第16話 美術室へ~桃子、校舎へ

 美術室へ


「――おう、おせーぞ」


 直が開口一番、そう文句を言った。


「ごめんごめん」

 秋は軽い調子で謝る。図書室には予想通り、直や桜子、茜や巴の姿があった。

 みんな疲れ切った顔をしている。


「直たちも長い髪の毛に飲み込まれたの?」

「まあな。で、気がついたらここにいたんだよ」


 桜子は慌てて読んでいた本を閉じ、泣きそうな顔で秋の方へと歩み寄った。


「良かったです、無事で」

「うん、桜ちゃんも元気そうで良かった」

「さっきまではセンパイ、放心状態だったけどな」

 直が思い出すように笑った。


「それよりお前ら――うおっ!」

 直は図書室に入ってきた校長の姿を見て叫んだ。桜子も秋の後ろに隠れる。

「怖がらなくていいよ」

 秋がなだめる。

「いやあ、元気そうな生徒たちだ」


 校長は口元を緩ませてのんびりと呟いた。校長はおもむろに直と握手をしようとしたが、何か思い出した様に手を引っ込める。既に秋から、「握手とハグはしないように」ときつく言われていたのだ。


「校長先生から詳しいことは聞いたよ」

 そして秋は、直たちに校長に出会ったいきさつや、『美術室のももちゃん』の話をした。


「――なるほどな」

 直が真面目な顔で頷く。こんな表情は普段の授業ではまず見ることができないだろう。

「じゃあ、今から美術室に行けばいいってわけだな」

「そういうこと」

 秋が頷く。

「確か、美術室は校舎の一番上の階にありましたよね」

 桜子が黒板を確認する。図書室内に◎が3つ。図書室の周りには今のところ、特に何かしらの脅威は迫っていないようだ。あくまで、今のところはだが。


「よし、早速行こうぜ」

 直が意気揚々と立ち上がった。他のみんなもそれに合わせて立ち上がる。

 みんなの中で、いよいよ終わりが近づいている予感がしていた。


 ふと気づくと、胡桃が校長先生のことを感慨深げにじっと見つめていた。

 秋はそのことには気がつかず、胡桃に声を掛ける。

「胡桃、色々ありがとう。今から美術室に行ってくるよ」


 それに対して、胡桃は黙って頷いただけだった。



 再び、遭遇



 秋たちは固まって暗い廊下を歩いていく。みしみしと床が小さくきしみ、その音が廊下にこだましている。


「校長って、意外と静かに歩けるんだね」

 花が驚いたように言う。

「やろうと思えば何とかね。ただ、とにかく体が重いから、ものすごく疲れるがね」

「意外と足も速いもんね」

 秋が校長に追いかけられた時のことを思い出して言った。

「いやいや、まあ若い子たちには負けていられないからなあ。とはいっても昔はもっと早かったんだよ。今はなにせ銅像だからね」


 ほっほっほっと校長は口元の髭を触って笑った。校長の髭は指が擦れて、ずずずと鈍い金属音を立てた。

 廊下にはたくさんの生徒たちの絵や習字などの作品が貼られている。

 その絵たちが秋たちの姿を目で追っているのは気のせいではないだろう。


 作品の中には「歯を磨こう」「火の用心」などのポスターもあり、なぜかそれらの中には「首をちぎろう」「包丁で刺そう」といった冗談では済まされないものもあった。

 桜子は、その包丁で刺されて倒れている子達の絵が、自分と秋に似ている気がしてぞっとした。きっと、これも気のせいではないだろう。


 やっと階段に差し掛かろうとした時、階上から誰かの声が聞こえてきた。


「なんだよ、今の」

 直がびくりと反応して階段を見上げた。


 ――ぷりぷりぷり


 秋と桜子は恐る恐る顔を見合わせた。

「これは、まずい」

 二人はぷりぷりに襲われた時のことを思い出した。包丁で開けた扉の穴からこちらを睨んでいた恐ろしい顔は、今思い返してもぞっとする。


 ぷりぷりは包丁を壁に当てながら移動しているのか、不快な金切り音が校舎内に響き渡る。


 がん、と大きな音がした。

「あ…」

 校長が呟いた。それは校長の足先が階段のつま先にぶつかる音だった。


 ――金切り音がやんだ。

 直後、ぷりぷりぷりという声が、猛スピードでこちらに降りてくるのがわかった。


「逃げろ!」

 秋が叫ぶのと同時に、ぷりぷりがその姿を現す。「え、かわいい」と花が反射的に言った。


「ぷりぷりぷり!」

 ぷりぷりは明らかに秋と桜子を狙っていた。直たちには目もくれず、一目散に秋たちに向かってきた。


「直たちは美術室に!」


 そう叫ぶ秋の頭上を包丁が通る。秋は床に尻餅をついた。はらはら、と髪の毛が数本落ちた。続けてぷりぷりは迷うことなく秋に包丁を振り下ろした。

 秋はとっさに足を大きく広げた。

 ガツ、と固い音を立てて、包丁は秋の股の間に突き立てられた。


「あ、あぶねえ・・・・」

「秋くん!」

 桜子がぷりぷりに上靴を投げつけた。するとぷりぷりは包丁を引き抜き、桜子に向かって襲いかかった。


「桜ちゃん!」

 今度は秋が上靴を投げつけた。ぷりぷりが怒りで血管を浮き上がらせながら、秋へ向き直る。

「秋くん!」

 桜子がもう片方の上靴を投げた。

「桜ちゃん!」

 秋もまた同じことをする。上靴が当たるたびに、宙に浮いたぷりぷりの体が揺れた。

「ぷりぷりぷり!!」


 ついにぷりぷりが本気で怒った。その形相は最初のかわいらしいものとは程遠く、とてつもなく恐ろしいものに変わり果てていた。

 秋と桜子は同じ方向に一目散に走り出す。


「どうする?あいつ本気で怒ってるよ」

「ごめんなさいでは、済まないでしょうね」

 そう言うと、桜子は覚悟を決めたように秋の顔を見る。

「秋くん、囮になって下さい」

「おとり?」


「――私が、なんとかします」


 廊下の突き当りでは、走り疲れた秋が、座り込んで壁にもたれかかっている。

 ぷりぷりは包丁を構えながら、ゆっくりと距離をつめてくる。

「このブサぐるみ!」

 秋がやけくそのなったかのように言い放った。


 その途端、ぷりぷりは叫びながら猛スピードで秋に突進していく。

 すると突然、廊下の陰から桜子が姿を現した。


「・・・ごめんなさい!」


 そう言って桜子は、ぷりぷりの顔面を思い切り蹴り抜いた。それはとても見事な上段蹴りだった。

 ぷりぷりはすごい勢いで後ろに吹き飛ぶと、ピンボールのように激しく廊下の壁や天井や床にぶつかった。


 そして、「またか・・・・」と呟くと、ぷりぷりはそのまま気を失った。


「――すごい」

 秋はぽかんと口を開けながら桜子を見つめた。

「はしたなくて・・・・。ごめんなさい」

 桜子は顔を真っ赤にさせてスカートを手でなおした。

「いや、すごいよ。めちゃかっこいい」

「実は空手をかじっていたことがあって・・・・」

「あ、そうなの?」


 秋は桜子の意外な一面を覗いた気分だった。

 そして、桜子とは絶対に喧嘩をしないようにしよう、と心に誓った。


「ほんっとにありがと、桜ちゃん。よし、急いでみんなを追いかけよう」

 秋と桜子は階段を上がって直たちを追いかける。


 ――それにしても、桜ちゃんって桜色のパンツなんだな。桜だけに。良いもの見せてもらった。

 秋はこのことは自分だけの秘密にしよう、と再び心に誓った。



 直



 俺には父親がいない。

 母ちゃんが俺を妊娠している時に、事故で死んじまったらしい。と、母ちゃんからは聞いていた。

 でも、俺は知っていた。俺の父親という奴は、母ちゃんが妊娠したのを知った直後に逃げ出したということを。

 だから母ちゃんは一人で俺を産んだ。母ちゃんの父ちゃんと母ちゃんはもう死んでいたし、誰も頼る人がいなかったそうだ。


 母ちゃんはまだ若いし、俺が言うのもなんだが、そこそこ美人だ。そのおかげで、俺を産んでからも男関係で苦労したらしい。未婚の若い母親だから言い寄る男もいたわけだ。要は軽い女と思われていたらしい。

 そんな環境に母ちゃんもうんざりしたらしく、俺たちは引っ越した。母ちゃんが小さい頃に住んでいた、山と川しかないこのクソ田舎に。


 その前から、俺はいわゆる不良だったし(ヤンキーではないぜ)、何回か警察に補導もされていた。

 ただ、俺のポリシーとして、「群れない」というものがあった。そういう奴らは、さみしいのか、とにかく群れたがる。俺はそんな集団で調子に乗る様な安っぽい奴らみたいにはなりたくなかった。

 煙草も元々は威嚇のつもりだった。俺と母ちゃんが馬鹿にされないように、俺がなめられないように、と始めてみただけだった。アメリカ映画の影響も多少はあったけども。


 母ちゃんが引っ越しを決めた理由には俺のことも、もちろん入っていた。

 新しい環境で、お互いに心機一転ってわけだ。

 もちろん、俺の噂が広まっているのは引っ越し初日に肌で感じた。俺たちの事情を知っていた人が、うっかり口を滑らしていたのだ。田舎ならでは、だ。

 口を滑らせたのは俺たちが住んでいる家の大家で、まあ悪い人ではないから別に恨んじゃいないけど。


 そういうわけで、俺のデビューはさっそくも失敗に終わった。

 転校した初日も似たような空気がクラス中に満ちていた。いかにも田舎っぽい閉鎖的な雰囲気に、俺はげんなりとした。

 担任の先生だけは、初対面の時から俺に馴れ馴れしく接し、言動も変わっていた。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。きっと、それが作られたものではないとわかったからだろう。他の教師とは違うとわかった。


 転校のあいさつを適当に済ませ、みんなからおざなりの拍手をもらい、俺は席に着いた。正直に言うと、これからこんなところでどうやって過ごしていこうかと、途方に暮れていた。


 そんな時に、隣の席にいたあいつが話しかけてきた。

「タバコ吸ってるって、ほんとか?」

 秋の第一声がそれだった。その顔には純粋な興味があった。

「だったら、何だよ」

 俺はさっそく威嚇をした。こういうのは最初が肝心だった。元々、顔は強面で、声を低かったので、威嚇するのは得意だった。最初でビビらせたら、あとは問題なし。


 しかし、秋はそんな俺に多少ビビりつつも、質問をやめなかった。

「何、吸ってんの?」

 最初は「なんでタバコを吸っているのか」、という意味だと思ったが、違った。何の銘柄を吸っているのか、という意味だった。

「お前も、吸うの?」

 俺はそう言って、自分の吸っているタバコの銘柄を教えた。すると秋は嬉しそうな顔で、

「あ、それさ、俺の好きな映画の主人公たちが吸ってるタバコと同じやつだ」

 と、言った。


「その映画の主人公たちさ、小学生なんだぜ。なのにタバコ吸ってんの。それがかっこよくてさ」

 そう言って、秋は恥ずかしそうに笑った。

 俺はそれで、逆に出鼻をくじかれた。少し、うれしかったんだと思う。いや、本当は、かなり。


「――お前さ、よく俺に話しかけてきたよな。僕は君なんて怖くないよアピールだったのか?」

 しばらく秋と話した後、俺は聞いてみた。すると秋は、否定するように手を振り、

「いや、百聞は一見に如かずって山中先生が言ってたからさ。とりあえず話しかけてみようかなって。それで合わなかったら関わらなければいいだけだしな」

 と、さらっと言った。


「で、一見した感想は?」

 俺が嫌味っぽく聞くと、秋もわざと嫌味っぽく、にやっと笑った。

「ことわざの意味がよくわかったよ。これからよろしくな。仲良くしよーぜ」

 そう言って、秋は俺の肩を二回叩いた。


 きっとこいつとはこの先も仲良くしていくだろう、と俺は思った。

 もし、離れることになっても、大人になっても、きっと一年に一回は会って飲むような関係になる。いや、なれたらいいな、と思う。


 そんな秋の後ろの席で、俺たちのやりとりをじっと見ている女の子がいた。最初その子は、あきらかに秋の心配をしていた。しかし、徐々に俺と打ち解ける秋の様子を見て、どうやら安心したようだった。


 その子は俺と目が合うと、俺に向かってにっこりと優しく微笑んで、「私は、花。よろしくね」とピースサインをした。


 その時に俺は、一目ぼれと、失恋を、同時に経験することになった。

 でも、それよりも大事なことって、あると思うんだ、俺は。


 

 再び遭遇 その2



「――しゅうちゃんたち、大丈夫かなあ・・・・」


 花が階下を見ながら情けない声を出した。

「あの二人なら何とかするだろ。それより俺たちもやることやるぞ」

 先頭で慎重に階段を一段一段のぼりながら、直は答える。


 何か異常があったらすぐに察知できるようにと、耳を極限まで研ぎ澄ませていた。

 しかし、さっきの包丁おばけみたいに宙に浮いている場合は、足音で気づくことはできないだろう。

 直はささいな物音や空気の変化にも気を配っていた。何かあったら自分が身を挺してみんなを守らなければならない。


 すると、ちょうど踊り場に差し掛かったところで、直たちの前に、ぼてっと何かが落ちてきた。


「ん・・・・?」


 直が怪訝な顔をしながら、目を凝らしてそれをみる。

 それは、いつかこの旧校舎で見た、白い塊だった。


「これって・・・・」

 花が震えた声を出す。忘れようと努力していた気持ちの悪い記憶が思い出される。

 白い塊は、あの時と同じようにぐにゃぐにゃと形を変え、次第に人の姿になっていった。


「うげえ・・・・」

 直がげんなりするように声を漏らした。


「お前ら、階段を降りろ。んで、巴。作戦通り、それ使うぞ」

 白い人が動き出す前に、直はみんなにてきぱきと指示を出した。

 巴は直の言葉に無言で頷くと、例のものを構えた。


「よし、俺が合図をしたらあとは頼んだぜ」

 直がそう言うと、茜と巴と花は足音を殺しながら、急いで階段を駆け下りていった。


 白い人からの体からぼこん、と頭が生える。前回遭遇した時と同じように、その目は黒く窪んでいた。

 白い人は直の存在に気づくと、静かにクラウチングスタートの構えをとった。


「おら!捕まえてみろ!」

 そう言った瞬間、直が階段を駆け下りる。すると、白い人もその後に続いて走り出した。二人は階段を猛スピードで何段もとばしながら、踊り場を転回していく。


「――今だ!!」


 直が階段の一番下に差し掛かるところで叫んだ。そこには茜と巴がしゃがんで待機していた。

 二人は長く伸ばしたガムテープの両端を持っている。

 直の合図で、二人は持っているガムテープを足元の高さまで一気に上げた。

 直はジャンプしてそのガムテープを乗り越えた。しかし白い人はまんまとガムテープに足をとられると、勢いそのままに階段から突き当りの手洗い場まで、激しく転がっていった。


 そこに椅子を持った花が、

「かくご!」

 と言って、目をつむりながら白い人の頭に殴りかかった。

「こえーんだよ!ふざけんな!」

 いつの間にか、直や茜や巴も手洗い場まで下りていた。三人も花と同じく椅子を持って、白い人を一心不乱に殴りつけた。


 殴られ続けられた白い人は、次第に全身がぺったんこになっていき、最終的には床にぺったりと張り付いたまま、動かなくなった。


「いやいや。最近の子どもたちは、とてつもないですなあ・・・・」

 その様子を見ていた校長は静かに震えた。



 再び遭遇 その3



「――あれ?校長?」


 秋と桜子は、階段でぜえぜえ、と激しく息切れをしている校長を見つけた。


「おお、君たち・・・・」

「何してるの?直たちは?」

「いやね、ついさっきまで一緒にいたんだが、歩くのが遅いと言われてね、置いていかれたよ」

 そう言うと校長は、ふう、と苦しそうに息を吐いた。

「しっかりしてよ。校長でしょ」

「いやね、やっぱり体が重くて・・・・。私も歳かなあ」

「歳もなにも、時間止まってんじゃん」

 秋が冷静に突っ込みを入れた。

「いやはや・・・・情けない」

 校長はため息を吐いてうなだれた。

「・・・・いい先生だけど、校長の威厳はないね」

 秋は桜子にこっそりと耳打ちした。


 突然、何者かが秋の腕を乱暴に掴んだ。秋は体勢を崩して思わず転びかける。

 見ると、片腕のない男が、秋の腕を後ろからがっちりと掴み上げていた。


「あれえ?ここにもかわいい子がいるなあ…」


 その男はにやにやと笑っている。そして、その男の取れたもう一つの片腕が、あっという間に秋を床に組み伏せた。


「・・・・こいつ、直たちが言ってたヤバイ奴だ」

 秋は身動きが出来ない状態で呟いた。大きな声を出そうとしたら、締め上げられている腕と肩が激しく痛んだからだ。

 秋は気を抜いていた自分に腹を立てた。校長の情けない姿に、つい気持ちが緩んでしまった。

 桜子も秋が人質にとられているので、むやみに動けずにいた。


 すると校長が、ずい、と一歩前に出た。校長は顔を思いきりしかめながら、片腕教師に尋ねる。


「誰だね、君は?」


 さきほどとは打って変わった、威圧感のある校長の声に、桜子は思わず背筋をぴん、と伸ばしていた。


「誰って、教師ですよ、私は。あなたこそ誰ですか?」

 片腕教師も校長の迫力に多少気圧されてはいたが、そのにやにや笑いは今だに崩さない。

「私は、この学校の校長だ」

 校長が胸を張ってそう名乗ると、片腕教師は驚いたように目を見開いた。


「ははは、校長でしたか。これは失礼」

 片腕教師はそう言うと、調子よく大袈裟に頭を下げる。それから何事もなかったかのように、秋の方に向き直った。


「さあて、まずは腕かなあ」

 片腕の教師は秋の右腕を更にひねった。その痛みに秋の表情が歪む。それで思わず、桜子が一歩前へ出ようとしたが、片腕教師がその動きを目で制した。

 それを見た校長が、片腕教師を睨みつける。


「あ、どうです?校長も参加されますか?」

 教師は校長の視線をどう受け取ったのか、ご機嫌をとるようにそんなことを聞いた。

「何に、参加するのだね?」

 校長が重低音の声で聞き返した。すると片腕教師は、にやあ、と満面の笑みを浮かべた。


「何って・・・・今からこの子達を殺すんですよ。まずは僕のように片腕をちぎってね・・・・あ、その前に足をちぎろうかな。前の生徒たちみたいに、逃げられたら面倒ですから」


 その言葉に、校長はびきき、と眉毛を動かした。それだけで、この場の空気がぴんと張り詰める。これが朝礼だったら間違いなく、生徒全員は敬礼をしながら校長の話を聞くことだろう。

 そんな校長を見て、片腕教師の顔からは笑みが消えていた。

 校長は無言で、秋を締め上げていた片腕教師の腕を掴み、秋から無理やり引きはがした。


「なな、な、なんですか?」

 片腕教師は、校長の圧倒的な雰囲気に恐れをなしていた。

 秋と桜子も、さっきまでの温厚な校長からは、想像もつかない怒りの形相に面食らっていた。

 なおも校長は、片腕教師を無言で睨みつけている。


「なな、なんだ、お前は?な、何か俺に文句でもあるのか?」

 片腕教師はどもりながらも、何とか校長に凄んだ。しかし、もはや怯えているのは隠せていなかった。


 校長は、吠えるように叫んだ。


「教師が、生徒に、殺すなんて言葉・・・・使うんじゃない!!」


 そして校長は、片腕教師に思い切り頭突きを見舞った。何かが爆発したような凄まじい音がした。

 片腕教師は白目を向き、体中を揺らしながら膝から崩れ落ちる。まるで頭の上に星が飛んでいるのが見えるようだった。校長の頭突きは、片腕教師の首から上が吹き飛んでいてもおかしくないほどの衝撃だった。

 片腕教師はそのままうつぶせに倒れた。そして、びくんびくんと痙攣したまま、もう起き上がってくることはなかった。


「まったく。こんなのが教師だと?解雇だ、解雇。馬鹿馬鹿しい」

 校長は大きく息を吐き、眉間を指で揉みほぐしながら呟いた。


「君、大丈夫かね?」

 校長は秋の手を潰さないように、そうっと掴んで、倒れている秋を立たせた。秋は校長を羨望のまなざしで見つめて、

「校長先生って、威厳があって、強くて、かっこいいんだね」

 と、言った。

 いやあ、がはは。と、それを受けて豪快に笑う校長の横で、そのやりとりを見ていた桜子は、力が抜けたかのように苦笑した。


 ――その直後、花の悲鳴が上の階から聞こえた。



 桃子、校舎へ



 ――まったく、ひどい目にあった。


 桃子はさきほどの大きな穴から落ちたショックから立ち直れずにいた。落ちていく途中で意識を失ってしまった。それくらい深い穴だったのだ。


 当分、夢に見そうだわ。


「――桃子、この階段なの」


 このか姫がそんな桃子に構うことなく、目の前の階段を指差した。

「これが、何?」

 ももこは不機嫌に聞いた。

「この階段を一番上の階まで行けば、美術室なの。そこにこの出来事のすべての原因がいるの。あなたの友達もいるわ」

「じゃあ、さっさと行きましょうよ」

 桃子は軽いステップで階段を上がり始めた。


「――あら?」


 桃子は階段を上がる途中で、大きな人影が激しく息を切らしながら、手すりに寄りかかっているのを見つけた。


「んん?」

桃子は闇の中で目を凝らす。よく見ると、それは巨大な銅像だった。


「おお・・・・君たちは・・・・誰かね?」

 銅像は息も絶え絶えに、何とかそれだけ尋ねてきた。

「とんでもない姿しちゃって。おじさんこそ誰よ」

 桃子が冷たく言い返した。

「この人は校長先生の銅像なのよ。いったい何をしているのかしら?」

「校長先生?この情けなさそうなのが?」

 桃子は怪訝な顔をしながら、校長の全身を無遠慮に見る。

「きっと、みんなに置いていかれたのね」

 このか姫が淡々と説明した。

「そ、そうなんだよ…。せっかく、格好いいところを、見せられたと思ったのに…。いやはや…面目ない」

 校長は切なそうに、大きく息を吐きながら呟いた。


 これが、噂に聞く校長先生の銅像か。それよりも。校長から流れるこの汗は、いったい何でできているのだろうか、と桃子は不思議に思った。


 こういうものとは久しぶりに話したけど…。


 何だか、全然怖くない。



 

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