第16話 変わらずに残るもの

 休日のショッピングモールは家族連れや友人同士で遊ぶ学生たちの姿であふれていた。


「映画、思っていたより面白かったわね」

「ああ。最近のは映像技術ばかりかと思っていたけど脚本もちゃんと練られていて良かった」


 タイムカプセルの一件が片付いてから数日後、僕は星原を「見たい映画があるから」という名目でデートに誘った。


 その後で近くのショッピングモールを散歩しつつ、疲れたら喫茶店にでも入って話でもしようという予定で彼女には話してある。しかし、実はショッピングモールを散歩しながらお店に入って何か欲しいものはないか訊いてみるつもりでいた。


 一応、女の子に誕生日の贈り物をするのならどんなものが良いのかを事前に女友達である虹村や日野崎に聞いてはみたのだ。しかし『だって、男の子だって欲しいものは人によって違うでしょう?』『あたしらに聞くよりも本人にさりげなく聞いてみた方が確実だよ』というあまり参考にならない意見(正論とも言うが)を聞くことができただけだったのだ。


「少しウィンドウショッピングでもするか。……ちょっと僕も洋服を見たいから」

「あら、そう? そういうことなら付き合うけれど」


 僕らはそんな会話を交わしながら建物の中に入って、アクセサリや洋服などの所を回ってみる。星原が好みそうなものはないかと反応を観察していたのだが、彼女は特に表情を動かさない。


「あの、さ。星原」

「何?」


 もう限界だ、と感じていた僕は素直に彼女に訊くことにした。


「ほら、もうすぐ星原の誕生日だろ? それで何か欲しいものはないかと思って」

「誕生日? 欲しいもの? ……え、月ノ下くん。そういうつもりで」


 彼女が顔を少し赤くして目を見開いた、その時。


「春の新色でーす。お試しいかがですか?」


 直ぐ近くに立っていたデパートの店員さんの口紅の宣伝文句が響いたのだった。





「あのう、それで良かったのか?」

「うん」


 あの後買い物を済ませた僕らは、ショッピングモールの広場に二人で座って夕日に染まる街並みを見ていた。僕に何が欲しいのか尋ねられた星原は「そう言えば私、ああいうの持っていないな」と呟いてリップスティックを興味深そうに見ていたので、それを購入することになったのだ。値段としては三千円程度で高校生の僕としても手が届かないものではないが、誕生日にねだるものがそれでいいのかなと僕は少し疑問に思っていた。


「だってそもそも月ノ下くん、映画も奢ってくれたでしょう。あまり無理させたら悪いかと思って」

「はは……」


 僕の懐事情を気遣っていたらしい。


「結局、残らないものだったか」

「え、何? 何の話?」

「いや、贈り物って大体二種類に分かれるだろ? 『後に残るもの』と『消耗して残らないもの』。最初はどちらが良いのか悩んでいたんだ」

「ああ、そういうこと。……そうね。確かに何かの記念としてという意味でなら後に残るものの方が良いのかもしれないけれど。ほら、婚約指輪ってあるじゃない」

「ダイヤの指輪とかを良く宣伝しているものな」

「元々は古代ローマ時代に『女性という財産』を相手に売り渡す『契約』の証だったらしいの。当時は契約の時に印章指輪という判が押せる指輪が使われていたのだけれど、それが転じて婚約のための指輪になったらしいわ。……でも要は指輪が大事なんじゃなくて『相手と共に過ごす約束』を指輪という形にしたいという気持ちの方が大事なんじゃないかと思うの」

「つまり指輪そのものは象徴にすぎないってことか。男が女に高価な指輪を買うのも、それ自体が重要なんじゃなくて相手をそれくらい大事に思っているという証を形にしたいわけだ」


 ふと、この間も似たような話をしたことを思い出した。古代の巨大な建造物はそれ自体には実用性も大した意味もなく、ただ「それくらい大きなものを作ることができる権力」こそが本質なのだという話。


 タイムカプセルの件にしてもそうだ。僕はタイムカプセルが見つかるまで、こう思っていた。片倉先生が本当に残したかったのはかつての同級生との繋がりだったけれどそれは時間と共に他の何かにすり替わり消え果てた。そして結局その象徴であるタイムカプセルだけが意味もなく変わらずに残ることになったのだと。


 片倉先生自身も変わらないものよりも変わり続けるものの方が有意義なのだと言っていた。


 だけれども。

 変わらないもの、変わらずに残り続けるものに意味や価値を持たせるものがあるのだとしたら、それは人の気持ちなんじゃないだろうか。現に先生のタイムカプセルの中に残されていた当時の気持ちは時間を超えて、伝えたい相手に届いたではないか。


「……だからね。別に高価なものを無理に買わなくても、私は気持ちの方が大事だと思うから」


 言葉の後半を星原は濁した。


「うーん。……それでも」

「何?」

「せっかくの誕生日の記念なら後に残るものでも良かったかなって思ってさ」

「そう? 私は口紅も悪くないと思うけど」


 言いながら彼女は買ったばかりの口紅を軽く塗って見せる。


「どうかしら?」

「綺麗だと思うよ」

「ありがとう。……そういえば月ノ下くんの誕生日はいつなの?」

「え? ああ、実は一月なんだ。当分先だし気にしなくてもいいよ」


 星原はそんな僕の言葉に一瞬考え込むような仕草を見せた。


「そう。それじゃあなかなかお返しできないわね。……だったらせめて貰ったものをおすそ分けするっていうのはどうかしら」


 貰ったものって口紅のことだよな? どうやっておすそ分けするつもりだろう。


 一瞬、彼女の意図がわからずに僕は戸惑う。


 次の瞬間、彼女の唇が僕に重ねあわされていた。


 すぐ目の前に彼女の顔があって、唇に柔らかく甘い感触が伝わってくる。


 しばらくの間、互いの身体と心を通じ合わせたところでそっと彼女は僕から離れた。


「ほら、この前。曜変天目が盗まれそうになったときに長沼からかばってくれたでしょう。あの時のお礼をまだしていなかったから、ね?」


 彼女は僕と目を合わせずにもごもごとそう呟いた。恥ずかしがっているのだろうか。


「そんな。当たり前のことをしただけだよ。ああ、でも……」

「ん?」

「これからも、たまにおすそ分けしてくれると嬉しいかな」


 さりげなく二度目の行為をねだった僕の言葉に彼女は「調子に乗らない」と軽く肘打ちをした。


 変わり続けて残らないものと変わらずに存在し続けるもの。どちらに価値があるのかは僕にはよく解らない。いやもしかしたら「変わらないで欲しいことを守るために、自分が変わらなくてはいけないこともある」のかもしれない。


 片倉先生も彼女自身のことを「自分は変われなかった」「社会に適応できなかった」と評していたが、実際は人よりも遅いだけで少しずつでも変わっていたのだと思う。


 僕も彼女との関係性をこれからも守り続けるために、何らかの形で変わっていかなくてはいけないのだろう。



 駅までの帰り道で僕らは手をつないで歩きながら話した。


「三年になったら、受験勉強に本腰入れないといけないよな」

「そうね。勉強会は続けましょうか」


 勉強会、か。

 星原と放課後に何度となく交わしてきた何気ない会話。今までも、そしてこれからも。

 だけれど、その一つ一つの断片がかけがえのない宝物になっていく。いつか僕らのこの時間にも終わりは来るけれど、だからこそその時まで一つでも多くのものを心に刻んでおきたかった。


「星原」

「何?」

「いや、この先も星原とこんな風に話をしたいと思って」

「……あなた。今までそんなことそぶりも見せなかったのに。急に言うようになったわね」

「駄目かな」

「ううん、私も同じ気持ちだわ。……思い出は形に残らないけれど心の中には変わらず残るもの。いつかあなたとこうして過ごした時間を振り返った時に、前向きな気持ちになれるといいと思う」


 僕は彼女の言葉に「ああ」と頷いて次に会うときはどんな話をしようかと思いを巡らせた。

 きっと、それもまた僕らの対話篇の新たな一頁へ連なっていくはずだ。

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