第23話 血塗られた魔女の孤独

 両親を埋葬し何日も泣き続けた後、彼女が始めたのは剣を学ぶことだった。次に自分に身についてしまった魔法。そして終わりのない知識。全て彼女にとって必要なことだった。両親の意志を継ぐためには。

 少女も死のうと考えなかったわけでもない。ただ、死んだ父親がそれを許すと彼女は思わなかった。自分は何も傷ついていないのに、ただ悲しいだけで命を断つなど。

 彼女が確かに受けたはずの致命傷は完全に塞がっていた。代わりに、あの惨劇がこびりついているかのように瞳は血の色に染まり、そして人智を超えた力を手にしていた。

 力あるが故の責務。少女の父親の信念だった。それならば、この力がどんなものであれ、自分はその意志を引き継ぐ資格があり、そして責務がある。彼女は涙で冷え切った頭でそう考えたのだった。

 だが、それを果たすのは今ではない。自分は弱すぎるし、無知すぎる。父親のように街を修めることなどできるはずもない。今は力を磨かなくてはならないのだ。政治ならきっと父が信頼した役人たちがどうにかしてくれる。彼女はそう信じ、自らを磨くことを始めたのだ。


 ひたすら剣を振る内に少女は自分の身体の異変に嫌でも気付くことになった。飢えず、渇かず、傷まず。しかし、それが何になろうか。自分が人ではないことなんて、母親を殺したときに分かりきっていた。それに身体が追いついてきただけだ。数年経って老いることがないのも驚くことはない。自分は死んでいるのだから。

 剣技をある程度修める頃には自身の魔法の力について彼女は感覚的に理解していた。その仕組みはわからなくとも歩くことや喋ることと同じくらい彼女にとっては自然なことになっている。体そのものが魔法で動いているのだからそれは当たり前のことであった。

 魔法とは感情の力だ。個人の感情で世界を歪め、思い通りにする傲慢な力。少女は自分の力をそう結論づける。故に、自分のために使ってはならないと彼女は決心し、まだ見ぬ誰かの力になるために鍛錬を重ねる。

 そして幾度も季節が巡り、彼女の剣技はすでに達人の粋に達しており、癒やしの魔法も重傷人も簡単に治せる程になっているという確信も彼女にはあった。魔法が効かなくとも薬の調合も完全に身につけている。これならば人を救えると少女は確信していた。


 そして、少女は誰かの救いとなることを求めて森を出る。そして、結局誰一人として救うことはできなかった。

 少女には不釣り合いな知識と剣技、そして異形の瞳。それらは人々に不信感を与えるのに十分であった。少しでも頼れる雰囲気を出そうと練習した老人じみた言葉遣いもよくなかったのかもしれない。何日も助けを乞われることを求めても、むしろ求めれば求める程に彼女は拒絶される。人々を拐かす魔女として。

 やがて、追い出されるように街を出て館に戻ると少しずつ来客が来るようになった。皆、魔女の命を求め、話し合いの余地もない。そんな彼らをも決して殺めず、可能ならかすり傷一つ付けずに剣一本で追い返し、そしてそれが皮肉にも彼女の名を広める。いつしか人と言葉を交わすよりも剣を交える方が上手くなり、そして血色の瞳の魔女と呼ばれることとなる。だが、十年も経たない内に彼らも来なくなり、彼女は本当に独りとなった。




 それでも館でじっとしていることはできず、ある日少女が散策していると、森沿いの街道で男性が倒れているのを見つけた。少女は逸る思いを抑えてその男に近づく。意識もはっきりしていないようで反応はなかった。ナイフか何かで突かれたようで出血が激しい。

 急を要すると判断した少女は、男のそばにしゃがみ込み、手をかざす。暖かい光が男の傷口を照らし始める。

 それにしても、と少女は治癒を絶やさずに辺りを見回す。こんなところで一人で倒れているなんてどういうことだろうか。血で濡れていようとも男の身につけている衣服の高価さはひと目でわかる。どこかの貴族だろうか。それならばなおさら一人で倒れていることのはおかしい。移動中に襲われたにしても従者がいないのは不自然だし、周囲の様子を見ても特におかしな様子もなく、争いがあったようには見えない。

 考えられる可能性としては、移動中に一緒に乗っていた者に刺され、落とされた。それならば自然とこんな状況になるだろう。

 そう合点がいくと、少女は気持ちを入れ替え治癒に専念する。少女には裏切られた末に一人ぼっちで死に、獣の餌になろうとしていた眼の前の男がひどく哀れで、救いがいのある者に見えた。

 しばらく治癒を行い、容態が安定したと見るや少女は男を担いで館へと歩き始める。直に血の匂いに釣られた獣が来るだろうし、誰かに見られたら誤解されて邪魔が入りかねない。

 背負った男の暖かさに少女は高揚していた。生きた人間の温もりをこんなにゆっくりと感じられたのは、最後がいつか思い出せないくらい久しぶりで、それに加えて思いがけず他人を助けることができそうで、少女は消えかけていた自分の信念の灯火が煌々と燃え始めたのが感じられた。そして、彼さえ助ければその先も誰かを助けられるような妄想のような淡い期待も。

 館に戻った少女は男の目が覚めるまで地下室に入れることにした。刺客なんてものはもうずっと来ていないが、可能性が無いわけではない。魔女を討伐しに来た人間たちが昏睡している彼を見たら何を思うか、想像するのは容易かった。

 それから何日もの間、男を看続けたが目を覚ますことはなかった。身体の傷は完全に癒えていたが、生きることを拒絶するようにゆっくりと衰弱して死んだのだ。


 物言わぬ屍を少女は憎んだ。自分を残して逝った彼がどうしようもなく腹立たしかった。彼は自分に助けられ、感謝し、理解者となるはずだったのだったのに。

 両親から受け継いだ崇高な理念は数十年の孤独で歪み、彼女にとって他人を救うとは他人と関わる手段となっていた。少女はもう対等で友好な他人との関係性を作ることができるとは思っていない。それならば魔女として、その力を持って人を救ってさえやれば良い関係を築けるのではないか、少女の心の奥底ではそんな利己的な欲望が根付いていたのであった。

 屍を前に少女はあることを思い出す。本で読んだ生者の3要素。肉体、動力、そして魂。どれか一つでも欠ければ人間は生者にはなれない。肉体が無ければ言うまでもなく、動力、つまり肉体を動かす機構が無ければ、人間は考えるだけの人形になる。魂がなければそれこそただの人形である。生者と言えるはずもない。

 そして、逆に人が死者となれば3要素全てが失われるのだ。肉体は腐り、止まった心臓は二度と動かず、魂も消え去る。

 目の前の肉体をじっと見つめる少女の頭の中には邪悪な企みが生まれていた。


 体を動かす方法なら少女は知っていた。今も自分の体でしていることと同じだ。止まった歯車を外から無理やり掴んで動かすような魔法の力。彼にもそれを付与してやればいい。

 問題は魂の方である。こちらは骨が折れそうだなと、少女は思った。だが、不可能ではないはずだ。魔法は意志の力、その意志の根源たる魂相手なら力を作用させやすい。そんな直感があった。

 不幸にも彼の魂は消えてしまっただろうから、代わりのものを入れなくてはならない。とはいえ、生者の魂は肉体に固定されているから生きている人間のものを使うのは不可能だ。死んで肉体から開放された瞬間の魂を捕らえなくてはならない。一体誰の魂を捕まえればいいのだろう。

 仲良くできそうな人がいいなと少女は思った。一番最初に浮かんだのがそれだった。自分を恐れない優しい人。でもそんな人この世にいるのだろうか。

 いるとしたら、きっとここではないどこか別の世界。それでも絶対に捕まえて見せる、少女はそう決心した。時間はいくらでもあるのだから。それこそ、自分をこんな風に狂わせるくらいには。

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