第14話 思わぬ落とし穴

 それから僕らはひとまず見つけ出したタイムカプセルとプラスチック製ケースをもう一度ビニールシートでくるんで一度学校に持ち帰ることにした。そして裏道から校舎に戻ろうと、山道の手前まで足を踏み入れる。


「君たち、そこで何をしていたんだ」


 唐突に背後からしゃがれた低い男性の声がかけられた。振り返ると、作業服を着た白髪の中年男性がたたずんでいるではないか。確か最初にここに来た時に声をかけてきた長沼といううちの学校の用務員だ。


「生徒の生活指導は私の仕事じゃあないが、君たちが施設跡から水路に入っていったのが見えたものでね。他所の土地に入り込むのは感心しないな」


 あの辺りは境目だから一応はうちの学校の敷地だと思ったが……。何にせよ、この間は物凄い剣幕でどなっていた人物だ。あまり機嫌を損なうのもまずい気がする。僕はとっさに弁明するような口調で答えていた。


「あ、いえ。ちょっと探し物をしていたんですよ」

「探し物?」

「はい。ようやく見つかりまして」


 そこで彼は明彦と狭間さんがそれぞれ抱えたビニールシートの包みに目をやる。


「それは、本当に君たちのものだったのかい?」

「え……」


 何だか詰問するような口調だ。


「いや、一つは僕らのものじゃあなくて。他の人の遺失物みたいなので警察に届けようと」

「なるほど。そうだったのか」


 長沼氏はここでにっこりと笑みを浮かべる。


「そういう雑務なら用務員の仕事だ。それなら私から警察に届けておこう。渡しなさい」


 思わず戸惑って明彦たちの様子を窺う。片倉先生も困ったような顔をしながらも何も言わない。ここは素直に従うべきだろうか。僕がそう思いかけたとき。


「待ってください」


 星原が割って入るように声をかける。


「どうして私たちがここにいるとわかったんですか?」

「そりゃあ、四谷先生を通じて君たちが私に連絡したじゃないか」

「ですが、もう職員の終業時間を過ぎている時間ですよね。私たちはずっとこの場所にいましたが何故、今になって様子を見に来られたんですか?」

「いやそのうちに戻ってくるかと思ったんだが、その様子がないから気になってね」

「……なるほど、そうでしたか。では、お渡ししますので」


 言いながら星原は狭間さんから彼女の持っていた包み、つまり「タイムカプセルの手提げ金庫」の方を受け取った。


 星原? どういうつもりなんだ?


 彼女はそのまま長沼氏にそれを渡そうとする。その瞬間。


「おっと」


 星原は手に持った包みを取り落とした。


「うわぁ!」


 長沼氏はてきめんに動揺して怒鳴りかかる。


「何をする! 割れたらどうするんだ!」

「ご心配なく。その中身は樹脂製の箱でできた手提げ金庫です。落としたくらいでは壊れませんよ」

「な、何?」

「ところで、どうしてそれが壊れ物だと思ったんですか? 私たちは見つけたものについて何も話していないのですが」

「……いや、壊れるものかもしれないだろう。それなのに落とすのはまずいと思ったんだ」


 僕はふと思った。四谷先生はこの文化施設の跡がある空地に入る時に瓦礫などで怪我をすることは危惧していたものの「立ち入ること」には反対しなかった。しかしこの男、長沼は地盤が悪くなっているからと僕らばかりか、通りすがりの若者が立ち入ることすら執拗に拒否していた。まるであの土地に近寄って欲しくないかのように。あれがもし、ここで自分が失くしたものを探していることに気がつかれたくなかったからだとしたら。


 星原は厳しい目で長沼を睨みつける。


「そうでしたか。……では先程のお言葉どおり、今、私たちの前で警察に学校に来てもらうように通報してもらっても良いですか。携帯電話くらいはお持ちですよね?」

「な、何故だ」

「見つかったものは盗難品の可能性があるんです。だから今すぐ連絡して私たちが校舎に移動している間に警察にも来てもらって預けた方が時間の無駄にもなりません」

「……う」

「どうしました。できませんか?」


 長沼は星原の言葉に一瞬黙り込む。


「……」

「何故できないんですか。警察を呼ぶと何か都合の悪いことでも……」


 次の瞬間、長沼は星原の言葉を遮って怒声を上げた。


「いいから、そいつをさっさと渡せ!」


 言いながら長沼は目の前の彼女を払いのけて、もう一つの包みを持っている明彦に飛びかかる。


「なっ?」

「星原!」


 僕はよろめいた星原をとっさに抱き留めた。一方、明彦は長沼に飛びかかられてバランスを崩して倒れてしまった。そのまま長沼は明彦を逃がすまいと首元を掴み上げる。


 もはや疑う余地もない。僕は星原をかばうように目の前の男と対峙する。


「お前が……曜変天目を盗んだ犯人なのか」

「だったらどうした。これ一つで数千万の値段が付くんだ。買い手の伝手もある。やっと見つけ出したんだ。てめえらみたいなガキに邪魔されてたまるか」


 長沼は今までの穏やかな態度を完全にかなぐり捨てて本性を露わにしていた。


「顔も名前も割れているのに馬鹿なことを。……すぐに捕まるぞ」

「馬鹿はお前だ。窃盗の時効が何年か知っているか? 七年だよ。あと数週間逃げ切れば俺の勝ちだ。それに長沼ってのも本名じゃない。捕まるもんかよ。さあ、そいつを渡せ」


 正直、まずい状態だ。僕らの中で一番体格の優れている明彦が倒れて組み伏せられている。星原と狭間さんはどちらも荒事とは縁のない線の細い女子である。肝心の僕だが特に喧嘩慣れしているわけではない。そして長沼は体格の良い中年男性で僕よりも一回り大きいのだ。いっそ彼女たちに身の危険が及ぶ前に素直に渡すべきだろうか。そんな考えが頭をよぎった時。


「……や。やめなさい!」


 声を上げたのは片倉先生だった。


「何だあ? 邪魔する気か」

「そ、その子たちは私の生徒……です。手は、出させません」


 片倉先生の目は恐怖で涙ぐみそうに潤んでいる。その細い手は微かに震え、腰も引けていた。この様子では喧嘩どころかろくに争いごともしたことがないのではないか。


 この間だって社会に上手く適応できない心細さに涙を流していたくらいだ。まるで肉食獣を前に怯えた兎のような有様でとても見ていられない。

 だけど、そんな彼女がそれでも逃げ出さずに自分よりも強い相手に立ちふさがっているのは何のためだ? 

 僕らがここにいるからだ。生徒である僕らを守ろうとしているのだ。あのどこか弱気で涙さえ見せていた片倉先生が長沼に対して懸命に立ち向かおうとしている。


 僕は心の中でそっと覚悟を決めた。僕もできるだけのことをしよう。勝てないまでも警察を呼んでもらうくらいの時間は稼げるはずだ。


「待てよ。……長沼」

「ああ?」

「このまま逃げられると思うな。かかって来いよ」


 僕は背負っていたシャベルを構えると、彼の注意を引き付けようと挑発してみせる。どうにか星原や明彦たちから気を反らさなければ。長沼は舌打ちしながら明彦から手を放して、僕に向き直ろうとした。しかしその次の瞬間。


「えいっ!」


 片倉先生が信じられないほど俊敏な動きで隙を見せた長沼の懐に飛び込む。そして腕を掴んで自分の上半身に引き付けるや否や、体を半回転させて右足で相手の下半身を払いのけたのだ。僕は目の前の光景に「……え」と声を漏らす。


 ズシンと重い音が響き渡る。気が付いた時には長沼の体は片倉先生の前に倒れていた。


 ああ、そうだ。テレビで見たことがある。確かこれは柔道の払い腰という技だ。僕は頭の片隅でそんなことを呟きながらも、一瞬遅れて我に返る。


「あ、明彦! 大丈夫か?」


 倒れて首元を掴まれていた明彦はケホケホとせき込みながらも「うう、何とか無事だ」と応えた。一方、長沼は地面の上に投げ技で叩きつけられて動けなくなったようである。もっとも投げた片倉先生の方は自分でもやったことにびっくりしているようで呆然と立ち尽くしていた。狭間さんがびっくりした顔で片倉先生に尋ねる。


「せ、先生。すごいです! どこでそんな技を?」

「ああ。社会人になってから何か趣味が欲しくて。……近所の柔道教室に通っていたんだ。初段も取れていない程度だけれど。でも何度も繰り返していれば身に着くこともあったみたい」


 星原が「ありがとうございました。私たちのことを守ってくれて。とても格好良かったです」と頭を下げる。僕も改めて先生にお礼を言おうと頭を下げようとした。だが、そんな風に僕らが気を抜く瞬間を待っていたのだろうか。ガバッとばねのような勢いで長沼が起き上がった。そして俊敏な動きで明彦が落としたもう一つの包み、曜変天目が入った箱を掴んで走り出す。


「馬鹿が!」

「しまった!」


 動かないので気絶したものと思い込んで目を離したのがまずかった。追いかけて捕まえようにも、信じられない勢いで文化施設跡の瓦礫の向こうの方へ駆けていく。もうその姿は見えなくなりそうだ。


「くそ、油断した」


 僕は思わず悔やんでそう呟いた。しかし。


「うわーっ」という叫び声と共に長沼の姿が本当に消えてしまったのだ。

「……え?」


 星原が驚いて小さく声を漏らした。とその時、僕はこの間ここに来た時のことを思い出す。


「明彦。……宝探しの時に掘った穴を埋めずにそのままにしておいただろ」


 僕の指摘をよそに隣で明彦と狭間さんが勝ち誇って胸を張ってみせる。


「馬鹿め! 墓穴を掘りやがったぜ」

「人を呪わば穴二つってやつですね!」


 掘ったのは君たちだし、そもそも穴は一つだ。顔を引きつらせて僕は小さく呟いた。長沼にとってはとんだ不運だが、僕がこの間落ちた穴に見事にすっぽりはまってしまったようだ。


「何だ? いったい何の騒ぎなんだ?」


 場の空気を一瞬停めるように、低い男性の声が響いた。振り返るとそこに立っていたのは、僕らのよく知っている白髪の混じった髪を後ろになでつけた渋い雰囲気の男性である。


「……四谷先生!」

「片倉先生。それに月ノ下も。いつまでたっても戻ってこないようだし下校もしていないようだから見に来たが……一体何をしていたんだ?」


 僕は転がっているタイムカプセルの包みと向こうで動けなくなっている長沼。そして若干疲れた顔をしている友人たちを見やってからこう答えた。


「色々あったんです。一言では説明できないくらいに。……とりあえず校舎に戻って警察を呼んでもらえますか?」

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