第26話 怒りの矛先

「──そう、休みの間にそんな事があったのね」


 日差しが心地よい青空の下、学生達の汗が舞い、掛け声が響き渡る。

 数々の物語の舞台となった青春の地、グラウンドに、俺は今、こうべを垂れ両膝を地につけている。


「……はい、この度は誠に申し訳ありませんでした」


 右手をアゴに当て、腕を組む姫乃先輩に、見下されるように土下座をする俺。

 その光景は、学校という場では……。

 いや、公共施設においては、かなり異端な光景だろう。


 プライド? 意地? 


 この人を前に、そんなもの何の役に立にもたたない、ドブにでも捨ててやる。


 そんな見事な謝罪もあってか、姫乃先輩にはこれと言って怒りの表情は見えない……。


「分かったわ、それじゃ貴方は練習に入りなさい」

「えっ、折檻はなしで良いんですか?」


 しまった! 驚きのあまりつい余計なことを……。


 俺のうっかり発言に、姫乃先輩は目元をヒクつかせ引き気味の顔を見せる。


「貴方、マゾなの? どうしてもして欲しいなら、考えてあげなくも無いけど……」

「いえ、結構です!!」


 食い気味に答えた。

 折檻はごめん被りたい、だがそれでも──。


「相澤があんな風になってるのも、俺がきっかけみたいですし、少しは責任を感じているので……」


 俺の行動が、軽薄だったことには違いがない。

 だから、多少は叱られる覚悟はある。

 正しくは、捕まった時に覚悟が出来た。


「日輪君、貴方は下心があって澪にプレゼントをしたのかしら?」

「違います! 下心なんてないです!!」


 あの時の俺は、純粋に相澤を心配してた。

 だから下心なんてこれっぽっちもない、断言できる。


「善意の結果なら、で私が罰を下すのはおかしいでしょ? それに私も、澪の危なっかしい髪型は以前から気にはなっていたの。少し安心したわ」

「姫乃……先輩?」


 姫乃先輩は相澤の方を見つめる。


「ふふっ。でも少し、別の心配ができたけどね」


 っと囁き、相澤を見て微笑む彼女は、何処か慈愛に満ちている。

 普段とのギャップのためか、俺の目には聖母マリアにも引けを取らなく映った。


 あーそっか。

 どうやら、俺はこの人を少し勘違いしていたようだ。

 実は話せば分かるし、後輩思いの良い先輩じゃないか。

 野球部の女神様は伊達じゃないな。

 

 俺は立ち上がり、今までの非礼を悔やむように、言葉には出さないものの深く一礼をした。


「それじゃ姫乃先輩、俺は練習に行ってきます!」

「えぇ、そうね。私が止めていいって言うまで走り続けなさい」

「──はい!!」


 こんなに清々しい気分で、ランニングに向かうのはいつ以来だろうか?

 今まで一度もなかったな……。

 

 モチベーションは最高潮、今なら何周だっても走れる気がするぜ!


 そして、広大なグラウンドへと、一歩二歩と踏み出す──。

 だがその直後、ふとした違和感に歩みは止まった。


「……えっ?」

「聞こえなかったかしら? 私の許可が出るまで走り続けなさいと言ったのよ」

「えっと……。折檻は無しじゃ?」

「だから、折檻じゃなくてトレーニングじゃない。それとも折檻にランクアップがご希望かしら?」


 おい、その言い方だとトレーニングの上位互換が折檻みたいだろ。

 って、そんなことをツッコんでいる場合じゃない。


「でもさっき、相澤の事で罰は無しだって……」

「ふぅ、相変わらず察しが悪いのね」


 髪をかきあげる彼女の、穏やかだった笑顔の中に狂気が交じる。


「そのトレーニングメニューは、から課せた罰なの。貴方の善意が理由でも無ければ、微塵ほど興味もないわ」 


 うわ、やっぱ怒ってる……。


 口冷静で口元が笑っているものの、威圧感が漏れ出している。

 特に目なんかは、一切いきどおりを隠しきれていない。

 

「えっと、どうして怒ってるかなんて、聞かせていただいてもいいですか?」

「どうしてかって? 日輪君、そのことをあなたに説明する必要があって?」


 どこに女神様なんて居るんだよ。やっぱ悪魔だよ悪魔。

 くそ、心許したさっきの自分を殴りたい。


 それに俺は当事者なんだ、理由を聞く権利ぐらいあるはずだろ。

 よし、ここは強く言って──。


「いえ、何でもありません!! 喜んで走って来ます!!!!」


 地団太を踏みたい気持ちを抑え、俺は振り返る。

 そして敗北感を噛み締めながら、終わらない終わらない、ドッキドキのランニングを始めたのであった。

 

 

 

 

 

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