エルバ・リング

 空間転移航行を星系の宙域内で入ることは禁止されている。

 星系内は、重力によって空間に歪みが生じるからだ。また、運航する船も多く、出現地点によっては事故を起こす危険が高い。

「軍の演習かあ。転移ポイントへ向かうのに邪魔ね」

 ふうっとリンダは息をついた。

 軍の演習はマリボ星系の端のあたり。一番、航行する船の少ない区域だから、軍がそこを選んだ意味は分かる。

「どう計算しても、最適なポイントはD宙域。通行可能区域に行くには、惑星エルバすれすれを通っていくのがいいわね。ちょうど燃料費の節約にもなりそうだし」

「ああ、やっぱり」

 デュークは、手のひらを額に当てた。

 エルバはいわゆる『輪』を持つ惑星だ。細かい岩や氷で出来た通称エルバ・リング。それほど厚みのあるリングではないが、近くを航行するときには、やはり慎重にならなければいけない。

「今回は節約とか考えなくてもいいって思ったのに」

 惑星の近距離を飛べば、惑星の引力の影響を受ける。それを使ったスイングバイは、船乗りのテクニックの基本ではある。惑星の力を利用することによって、推進燃料の節約ができるのだ。

 が、スイングバイには、ち密な計算が必要だ。角度を間違えると大気圏に引かれてしまうし、弾かれる力を思った方角にむけなければ意味がない。それに沿った軌道にのせる腕もいる。

 さらにエルバ・リングをかすめるとなれば、話は厄介だ。

「自信がないなら、代わるわよ」

「……誰に言っているんですか。やりますよ。やればいいんでしょう」

 挑発されているのはわかっているけれど、デュークは答える。

 出来ないと思われるのは、パイロットとしての矜持が許さない。

「軍の演習じゃ、どうにもならねーよ」

 ダラスがデュークを慰めた。

「あ、軌道計算によると、エルバ・リングには重ならないけど、最接近時は、一キロ以内に入るから」

「一キロねえ」

 宇宙空間での一キロは、決して余裕があるとはいえない。

「まあ、リングに入れと言われるよりは、マシですね」

 場合によってはその可能性もあったわけで、デュークは諦めて、リンダの計算した軌道に猫丸号をのせる。

「惑星エルバ重力圏内まで、あと三分」

 ダラスがデータを読み上げる。

「進路、進入角度、十五度変更、推力を三パーセントあげて」

「了解。姿勢補正、補助ブースター始動」

 猫丸号は、進入角度を調整して、エルバに近づく。

 エルバは緑豊かな星で、海がある。だから、こうして真正面で見ると、とても青く美しい星だ。

「さあて、リング見物といきますか」

 デュークはモニターを見ながら船を操作する。

 大きな石や氷の粒でできたエルバリングが見えた。

「慣性飛行に入ります」

 エルバリングは、かなり広い輪だが、厚みそのものは薄い。見つめる角度によって、随分と印象が違う。

 不意に、船内にアラーム音が鳴る。

 そのアラームに驚いたのだろう。客室から船内電話がかかってきたが、今はそれどころではない。

「T三の方角、直径八百メートルの岩石衛星」

「姿勢補正は必要?」

「何とかなるでしょう。ギリギリですがね」

 ダラスが答える。

「社長、AIの警報装置に、俺を信用するように言ってください」

 猫丸号はリンダの計算した軌道と寸分の狂いのないコースでエルバに接近していた。

「AIはともかく、は心配していないわ。岩石衛星との最接近は三十秒後よ」

 デュークは計器を睨みつつ、岩石衛星を視界にとらえる。

「二十秒……五、四、三、二、一」

 リンダの読み上げとともに、窓から見える岩石が近づいてくる

「距離、六百メートルです」

 ダラスが告げる。

 警報音はずっと鳴り続けていたが、もう脅威は去った。

 船内電話もまだなっている。

 猫丸号はリングをかすめて、さらに惑星に近づく。そして惑星の力によって弾かれて押し出された。

「スイングバイによって進路変更。惑星エルバ、重力圏外へ向かいます」

「了解。お疲れ。さて、客人は大丈夫かしら」

 商船では、こんな無茶なことはしない。客船なら、もってのほかだ。こんな無茶な軌道を選んで飛ぶのは、便利屋か軍か、それとも宇宙海賊ぐらいのものだ。

「はい。こちらブリッジ」

 リンダが鳴り続けていた船内電話をとった。

「はい。エルバ・リングに接近したゆえの警報音です。緊急時でしたので、ご説明が遅れて申し訳ございませんでした……はい。もう危険は去りました。十五分後に、空間転移航行に入りますので、備えてください」

 丁寧に落ち着いた声で説明をすると、リンダは電話を切った。

「どうですか? 客人は」

「呆れてるわね」

 くすりとリンダは笑った。

「呆れているなら、まだマシってほうでしょうね。気の弱いお嬢さんだったら、おろせと言い出しかねませんよ」

「違いねえ」

 デュークとダラスは顔を見合わせて笑う。

「あのお嬢さんは、かなりタフだわ。エリンに写真の照合をしてもらったけど、間違いなく、サンダースの娘みたい」

 リンダはコンソールに指を走らせる。

「惑星開発のプロフェッショナルなのも事実みたいだし、人は見かけによらないわね」

「ということは、俺たちを囮にしたわけじゃないってことですね」

「少なくとも、技術者は彼女で間違いないわ。ラマタキオンが本物かどうかはわからないけれど」

 リンダは頷く。

「しかし、社長、海賊とか来ますかねえ?」

「情報が洩れていれば、来るわね。ただ、D宙域に軍が陣取っている以上、私たちを追うルートは、そんなにはないわ」

 おそらくそれもあって、わざわざエルバ・リングをかすめるようなコースを選んだのだろう。

「少なくとも移動中にラマタキオンを狙って襲われる危険は極小だと思ってる。空間転移先をトレースされたり、超空間通信を傍受されたりすれば、別だけど」

 リンダは顎に手を当てた。

「問題はどんなにカモフラージュして空間転移したとしても、目的地は変わらない。目的地が相手にバレていたとしたら、エレメン星系に入って、囲まれる危険があると思う」

「それは……そうですね」

「プラナル・コーポレーションの秘密保持がどの程度か、気になるところではあるわ」

 リンダはにやりと口の端を上げる。

 いくら猫丸号が商船より小回りが利くといっても、戦闘能力はそれほど高いわけではない。正直言えば、笑い事ではない。

 それでも。そんなリンダは、デュークもダラスも嫌いではなかった。

 





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