第6話 遭遇

 ――秋ちゃんったら、こっちの気持ちも知らないで。


 花はついさっき別れたときの秋の後ろ姿を思い出しながら、一人むくれていた。もともと旧校舎に入ったら、どこかで秋と二人きりになろうと考えていたのだ。


 せっかく、秋ちゃんと二人きりになれる機会だったのになあ。

 実は、直が分かれて校長室を探そう、と言ったときに花は心の中で「やった」と思っていたのだ。これは二人きりになれるいい口実になると。

 そうなったら、あのことを伝えることができる。

 旧校舎といういつもと異なる特別な空間なら、普段は言えないことでも言えてしまえる様な気がしていた。


 ――それなのに。


 花はふん、とばかりに鼻を鳴らした。まさか、あそこで秋があんなことを言うとは思ってなかったのだ。しかも、あの様子だと校長室を探すつもりもあまりなさそうだ。

 もう、少しおモテになるからって調子にのっちゃってさ。


 ――嫌いになっちゃうぞ。


「…あのさ」

 花が黙ってうつむいているのを見て、直が声を掛けた。

「ふ?なに?」

 花は我に返った。

「いや、悪かったなと思って。ほんとは秋と一緒が良かったんだろ?」

「いやいや、そんなことはないよ」


 花は急いで否定する。確かに秋と二人きりになりたかったが、もちろん直と二人になるのがいやなわけではない。

 しかし、そんなことを直は知るわけがない。秋と別れた後に花が元気をなくしたとなれば、自分と一緒になったことがいやなのだと思っても仕方がないのだ。


「いや、いーんだよ」

 気を遣われたと思ったのか、直が片手を振って言う。

「いやいや、違うったら」

 花もすぐに言い返す。

「いや――」と直がそれでも言いかけるが、花はそれも「いやいや」と途中でさえぎる。

「いや、だから」

「いやいや」

「おう、わかった、わかったけど――」

「いやいや」

「そうじゃなくて――」

「いやいや」

「いや、うるせえよ!」

 直が苦笑いしながら怒鳴った。花が途中から自分をからかっていることに気づいたのだ。


「えー。直くんがこわーい。せーんせー、男子がそうじしてませーん」

 花は大袈裟に怯えたふりをする。

「ったく。ガラにもなく気にしちまったぜ。損した気分だ」

「そうそう。そんなこと気にしなくていいのよ」

 花はうんうんと頷いた。


「でも、お前は秋のこと好きなんだろ?」

「――へ?」


 あまりに急なその問いかけに、思わず花は言葉を失う。

「地元の奴らは、お前らは保育園からずっと一緒なんだから、仲がいいのは当たり前だと思ってる。お前らのことは家族みたいな関係なんだってな。でもそうじゃないだろ?」

 直は目に付く鍵穴に鍵を差し込みながら言う。


「な、何で――」

「何でって、近くで見てりゃそれくらいの違いはわかるさ」

 花は真っ赤になった自分の顔を両手で覆う。

「…秋ちゃんとは仲の良い幼なじみって設定だったのに」

 花は白状した。


「お前さ、その設定が自分の首をがっつり絞めてるってことに気がつかないもんかね」

 直はあきれるように突っ込んだ。

「うーん…だって今更どうにもできないんだもん」

 花は開き直って愚痴を吐く。

「秋ちゃんは今に満足してるみたいだし。私だってそうだもん」

「じゃあ、別にいいじゃねえか」

 直が軽く返す。

「それが、そうもいかなくなったの」

「ふーん。まあ、あいつモテるだろうからな」

「それもある。秋ちゃん、女子たちの間では王子って呼ばれてるんだから」

 花は自分のことのように得意気に言う。


「確かにありゃ王子ってツラだわ。それに気づいてないのは当の本人だけじゃねえか?」

 直が小さく吹き出す。

「そうだと思うよ。私達って、生まれてからずっとこの町にいるじゃない?だから誰かにかっこいいって言われても、秋ちゃんはそれが社交辞令だと本気で思ってるの。ほら、おじさんとかおばさんってよくそういうこと言うでしょ?」

「あー。なるほどな」

 直も心当たりがあるのか、納得する。


「ね。私だってよくかわいいって言われるもん。小さい頃から地元の人たちからそんなこと言われてたもんだから、地元の子たちのかっこいいって言葉も、秋ちゃんは全く本気にしないのね」

 花はいつもよりも早口になって説明する。

「つまり、久しぶりに会ったおばあちゃんに『大きくなったねえ』って言われるのと同じってわけだ」


 直はそう言いながら花の前を歩きつつ、扉をチェックしていく。いつの間にか、それらしい部屋のゾーンを抜けてしまったようだ。明らかに普通の教室だったものが続いている廊下を二人は歩いていた。


「そうそう。ありがとー、で済んじゃう感じだよ」

「しかもそれでフラれたりでもしたら、地元中にそのことが知られちまうもんな。女達もうかつに動けないってわけだ。秋は自分からそんなこと、言いふらさねえと思うけど」

「そうなの」

 花はうんうん、と何度も頷く。

 まあ、本当は花とあのロリちゃんが抑止力になっているからだろう、と直は思ったが、口には出さないでおいた。


「じゃあ今度、学校が変わったらやばいかもな。色んな女が寄ってくるぜ」

 直が振り返ってにやりと笑う。

「そうなんだよねえ」

 花は溜め息をつく。

「まあでも、秋なら大丈夫だと思うけどな」

 直は慰めるように声を掛ける。


「うーん。でも、その前に――」

 花は言い掛けるが、はっと口を閉じた。

「その前に、なんだよ?」

 直が聞き返す。

「いや、何でもないよ」

 花は両手をぶんぶんと振った。


「それよりも、なおくんはいないの?好きな人」

 花はごまかすように話を変えた。


「いるよ。いるけど・・・・俺は、恋より友情をとる男なんだ」


 直は花の前を歩いたまま答えた。そのとき、直は何かを我慢するかのように、唇をぐっと噛みしめていたのだが、花からはそんな直の様子を見ることができなかった。

 

 ――花と直は三階の中央階段の前にきていた。二階もしらみつぶしに探したのだが、結局それらしき部屋を見つけることはできなかったのだ。


「つーかさ、普通は三階に校長室なんてないよなあ」


 ついに直がぼやいた。きっと階段を上がった時点で疑問に思っていたのだろう。それでも当てがない以上、二人ともそのことは口に出さずにいたのだ。


「そもそも、二階にもないよ。ふつう」

 花も同調するようにぼやいた。

「つーか、やべえ。秋と別れて45分も経ってる」

「ほんとに?でも秋ちゃんから連絡ないね」

「ちょいと電話するか」

 そういって直は、ズボンの後ろポケットから携帯電話を取り出した。



「――え?見つかってないの?」


 秋は受話器越しにいる直に向かって話す。どうやら約束の三十分をとっくに過ぎていたようだが、そのことはお互いに忘れてしまっていたようだ。

 秋はカウンターに向かって歩きながら、ぼそぼそと「俺もまだ・・・」「図書室に・・・」と直からの質問に答える。

「うん、じゃあまた職員室にね」

 そう締めくくって秋は電話を切った。


「遠藤君からですか?」

 桜子が本に目を落としながら聞く。

「うん。ずっと校長室探してたらしいけど、見つからなかったって」


 自分は早々に図書室で桜子とおしゃべりに興じていたというのに、直たちはずっと校長室を探していたのかと思うと、秋は少し後ろめたい気持ちになる。

「とりあえず、また職員室に集合だってさ」

 秋は思わず小さな溜め息をついてしまう。これでせっかくの読書タイムがおしまいになってしまった。


「秋くん、今更になって言いにくいけれど」

 桜子が遠慮がちに声を掛ける。

「なに?」

「校長室って、通常は職員室の傍にあると思う」

「――え?」


「今の校舎も校長室は職員室の隣にありますし、きっと来客用の玄関の近くにあるんじゃないかしら」

「そういえば・・・・」

「でも、職員室のところは一番に探したんですよね?」

「いや、職員室で校長室のカギだけ取って、そのまま先に歩き出しちゃったから周りは確認してないや」

「それなら、これで解決ですね」

 桜子はふんわりと優しく笑った。


 すると、急に図書室のドアが勢い良く開いた。そして、山中先生がうちわを扇ぎながら、ずかずかと入ってくる。


「あれー?秋くんがいるじゃない?どうしたの、呪いの怨霊探しは?」

「いやあ、校長室を探してたらたまたまここに着いちゃって」

「ふーん、たまたまねえ」

 山中先生に秋の読書好きはとっくの昔に知られている。秋の言い訳を、山中先生は全てお見通しとばかりに意地悪く笑った。


「でも何で校長室?君たち、校長の像を探していたんでしょ?」

「校長の像が校舎の中にあるとするなら、校長室じゃないかなと」

 秋は簡単に説明する。

「あー。なるほどねえ。四階の美術室には重くてまず運べないでしょうし」

 山中先生も納得するように頷いた。

「で、像はあったの?」

「いや、まだ確認してなくて」

「まだ?」

 山中先生は驚いたように目を見開く。

「何で?校長室なんて入ってすぐにあったじゃない?」

「・・・・そうですね」


 秋はその言葉に力なく応じる。桜子はそんな二人のやり取りを見て、くすくすと笑っていた。

「それで、先生はごはん食べたの?」

「うん。龍川でカツ丼食べてきたよ」

 山中先生はそう言ってお腹をぽんと叩く。龍川(たつかわ)とは近所にある定食屋だ。


「じゃあ、今から先生も一緒に本読まない?」

 秋が提案すると、山中先生は何かを思い出したような顔でぱん、と手を叩いた。

「そうそう。実は今から夏祭りの会合があるのよー。さっき組合の人から連絡きてさー。すっかり忘れてたわ」

「じゃあ、私達も一緒に出たほうがいいですか?」


 桜子は本を置いて立ち上がりながら尋ねた。その声はどことなく淋しそうだ。今度はこの図書室にいつ来られるかわからない。もしかしたら今日が最後になってしまうかもしれないからだ。

「いや、別にいいわよ」

 しかし、山中先生はそんな桜子の問いにあっさり答えた。


「え、いいんですか?」

 桜子は拍子抜けしたように聞きなおす。

「うん、ただその会合が終わるのが18時か、それをちょっと過ぎるくらいになっちゃうからさ。私の代わりに玄関のカギかけてもらおうと思って」

 山中先生はポケットから普通の家で使われているのと同じタイプのカギを取り出し、それを桜子に渡した。


「ありがとうございます」

「はいはい。そゆことで、よろしくねん」

 山中先生は桜子に向かってウインクをする。

「カギは桜子さんに渡しちゃったけど良かったかしらん?でも、秋くんじゃどこかに落としそうだしねえ」


「それは、そうだね」

 もちろん秋に異論はない。桜子にならば金庫のカギだって預けられるだろう。

「ありゃりゃ、からかったつもりなんだけど。まあいいや。じゃ、よろしくね。あ、桜子ちゃんにやらしいことしないよーにねえ」


 山中先生は最後にそう言い残すと、さっと右手をあげ、さっさと図書室から出て行った。


「・・・・なんだったんだ」

 秋は一人ごちた。


「――秋くんは」

 桜子がそんな秋の背中に声を掛ける。


「――私にやらしいこと、するんですか?」


 あまりにも唐突なその問いに、秋は思わず、

「しません!」

 と、大声で返した。



 ――直は携帯から耳を離した。


「秋ちゃん、何だって?」

 花が直の顔を覗き込む。

「まだ見つけてないってよ」

 そして思わせぶりに花の顔を横目でみる。


「んで、今は図書室で休憩中だって。センパイと」

「ふーん」

「気になる?」

「べっつに」

 花は気のない返事をするように心がけたが、直には通じていないだろう。


「とりあえず、職員室に集まることになったから行こうぜ」

 直は空気を読んだのか、それ以上は言及しなかった。ここでからかって花の機嫌を損ねるのは、得策ではないと思ったのだろう。

 花たちは三階にいるので、とりあえず中央階段に向かうことにする。来た道を戻るだけに、まず迷うことはない。


 しばらく歩くと、花は急に寒気を感じた。そして校舎内がどこか薄暗いことに気づく。


 この地域はいくら暑いとはいっても、朝夜は冷房がいらないくらいに涼しい。日中でも日陰に入ればそれなりに快適だったりするのだ。

 誰もいない校舎での、木造特有のどことなく湿ったような臭い。校舎の周りは人通りが全然なく、ひっそりとした空気がこの空間を支配している。


 ――なんで、こんなにひんやりするんだろう。


 花はそんなことを考えながら校舎の外を見る。空は原色のように青いが、やはりどこか陰があるように感じる。


 あ、そうか。きっと太陽が雲に隠れたんだ。

 花はそれらの原因に適当な答えを出し、ひとまずほっとしようとする。

 でも、なんでだろう。なんでこんなに不安なんだろう。ただ肌寒くなっただけなのに。これを悪寒っていうのかな。

 もしかして、風邪かなあ。


 しかし、直が自分の両腕を急にさすり始めた。


「あれ?何か急に寒くなってきたな」

「あ、やっぱり。なおくんもそう思う?」

「ああ。日が雲に入っちまったからかな?」

 うーん、と花は腕組みをする。


「…にしても寒くない?」

「そうだなあ。ほんっと真夏だってのに田舎は涼しいよなあ」

 直はのんきに呟いた。

「そういう問題かなあ」


 花は腕組みを崩さずにぼやいた。理由のわからない心細さが彼女を襲う。改めて、今この校舎には私達しかいないんだと思った。


 ――早く、しゅうちゃんやさくら子ちゃんのいる所に行かないと。

 自然と歩く速度が上がる。


 花たちは二階の中央階段から一階へと向かう。そうすると、さきほど三人で通った中央玄関に出るはずだ。

 もうすぐ職員室に着く、と花が思ったそのとき。


 どこかで、ばたん、と何かが閉まる大きな音がした。


 その瞬間、先程まで感じていた肌寒さが一気に増した。


「今の音、なに?」

 花が階段で足を止めて、前を降りる直に聞く。

「さあな。誰かが扉を閉めた音だろ」

 直は一度ぶるりと身震いをして答える。

「先生か、はたまた噂の幽霊さんか」

 そう言って、強がるように肩をすくめて見せた。


「やめてよお」

 花は何度も腕をさすりながら、階段の踊り場にある窓の外に目をやる。そこで気づいた。太陽は出ている。雲に隠れてなんていない。


 じゃあ、なんで暗いんだろう。

 それに、ドアが閉まっただけであんなに大きな音が響くだろうか。

 この原因のわからない出来事が花には不思議で仕方がなかった。


「ねえ、なおくん――」

 花がそう言い掛けたとき、先に階段を降りきっていた直がぴくりとも動いていないことに気づいた。花から見て左手、その廊下の先をじっと見つめたまま固まっている。


「――なおくん?」


 花も階段を降り、後ろから直にそっと声を掛ける。

そして直の背中越しに廊下の先を見ると――。


 そこには何かが、いた。

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