おっさん老騎士の隠居再婚スローライフ

南川 佐久

第1話 定年、そして再婚

 その日、城には王の崩御を疑うようなむせび泣きが響いていた。

 門番、侍従、近衛兵。あらゆる身分の者が別れを惜しみ、あるひとりの者に感謝の言葉を、そしてときに責め立てるような目を向けている。


「本当に、行ってしまわれるのですね?」


「長い間、お世話になりました……」


「我々を見捨てになるおつもりですか、オズワルド様!」


 それらの言葉に、初老の男は白銀の髪を掻きながら眉尻をさげる。


「大袈裟ですよ。あなた方はもう立派な兵であり、侍従だ。安心して陛下や姫様のお世話を任せられる。私から教えることはもうありません。それにね、私もいい歳だ。腰が痛いんですよ」


「そんな! お腰でしたら私がお揉み致しますわ!」


「あと、肩もね。四十肩なんです、もう」


「それは私が!」


「ええと、じゃあ、首も……?」


「謹んで私が!」


「いえいえ僕が!」


 次々と挙がる手にオズワルドは困ったように笑みを浮かべた。別れを惜しんでくれる部下も沢山いるが、中には侍従長という自分の肩書きを面白くなく思っていた者もいるようだ。彼は最後に、それらの全てを黙らせるような美しい所作で一礼する。


「こちらこそお世話になりました。あとを頼みますよ」


 十年という長い間王宮に仕えてきたが、四十になる今年、オズワルドは遂に定年を迎えた。想い馳せる未練はあったが、やり残したことはない。それに、これ以上長く居座って権力闘争に巻き込まれるのはごめんだ。そう長くない残りの人生は亡き妻の故郷で花でも育てて穏やかに過ごそう。

オズワルドは王宮を望む門の手前で今一度礼をし、田舎へ帰る馬車に乗り込もうとする。すると、そこへひとりの少女が現れた。


「オズワルド様!」


 黒い制服に白のエプロン。先程まで送別会に参加していたメイドのひとりだ。手には大きなトランクを下げ――失礼、いくら彼女が童顔とはいえ少女は言いすぎましたな。

彼女はリリィベル。メイド長の娘で現在は姫様のお世話を仰せつかっている優秀な侍女――立派な淑女(レディ)だ。そんな彼女は透き通る朝焼け色の髪を靡かせ駆けてくる。


「どうかしましたか? なにか忘れ物でも……」


 ふと手荷物に視線を下ろすも心当たりはない。すると――


「わたしも、連れて行ってください!」


「――は?」


 額に汗を浮かべてまっすぐに言い放つ彼女に問いかける。


「それはまた、どうして?」


 すると彼女は緩やかにウェーブした髪の毛先をもじもじと弄り――


「それ……言わないと、わかりませんか?」


 赤面し、瞳は仄かに潤んでいる。年頃の娘がこんなおっさんにそんな顔を向けるものではない、とは思いつつも、ここでお説教しようものなら紳士としては末代までの恥だろう。

 オズワルドは想いに向き合うようにしてしっかりと背筋を伸ばした。


「失礼ですがリリィ、あなた、歳は?」


「え……二十ですけど……」


 質問に質問で返され戸惑う蒼の瞳。

 彼女の想いは先の表情で言われずとも理解したが、自分の場合、「わかりました」で済む問題ではない。


「私と貴女では歳が倍離れています。私は貴女のお母さんより年上なのですよ?」


 ゆっくりと事実を告げ、諭す。それ以外に方法はない――

 しかし、それが彼女の逆鱗に触れた。


「歳の差がなんだって言うんですか!? そんなもので私の想いが変わるとでも!? 私は、幼い頃から貴方の背を見て仕事を覚えてきました! 今の地位や姫様からの信頼があるのもすべて貴方のおかげなんです! 母の厳しい指導に耐えきれなくなって逃げだそうとしたとき、オズワルド様は言ってくれました。『期待していない者を気にかけ本気で怒る奴はいないのだ』と。あれは母の愛情の裏返しなのだと」


(ああ、あのときの言葉をまだ覚えて……)


 ふとした事実に、不覚にも胸があたたかくなってしまう。


「私は、あの言葉があったからここまでやってこれました。へこたれないで頑張ろう、母の想いに向き合おうって決めて、それが認められて。それからは毎日が輝いていました。でも、でも……それも今日で終わりです。だってもう、貴方がいなくなってしまうから……」


「それは――」


「オズワルド様。私は、貴方が好きです。たとえどれだけ歳が離れていても。誰がなんと言おうとも。貴方という光を追い続けていた私の十年は勘違いでも気の迷いでも、ましてやあきらめきれるものでもありません!! お願いです、連れて行ってください!」


 言い切ると、リリィは最後に震える手で執事服の燕尾を掴んだ。


「私には、オズワルド様が必要なんです……!」


 こちらを見上げる瞳には、涙と決意が溢れていた。


(やれやれ、ここまで想われては仕方ないですね……)


 最後にひとつ、確認をする。


「リリィベル。本当にそれで良いのですか?」


 彼女がこくりと、しかし力強く頷いたのに口元を綻ばせ、続ける。


「向かう先は、ここ王都から遠く離れた田舎です。人よりも、魔物や羊の多いところですよ?」


「わかっています」


「お洒落なブティック、カフェや雑貨屋さんも無い。まだ若い貴女では退屈してしまうかもしれません」


その問いに、リリィは「そんなこと」と苦笑しつつ答えた。そして、


「大丈夫です。私は――貴方とならどこへでも」


 その笑顔は、オズワルドの胸を一瞬、年甲斐もなくどきりとさせたのだった。

 オズワルドはリリィに手を差し出し、ふたりして馬車に乗り込む。

 ――と。オズワルドは思い出したように付け加えた。


「あの、念のため……遺産目的ではないですよね――?」


 パシーンッ!

 あまりの衝撃にちかちかと走馬灯が走り、数十年ぶりに痛みで身悶える。


(ここまで遠慮のない平手を私に食らわせたのは、人生でふたりめです……!)


 風をも斬り裂く鋭い一撃と共に。オズワルドの再婚スローライフはスタートするのだった。

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