第25話 勝利の味

「さて、出るとするかのう」


 約束を守らせるために衛兵たちとその隊長を地下牢に押し込んで鍵を閉めると、リルリーシャが振り返って嬉しそうに言った。一つの関門を超えたのは間違いないが、双玉の瞳をキラキラと輝かせる彼女の姿はこれから敵地から抜け出すようには見えない。


「だが、その前に……」


 ゆっくりとリルリーシャが近づいてくる。


「見事じゃったぞ。お主は、本当によくやった」

「違う。俺は……結局リルリーシャに助けられた。お前がああでもしてくれなければ俺は……」


 祐治の口から出たのはそんな否定の言葉だった。結局あの男と戦えたのはリルリーシャのおかげだ。彼女の知識、経験、記憶、それらを無理やり埋め込められて、その結果として自分はこうして生き残っている。


「そうじゃな。確かにアレがなければお主は負けていたじゃろう」


 リルリーシャはいたずらっぽく微笑んで下唇をなぞった。そして言葉をつなげる。


「だが、私はあんな野蛮な戦い方をした記憶はないぞ? だったら、どうしてお主はあんなふうに勝てたのじゃろうな」

「それは……」

「お主が私の知識を元に自分で考えた結果じゃ。自分の意志で前に立ち、自分で工夫を凝らしたお主の成果なのじゃよ。それは誇っていいと思うぞ」


 敵を問い詰めるのと同じようにリルリーシャが語気を強める。

 理屈ではその通りなのかもしれない。自分でもそう解釈できるような気がする。だが――


「……信じられないというような顔じゃな」


 リルリーシャは祐治の顎を両手で下から包みこむ。見上げてくる緋と暗紫の宝石が月に照らされて輝いた。それに目を奪われている内に彼女の腕がいつの間にか首に絡みついていた。獲物を狙う蛇にも似た気配を感じた祐治は思わず体をこわばらせる。


「いっ、いや、そんなことより早く出よう。他の兵士が来るかもしないし……」

「来てもお主が倒してくれるのじゃろう?」


 リルリーシャが甘えるように熱っぽい瞳を向けてくる。


「なあ、私はお主の行動は立派だと思っているし……それにとっても嬉しかったのじゃ。お主自身が認められなくても、お主は自分の意志で立ち向かって、私を守ってくれたことが……私は感謝しているぞ」


 首に回された腕は更に祐治の上を目指し、頭へとたどり着いたが祐治はそれを払い除けた。こんなことをしていてもリルリーシャは遥かに自分より強い。自分の助けなんて必要ないのだ。それなのにこんな薄っぺらい称賛をされても、惨めになってしまう。


「下手な嘘はやめろよ。そんなことどうだっていいから早く逃げ……おわっ!!」

 そのままリルリーシャは祐治に体を預けたかと思えば、脚の間に自分の脚を差し込んでくる。こんなところで柔道をやる羽目になるとは思わず、祐治はそのまま一歩引こうとして、きれいに転んだ。そのままリルリーシャも倒れて馬乗りになる。


「お前っ、何するんだよ!?」

「ゆっくりと話をしたくなったのじゃ。ダメか?」

「こんなことしてる場合じゃ……」

「今じゃないとダメなのじゃよ」


 ふと祐治は気付いた。逃げなくてはならないのは自分だけなのだ。こんなに軽くて細いのに彼女にはその必要性は無い。彼女は強いのだから。自分ですら最強の騎士と言われるハインリッヒに勝てたのだ。それを上回るような兵が出てきても何の脅威にもならないのだろう。

 そう考えた瞬間、祐治は全てが馬鹿馬鹿しく思えてきた。


「わかったよ。何の話をする? 今日の晩ごはんか?」

「……お主に私の瞳をあげたのはなぜだと思う?」


 リルリーシャが祐治の左目の下瞼をなぞった。祐治は目覚めたときにこの瞳は彼女のものだと教えられていたのを思い出した。


「わかるかよ。そんなの気が狂ってるとしか思えない」

「そう、狂っていたのじゃよ。単なる魔力の元とするのなら他にも方法はあった。だが、お主を好きになりたかったのじゃ。ずっとずっと求めていた友達をもし嫌ってしまったらって思うとすごく怖くて……」

「嫌ってしまうのが?」


 普通は逆じゃないのだろうか。祐治はそこに引っかかった。自分も他人とコミュニケーションを上手く取れる方ではなかったが、どちらかと言うと相手に嫌われる方が怖かった。きっとそちらの方が普通の感覚だろう。


「そうじゃ。もちろんお主に嫌われてしまうのは嫌じゃよ。でも、それは私がお主を好きでないと始まらないじゃろう?」


 じっと瞳を覗こんでくるリルリーシャは真剣そのもので、いつものように偉そうで、祐治は目覚めた日のことを思い出した。あのときはいきなり押し倒されて、刃を向けられて、彼女が恐ろしくてたまらなかった。理解が通じない相手で、何を考えているのかわからず、狂人に刃を向けられているのかと思ったものだ。

 今もそれは変わらない。手に剣を持っているかなんて彼女には関係のないことだし、結局、何を考えているのかもわからないままだ。いや、分かりたくない。


「だからお主に私の大切なものを埋め込んだ。大切な人は大好きだし、大切な人には好かれたい。そんな風に思える友達が欲しかったのじゃよ」


 そんなものはただの人形だ。孤独の慰めにする愛玩人形。その好みの人形を作るために自分の一部を材料とした。大切な瞳の片割れが埋まっているだから大切にも思うだろう。そんな風に彼女の内心を想像したことがないわけではない。その時は正解とも思わなかったが。


「……やめてくれ」


 祐治は声を絞り出すようにつぶやいた。彼女はつまり、祐治のことを見ていなかったと言っている。

 今までリルリーシャが見ていたものは彼女自身の瞳であって、ウェンツェルの体でも如月祐治の魂でもないのだ。考えても当たり前のことではあるが、彼女に心を惹かれた身としてその言葉を受け止めるのは、祐治にとって酷だった。


「いいや、やめぬよ。お主は大分混乱しているようじゃからの、じっくり説明してやろう。嘘なんて一つもない私の気持ちを。私はな、本当にそう思っていたのじゃ。お主のことをただの人形くらいに。そばに置いてさえいて、一人じゃなければそれで良かったのじゃ」


 リルリーシャが念を押すようにそう言うと、悔いているかのように表情を歪ませて祐治から目を逸した。


「でも、今は違うのじゃよ。今は違う。お主が苦しそうにしているのは嫌だし、お主に助けられて本当に嬉しかった。だから、その、お主がそんなに辛そうにしていると……」

「……あなたたち、何をしているんですか?」


 不意に冷たい声が飛んできた。どうにか首を曲げてその聞き慣れた声の主を確認すると、ヴィクトリアが立っていた。

 彼女のメイド服は通り魔に襲われたかのようにボロボロでところどころ赤い斑点が付いているものの、平然としている辺り大きな怪我はないようだ。


「お、お前こそどうしてここにいるんだよ?」


 祐治が下から尋ね返す。


「こちらの用事は済みましたので、あなた方の様子を見に来たのです。ハインリッヒ様は魔女の対処に当たったと聞いたのですが……大丈夫みたいですね」


 そう言って見下ろしてくるヴィクトリアの視線に、祐治は侮蔑されているのを感じたがリルリーシャが動こうとしないのでどうしようもないことだった。


「……殺したのか?」

「いいえ、殴って蹴って罵倒しただけです。私も流石に殺さなきゃ気が収まらない、というわけでもありませんしね。それに、そこの魔女との約束もありますから」

「リルリーシャが?」

「うむ、魔女絡みで人が死ぬのは嫌だからな。牢でじっとしている引き換えにな」

「そういうわけです。それで、あなたたちは何をしているんですか?」


 一段とヴィクトリアの声色が冷たくなった。


「こっ、これは……」

「こやつがな、私の言うことを信じようとしないのじゃ。だから、少々腹を割って話そうと思ってな」


 祐治が答えるより早くリルリーシャが答えた。


「どういうことですか?」

「なんでもな……」

「お主は黙っておれ!」


 食いついたヴィクトリアにリルリーシャは地下から脱出した経緯を話し始める。人の口から聞かされる自分のセリフはだいぶ安っぽくて恥ずかしいもので、その間祐治は組み伏せられたまま羞恥に身を焦がしていた。軽い拷問のようだ。


「はあ、魔女様はもっと聡明だと思っていましたが……」


 リルリーシャの説明が今まで達するとヴィクトリアは呆れたように言った。


「何!? お主にはわかるのか?」

「ええ、もちろんです。賢い魔女様も男の心はわからないのですね。男っていうのは好きな女性の前ではカッコつけたいものなのですよ。おとぎ話のカッコいい勇者のように。それをあなたが台無しにしてしまったというわけです。ウェンツェル様、いえ、もうその名で呼ぶこともありませんね。ユージ様は堂々と自分の力であなたを助けてみたかったのでしょう。だけどそれが思うようにいかずに拗ねている。といったところでしょうか」


 ヴィクトリアの堂々たる回答により、2人が凍りつく。


「ふふっ、そういうことですので、じっくり話すのは必要かもしれませんが、時と場所を選んだほうがいいのでは? では失礼します」


 今まで聞いた中で一番楽しそうに笑い、ヴィクトリアは手を振って去っていく。とてもきれいな笑顔だった。いつまでもそれを見ていたいと思う程に。視線を正面に向ければリルリーシャが見えてしまうから。

 だが、怖いもの見たさにチラリと様子を窺うとリルリーシャは恥じらう乙女のように両手で口もとを隠し、視線を泳がせている。

 祐治は気付いてしまった。ヴィクトリアの言葉は真実である。デタラメだと否定することだってできたはずなのに、動揺して何の反論もできなかった。いや、そもそも否定したくなかったのかもしれない。彼女の前でこの気持ちを偽ることがとてつもない罪であるように感じてしまうほどだから。

 結局何が自分にあそこまで強い意志を持たせたのかと自分に問えば、リルリーシャに対する想い以外の答えを祐治は見つけることはできなかった。彼女に頼らずに状況を切り抜けたかったのだって、それ故の意地だ。綺麗で可愛らしくて強くて優しくて、それでいてどこか不安定な彼女をたまらなく好きになってしまっていたのだ。


「……ね、ねえ、その、あやつが言っていたこと、本当なの……か?」


 戸惑うようにリルリーシャが祐治に尋ねる。どうにか口調は繕っているものの声は震え、いつもの魔女の尊大さは感じられない。人づてに告白を聞いて戸惑うような普通の女の子だった。


「それは……」


 どう答えたものかと祐治は逡巡した。リルリーシャへの気持ちを否定するつもりはない。だがそれを答えるのはこのタイミングなのだろうか。こんな事故のような告白は不本意すぎる。


「……いや、いい! うん、こんな場所でする話でもないだろう。お主の言った通り今は脱出が先だな。うむ!」


 祐治の答えを待たずにリルリーシャは自分を納得させるように大きな声でそう言って立ち上がった。


「ほら、早くしないと置いていくぞ!?」


 リルリーシャは振り向きもせず、逃げるように早足で歩き始める。

 突然重みが消えて祐治は身体が欠けたような不快感を覚えながらも、その後を追った。

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