ知恵をした。同時期に美香が友達の彼女に想う男性は付き合っている人がいると虚言した訳だから、彼女がお見合い相手と上手く収まることを見込んでいたのだろう。そして、彼女もそのお見合い相手の男性に気持ちが傾き、互いに気持ちを育み恋が成熟して、友達の彼女は六月の花嫁になった。

 ひとまずは、事が上手く運んだと胸をなで下していたのだが、美香の目論見通りには行かず、いずれも美香の想う彼は離れて行ってしまい、友達だった彼女とは、結婚して間もなくから疎遠になってしまった。結果は、二人とも美香から離れたという事だ。


 とまあ、そんな結末を迎えることになって、美香は落ち込んでいる。

 美香の話を聞いていて、意中の相手を振り向かせるために、ここまでよく頑張ったと感心してしまう。倫理的に良いか悪いかと言えば、後者なのかもしれないが、自分だったらと考えると、意中の人を振り向かせるために美香と同じように企てることをするだろう。

 美香の戦略は、間違っていなかったと思う。美香の想う彼に対して、もう少し布石を打っていたら、傷心していた彼の心の隙間に入り込むことも出来たかもしれないが、人の気持ちは机上で考えた通りには動かない。まあ、個人的には、その美香の想う男性が離れてくれて有り難いが。


 食事も一通り一通り終わったので、追加で二人分の飲物を注文した。因みに映画は自動キャンセルである。


 「何だか疲れちゃった」と、それが今の彼女の心境らしい。 


 友人二人が離れてしまったという事に落ち込んでいる訳ではなく、そう言った一連の事で立ち回ったにも関わらず、結果が得られなかったことに対して彼女は落ち込んでいる。もっとも、自分が思うに、彼女は意中の人を振り向かせる一心で動いたのに、彼に振り向いて貰えなかったという彼女のプライドにも起因していると思う。

 それと、美香の友達に“彼には付き合っている人がいる”と偽りの情報を言い友達を想う彼から疎遠させ、それが原因で彼は恋を成熟させられなかったわけだから、彼に対しては多少の罪悪感を持っている様で、彼女が色々な意味で落ち込むのも仕方がないのだろう。


 人によっては、こんなストーリーを聞いたら美香に対して色々と思うかもしれないが、自分は、そういった積極的な考えを持って行動する彼女に好感もつし、そういう美香が好きだ。誰もが恋愛を成就させたいと願うだろうし、その為の手段を尽くした訳なのだから、それはそれで良いと思う。まあ、やり方は上手くなかったのかもしれないが。

 恐らく、彼女のロジックは、“0”か“1”であり、All or Nothingといった割り切った考え方なのだろう。それは、彼女と付き合っていると何となくわかる。今、彼女は落ち込んではいるが、それは、自分が選択した戦略と戦術が甘かったことに対しての落ち込みであり、もちろん失恋の落ち込みもあると思うが、寧ろ事を上手く運びきれなかった自分への自責の念みたいなものではないだろうか。

 

 そして、そんな落ち込んでいる彼女を見ていると、今が彼女を振り向かせるチャンスなのではと、思っている自分がいる。落ち込んでいる彼女には、今、隙がある。だから、彼女の気持ちを掴めるチャンスかもしれないと、機を狙い様子を伺う自分もまた、彼女と同じ輩なのだろう。


 その日は、彼女と夕飯も一緒に食べ、とにかく彼女の話の聞き手役に徹した。


 「今日はありがとう。なんか私ばっかり沢山喋ってしまって・・・ごめんなさい」と詫びを自分に入れる彼女は、間違いなく気持ちは何処か沈んでいる。

 だが、今日一日色々なことをさらけ出して話した彼女は、少しすっきりとした雰囲気になったようで安心した。

 「いいよ、誤らないで。大丈夫だから。何だか元気になって嬉しいし。小谷さんは、いつもみたいに元気で明るい方が魅力あるし、それが君らしいと思うし」

 「え、そうかな。そ、そっか、ありがとう」美香は頬をみるみる赤らめてゆく。

 “今の美香は、何だか雰囲気が柔らかくなった様な気がする。いい感じかも”美香を見てて、そう思った。

 「小谷さん、それじゃあ、また今度」

 「うん、今日は本当にありがとう。話ができて良かった。それから、」

 美香が、何か言いたそうだが、恥ずかしいのか下を向いた。

 「今日、奥谷さんと会って良かった」注意していなければ聞こえない程の小さな声だった。

 すると美香は、ぱっと顔を上げて「じゃあね!」と笑顔で手を振ると、駅の方へ小走りで行ってしまった。そんな美香の仕草を見たら、愛しくてたまらなかった。

 帰りの電車の中で、彼女に向けてメッセージを入れた。

 『何かあった時は何でも言ってね。おやすみ』

 彼女の既読が直ぐについたが、返事はなかった。



 それから、彼女が疎ましく思わない程度にメッセージをまめに送り、出来る限り彼女と会うなど接触機会の頻度を多く心がけて、その都度、彼女に同調し同じ価値観の世界にいるのだということもアピールし続けた。あと、何があっても彼女の味方だということも。


 夏の終わりを告げる涼しい秋風が吹き始めたある夜、彼女と一緒に食事をした時、珍しく少しお酒が回ったのか、彼女は酔った勢いで饒舌に彼との纏わる話しをしていた。

 聞いていて面白くもない話だったが、最初の一時間は彼女に寄り添う様に傾聴し、彼女の好き勝手言う意見に同調していた。だが、時間が経つにつれて彼女もいい加減自分で言っていることが詭弁だということにうすうす気づいていた。彼女は、恐らく酔っているという自分を利用して、言い訳を言いたいだけなのだろう。誰しもが自分を正当化したくなる。今の彼女の心境は、そんな感じなのかもしれない。

 時間が経つにつれ彼女の勢いが衰え、やがて静かになり、うつむいてしまった。


 彼女の再び落ち込む様子を見た時、この機会を逃したら、そう思うと行動せずにはいられなくなった。

 「自分じゃあダメかな?」あの時の彼女と同じ言動だ。インパクトはあると思う。

 「小谷さんのことが、好きなんだけど」

 彼女がゆっくりと顔をあげて自分を見る。彼女だって、自分の気持ちは、とっくに気づいていただろう。このシチュエーションで、この告白は、彼女が踏んで来た道だ。彼女は今、あの時の彼の立場だ。そして、その目線で自分を見ることで、まるであの時の彼女自身を重ねて見るはずだ。

 すると彼女は、今までお酒に酔っていた雰囲気とは違い、しっかりとした口調で、

 「今はそういうこと考えられないから」

と、いつもの強気な彼女が、そう言った。

 暫く沈黙が続いたが、ふぅとため息を放つと、


 「あ、そう」

 

少し冷めた態度で返答した。

 あくまでも冷めたふりをしているだけだが、それも今ここで流れを変えないと、この先も彼女との関係はずっとこのままだと思ったからだ。だから彼女を自分に振り向かせる賭けにでた。

 急な態度の変化に少し驚いている彼女に、更に付け加えて、これまでとは異なる正論らしい正論で、慎重に彼女の様子を見測らいながら、彼女にとって指摘されたくない事も敢えて意見するなど、同調路線や都合よくて一緒に居て心地よい聴き手から、厳しい対応をするシリアスな自分を演じた。 

 今までの自分とは打って変わった態度ということもあって、彼女は戸惑いを隠せない様子だった。 

 その日の別れ際もあっさりとやり過ごした。



 あの日以来、彼女は連絡を取りにくいと感じたのか、メッセージが来なくなった。そして、自分からもメッセージを送ることを敢えて控えていた。あの日の前までは、日常の些細なことでもメッセージを送り合うくらい頻繁に遣り取りしていた。

 彼女と連絡を取らない毎日は、とにかく何も集中できず、とにかくつらい日々が続いた。何度も携帯電話を握り彼女とのメッセージ画面を見つめては、何かメッセージを送りたい衝動にかられた。 

 この賭けが、自分が思い描いた通りに進むかどうかの結果は全く分からなかった。しかし、これを機に彼女が自分という存在に、少しでも意識してくれればと願っていた。彼女の特別な存在でありたい。これで彼女との縁が途切れるのであれば、その時は、そういう事なのだろう。


 それから幾日か過ぎて行った。

 蒼く澄み渡った空に街の街路樹が紅く染まる頃、高層オフィスの窓から、その何処までも高く透き通った空を眺めていると、そろそろ彼女に対して何かしらのアクションを起こさなければと思った。そうでないと、彼女との関係は、この何処までも続く青い空の彼方へと消えて行ってしまう様に思えたからだ。今は、彼女がとても遠くに感じられる。


 『久しぶり、元気?』彼女にメッセージを送った。


 直ぐメッセージに既読がついたが、返信もなく相変わらず黙ったままだった。

 彼女からの返信が全くないと、続けざまに”どうしてる?とか、大丈夫?”などのメッセージを送りたくなったが、逸る気持ちを抑えて、とにかく彼女からのアクションを待つことにした。

 その日の仕事中は、メッセージアプリを開いては閉じの繰り返しで、定時に仕事を終えて帰宅する頃には、もうダメかな、誤った戦略だったかなと、落胆し携帯電話の存在そのものをこの世から抹消して欲しいと願った。そうすれば、気にすることもなくなるだろうし・・・。

 翌日以降、これで何も彼女が反応しなければ、次の打つ手をどうするか、そんなことばかり考えていた。未練がましいと思ったが、彼女のことは諦めがつかないし、昨日のままで何も起こらなければ、中途半端な気持ちを抱えて、この先生きていかなければならないことを考えると、そう考えずにはいられなかった。ただ、今は待つことが賢明だろうと思ってはいたので、我慢して引き続き待つことにした。


 その日の夜、やっと彼女から返事がきた。


 『心配してくれてありがとう。大丈夫です』


 それと、もう一つ。


 『今週末会えますか?』


 彼女から送られて来たメッセージは、それだけだった。そのメッセージに対して、直ぐに返信はせずに、少し時間をあけてから『大丈夫です』と、返信した。

 たったこれだけの短いメッセージなのに、何度も携帯電話のメッセージアプリを開いては、彼女からの返信を読み返した。


 “今週末会うのは嬉しいけど、何処で何時に会うの?ええ?おーい!”


 それ以降、彼女からは一向に返事が来ない。


 “自分から誘っておいて、それはないだろう”


 まあ、彼女らしいと言えば、彼女らしい。いつもの彼女だな、そう携帯の画面を見ながら笑ってしまった。 

 流石に、ここは待つことなく、こちらから場所と時間を連絡した方が良さそうだし、恐らく彼女の意図も、そう言う事なのだろう。彼女は、自分の気持ちを計っているのかもしれない。自分の事が好きなら、しっかり追いかけて来い、そういう事を彼女は言っているのかな。

 彼女に当日の待ち合わせ場所と時刻を追記でメッセージした。



 

 カフェで彼女を待っている間、今日はどんな感じに収まるのかな、などと考えていた。入口に目をやる。携帯電話の画面を開き時刻を確認すると、まだ待ち合わせ時間には余裕があった。

 すると背後からいきなり声を掛けられた。

 「おまたせ、待った?」

 「まだ、待ち合わせ時間前だよ」

 そう言うと、彼女が「だよねー」とおどけて笑った。

 待ち合わせ時刻前に彼女が来たものだから、心の準備が整っていなかった。

 彼女はというと、いつも通りさっぱりした感じで明るく、そこに立っていた。

 「立っていないで、座りなよ」

 「え、いいの?」と、白々しく言いながら向かい側の席に彼女が座る。

 「オーダーは、何か頼んであるの?」

 「うん、なのでドリンクを取りに行ってきます!」と言って、彼女はバッグを椅子に置き、ドリンク受け取りカウンターへ向かった。

 いつも通りの彼女なので、拍子抜けしたというか、何というか、どんな態度をとったらいいか余計に困惑した。予想では、もう少しシンミリとしているかと思っていたのだが。

 注文したドリンクを手に持って席に戻ってきた彼女に「なんだいつも通りじゃん、心配して損した」と言ったら、彼女は、椅子に腰かけながら、

 「心配かけちゃったよね、ごめんね」

と、意外にも素直な女の子っぽく言うので、慌てて「そんなことない、本当はすごく心配していた」と訂正をいれた。

 「ほんとかなあ」そう言ってストローでドリンクを飲む彼女に、「あれから、何の連絡もよこさないし。小谷さんに酷いこと言ってしまったかなって気になっていた。でも、元気そうでよかった」  そう言って、真顔で彼女を見つめると、彼女も真顔で答えた。

 「うん。酷いこと言ったね」

 “やばい、根に持っているのか?!”やや焦る。

 「でも、色々と言ってくれて、逆に気が楽になったというか。正論だもの言ってくれたこと。でもね、もう大丈夫だから」そう言って、潤んだ瞳で自分を見つめる。

 「心配してくれたんだよね?ありがとう」そして、彼女は、とびっきり可愛い笑顔を見せた。

 「あ、まあ、うん」と、短い返答をすると、また暫く沈黙が続いた。

 なんだか無理に明るく振舞っていないと、空気が重く感じてしまう。でも、嫌な雰囲気じゃない。 

 自分の勘違いでなければ、いいムードなんじゃない?

 店内のBGMにメロウな曲が流れてくると、お互い何かを意識しているのか、少し照れ笑いながらも見つめあう。見つめてくる瞳の中に彼女の想いが感じ取れた。

 テーブルの手元にあるドリンクに、彼女が目線を落としたタイミングで、彼女に言葉をかけた。

 「あのさ、この後どうする?」

 彼女がこの後も自分と一緒にいたいのか訊きたい。自分は、彼女と一緒にいたい。

 「とくに何も予定はないけど」

 「けど?」

 「一緒にはいたいかなって」彼女は照れくさそうにストローの包み紙をくるくると指でいじって丸めた。

 “おおおおおーっ!”と、心の中で雄叫びが響く。興奮で瞳孔が大きく開いている自分の顔が想像できる。落ち着け自分と、自分に言い訊かす。

 「じゃあ、映画でも行く?チケット予約取ってあるんだ」

 本当は予約なんて取っていない。だけど、どうにでもなる。チャンスを見つけて、携帯で近くの映画館を検索して、上映ページで映画を選んで、チケット予約すれば完了だ。とにかく彼女を繋ぎ留めたい。

 「チケットあるの?!」

 驚いた表情をする彼女に、瞬間的に嘘はつけないと悟り、

 「いや、ウソ。あ、でもね、前にランチを一緒にした時、あのドタキャンの時の。その時は、ランチの後、映画を一緒に観に行こうと思ってチケット購入していたんだ。無駄にしちゃったけど」

 「そうだったの?」

 そう言って、あきれた感じに笑う彼女は、いつも通りの可愛い笑顔の彼女だ。


 その屈託のない笑顔と瞳に、ますます惹きこまれていく。ほんの暫く彼女に見惚れてしまった。彼女から、なに?と聞かれたが、何でもないと答えた。


 やっぱり、彼女が好きだ。


 彼女は自分のことが好きだろうか?どう思っているのだろう。

 「あのさ、自分のこと、好き?だったりする?」

 どうかな?と、顔を明後日の方向に向きながら答える彼女表情は、なんだか嬉しそうに見えた。



 その日以来、また毎日沢山のメッセージの遣り取りをしている。

 それと、以前と比べて、彼女と頻繁会うことが多くなった。

 そして、彼女の話題からは彼の存在は消えて、

 何よりも違うのは、彼女の中で自分に対して関心を持ってくれているのが分かる。

 あと、いつも会っている時の彼女の瞳は、真っすぐ自分を見つめている。


 彼女が大好きだ。


 この恋の成就が1%の可能性でもある限り、自分は彼女のハートを攻略し続ける。

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