ある役者の悩み

「ごめんください」

 なんだか冴えない男が警察署にやってきた。


「はい。どうしましたか。…落し物ですか?」

 奥から出てきた巡査が男の風貌を見るなり大した事件でも無いなと言う風で対応する。


「いえ、落し物じゃなくて…モゾモゾ。」


「え?何ですか、落し物じゃなくて?」


「ひ…人を殺してしまうかもしれません!」

 冴えない男は突然大声で、それも物騒なことを言った。


「人を殺した⁈」

 巡査も驚いて声を上げる。


「ち…ち、違います!殺してしまうかもしれないんです‼︎」


 巡査はさっきまでの驚きがなかったかのように言った。

「うーん。殺してないんですか? なら、警察は関わる事が出来ませんね。民事不介入というものがありますから。」

 巡査は男に民事不介入というものを得意げに説明してみせた。要は事件が起こっていないものを簡単に警察が調べることはできないというものだ。


 冴えない男はそれを聞いてガックリとうなだれていた。


 そんな姿を見て巡査も、男に何があったのか話を聞くくらいのことはしてやろうと思った。


「おたく、何があったのよ?」

 巡査がそう聞くと男はポツリポツリと話

出した。


「僕……俳優をしている者なんです……」

 巡査はそれを聞いて驚いた。


「だ、代表作とか教えてもらえます?」


「この前の月9の〇〇に出てました」

 それを聞いて巡査は「あー!」と大声を上げた。それもそのはず、目の前の冴えない男はそのドラマの主役だったのだ。

 それも、そのドラマに限ったことじゃない。数多くの映画、ドラマの主演をこなす俳優だった。


 しかし、どうだろう目の前の男は顔こそ、その俳優だが、テレビで見る彼とは似ても似つかない。覇気というか、よく芸能人を見たときのオーラがないのだ。


 それを見かねてか、男も「はは、見えないでしょ…僕があの国民的俳優だなんて」


 自分で国民的俳優と言ってしまえるのも凄いが、男の言う通り全くそうは見えなかった。


「僕ね、演じてるんですよ。テレビに出るときは、いつも自身満々な俳優って役を」


「へぇー、すごいですね。役者さんも」

 巡査はとりあえず、男の機嫌でも取ろうと適当に相槌を打った。


「…凄くなんかありませんよ。僕なんか」


 なんとネガティブな男なんだろう。巡査はそう思った。


「役者にはね。2つのタイプがあるんです」


「2つのタイプ?」

 巡査は素直に聞き返す。


「1つは、台本を読み込んで、読み込んで、そして書き込んで、役を自分の中で作り上げていくタイプ」

 巡査はそれをウンウンと頷きながら聞いている。

「…もう1つはね、役が憑依するんですよ。台本を読み込んでいる内に気付くと、その役になってしまうんです」


 巡査は「へぇー」と感心している。


 男はボソッと「僕は憑依するタイプなんです」と言ったが巡査には届いていない。



 男が来てどれくらい経っただろうか、巡査は時計をチラッと見る。巡査も巡査でこれから溜まった仕事をこなさないとならないため、男との実りのない会話をそろそろやめたいと考えていた。


「うーん、まだ何にも事件になってないし、貴方は有名な方だ、ちょっと仕事へのプレッシャーで考え過ぎなんですよ。私も仕事があるから、ここらで……ね?」


 男はそれを聞いて「そうですか」と言い「今度の映画、連続殺人鬼の役をやるので是非見てください」と一言残し外に出た。

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