ひたすら西へ

とある日曜日、独身寮で一人むくっと午後一時ごろに目を覚ましたくせに、少々肌寒さを感じるようになった秋の空気に妙な清々しさなどを感じ、天気もよかったので、愛車、ミラパルコでドライブに出掛けることにしました。


どこに行こうか、そうだ、久しぶりに大島大橋を渡ろう。その先の崎戸町に行ってみよう。夕日を追いかけてひたすら西に行ってみよう。地図を見ながらそう思い、身支度を始めました。


夕日を追いかけてという漠然とした目標で、そこまで時間の制約もなく、急いで運転するわけでもなく、一人で気ままに出掛けるのもいいもんだなと思いました。まだ通りなれた佐世保市内の国道を走っているところでしたが、心に余裕があるときには車窓からの景色も新鮮に感じ、また、実際今まで見えてなかったものにふと気付くこともありました。


佐世保市内を抜け、西海橋を渡って最初の大きな交差点を右に曲がってからは、『大島大橋』とかいてある看板の差す方向にしたがって、山道に入っていきました。しばらくすると、海と大島大橋そのものがミラパルコの小さなフロントガラスのスクリーンいっぱいに見えてきました。雰囲気を出そうと、僕はサングラスを掛けました。あ、これこれとすかさず、当時流行っていた癒しのCD、『image』をカセットテープにダビングしておいたものを愛車のラジカセに入れて流しました。気分が盛り上がってきました。


このさわやかな気分に大島大橋の通行料金数百円などは惜しげもなく払えました。ひたすら西へ向かっている僕ってラジカセだけど格好いいなと自分で自分を好きになっていました。


大島町までは来たことがありました。これからさらに西に行ったら未知の崎戸町、西へ西へと向かおうとはしているのですが、決して道はまっすぐ西に向かっているわけでもなく、あるいは案内板に『西の先』という表示もあるわけではないのですが、そこは、太陽が道しるべなわけで、


「え!太陽が道しるべ?今、僕、心の中でなんて言った?」


自問自答して、そんな気の利いた表現がふと思い浮かぶ自分がますます好きになりました。島の中の道を上ったり下りたり、海が見えたり山が見えたり、橋を渡ったりしながら、でも間違いなく太陽には近づいているようでした。


車で行ける最西端に辿り着きました。僕は知らなかったのですが、かなりの名所のようで観光客がいて、車も結構停まっていました。先端の岬でしばらく景色を眺めました。落日まではもう少し時間がありそうでした。岬の百メートルほど手前には御床島荘(みとこじまそう)という国民宿舎があり、『御床島荘・狸の湯』という浴場がありました。よし、夕日が沈みはじめるまで一風呂浴びるとするか。サングラスを掛けたまま国民宿舎の二階にあるその浴場に入場料を払って入っていき、脱衣場で服とサングラスを脱ぎました。


清々しい気分は続きました。調子に乗って体もちょっときつめにゴシゴシ洗いました。 そのあと景色を見ながらお湯にもたっぷりつかりました。最西端なだけあって、お風呂につかった状態で西側が見えやすいように、やや西側の北向きの窓が一面ガラス張りになっている浴室でした。おそらく女湯は西側の南向きの窓が同じようになっているのでしょう。しばらくつかっていたら温まってきたので、お湯から一旦あがって、浴槽の縁に腰掛けて体を冷ましました。再びお湯につかりました。今度は体の芯からぽかぽかになったようでした。またあがって浴槽の縁に腰掛けました。今度は体が冷めるまでしばらくかかりそうでした。なかなか体の火照りは冷めませんでした。お風呂につかりながら景色が見えるようになっているため、徹底的に浴室の外側が湯舟、内側が洗う場所になっているため、体を冷ますために内側にあがれば、せっかくの景色が見えにくいようになっていました。どうしようかなと思いながら反対側をよく見ると、窓枠は、浴槽の縁と一体化していて幅四十センチぐらいになっていて座れそうになっていたので、そっちに移って腰掛けて、足だけお湯につかることにしました。 足がお湯につかっているだけでもどんどん体が温まるみたいで、なかなか体は冷めませんでした。僕は足をお湯から出して、四十センチの浴槽の縁の上で体育座りをすることにしました。夕日はどのくらい沈んだのだろうか。気になって窓から見ようとはしたのですが、男湯女湯平等に西が見えるように造られているということは、実は真西はなかなか見えないわけで、太陽そのものは見つかりませんでした。どうにかして、見えないものかと、僕は浴槽の縁で立ち上がって窓ガラスに張り付いて必死に西を見てみました。なんだか、比較的水平線に近い高さの雲の裏側から赤い光が差しているあれかなと思い、結構沈んできているようだし、そろそろお風呂からあがるために体を冷まそうかなと思いました。


ふと、なにげなく今度は空から自分の近くに目線を写すと、二階の窓の下の方に、日帰りの観光客だか、国民宿舎の宿泊客だか分かりませんが、ぞろぞろと岬のほうに集団で向かっているのが見えました。あ、夕日が沈むのがそろそろで、みんな見に行っているのかなと思いながら下を見ていました。その中で、五、六人のおばちゃんのグループが、逆にこっちを見上げていました。何を見ているんだろうと、その動きに注目しました。そのおばちゃんたちはちょうどこっちぐらいの方を見て、指を差してニヤニヤしていました。一体何なのだろう、何かあるのかな。いや、違う。おばちゃんたちはまさに僕を指差して笑っている。しまった!僕がガラス越しに外の景色を見ているのと逆に、ガラス越しに外からも見えているんだ。僕がすっぽんぽんで窓に張り付いているのが丸見えで、それを見て笑っているんだ。


ザブン。


今さら湯船につかったって手遅れでした。見られたものが返ってくるわけではありませんでした。体は火照っているのに居ても立ってもいられずすぐに風呂からあがり、ろくに体も拭かず、ぽかぽかの体から汗がだらだら流れるのに無理やり服を着て、とにかく出ました。


あれだけ待ち遠しかったのに、今はおばちゃんたちもいるであろう岬に行って落日なんか見たくもありませんでした。サングラスも急にばかばかしくなってもうつけるのはやめました。


狸の宿に化かされた情けない男は車に飛び乗り、


すぐ出発しました。あんなに自分が好きで、清々しかったのに、そんな爽快だった気分からの落差もあって、今は運転しながら泣きそうになっていました。あれだけひたすら西に気持ちよく向かってきていたのに、今はとにかく東に帰りたい、というよりも、西から離れたくて仕方がありませんでした。西から一刻も早く離れたいのに、帰り道はくねくねくねくね行ったり戻ったり。大島大橋の通行料金なんか、行くときは払ったけど、これから戻るんだからさっきの金返せと言いたくなりました。完全に日が落ちて車の中が真っ暗闇になったとき、涙はこぼれませんでしたが鼻水が流れはじめました。鼻水をぬぐう気力もなく流しっぱなしでした。


佐世保の独身寮の真っ暗な部屋に着いたら、一旦電気を点けたりもせずにとにかく布団にもぐりこみ、なるべく何も考えないようにしてそのまま眠りました。

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