第14話 狩りの終わり

 突進が来たら左に避けながら、そのまま斧を顔面に叩きつける。単純かつ完璧な作戦だ。これ以上の解は祐治には思いつかなかった。

 魔角虎は一歩一歩祐治に近づき、距離を詰める。祐治がいきなり武器を持ったのに恐れるような素振りは全く見せない。獣故に恐れを感じないのか、それとも脅威にならないと思っているのか。

 ザっ、と強く地面を蹴るような音とともに、魔角虎は再び祐治に襲いかかってきた。今度の得物は角。多少リーチが長いが。避けて、カウンターを叩き込むだけ。祐治の考えに変わりはなかった。飛び込んでくる魔角虎の角を避け、斧を振り上げるように叩き込む。そのつもりだった。

 魔角虎は大きく跳躍し、祐治の背後を取ると再び突撃してきた。完全に作戦を崩された祐治は、体勢を整えることもできなかった。左肩を角で貫かれながらも転がって致命傷を避ける。


「うぐぅっ……!!」


 息が詰まるような衝撃に呻くときには魔角虎の顔面が迫っていた。仰向けに倒れた祐治の頭をかみ砕こうと牙を剥いてくる。噛み付かれれば肉どころか骨まで一瞬で砕けることだろう。

 祐治は無我夢中で左手で斧の刃の根本を掴み、魔角虎の噛み付きを斧の柄で受ける。斧の柄は噛み砕かれることもなく耐えてみせた。


「ううううぉおおおおおおお!!!」


 魔獣の膂力に人が耐えられるはずもない。だが、今の祐治は人間ではなかった。

 祐治もまた獣のような咆哮を上げ、無理やり斧ごと振り回す。顎が緩むと魔角虎の体が宙を舞い、そしてくるりと空中で回転し着地する。華麗な曲芸のような動きだ。一方で祐治は慌てて立ち上がる。

 祐治と魔角虎は再び距離をとってにらみ合う。祐治の肩の痛みはすでに薄れつつあった。動かすのも問題ない。もしかしたらもう癒えていているのかもしれない。だがその代償としてか、祐治は自分の体が僅かに、しかし明らかに重くなるのを感じた。度が過ぎれば動けなくなるのは間違いない。

 以前、銃やナイフで傷ついたときのことをリルリーシャに尋ねてみると痛みがすぐに無くなっていたのは魔法による自己治癒だと言われていた。この肉体は損傷したとしても魔法によりそれを即座に修復しようとするそうで、だが、他の魔法と同じく限界はある。何度も攻撃を受け、直していれば最後には魔力切れで直せなくなって死ぬのだろう。

 この体はそこまで万能でもないということは祐治も自覚していたが、一抹の恐怖が浮かんだ。たとえ魔力が残っていたとしても、脳を貫かれたり、腕を噛みちぎられても、元通りに戻るものなのだろうか。


「うぉおおおお!!! もう一度だ! 来い!!」


 祐治は木に背中を預けると、自分を鼓舞するかのように叫んだ。このままでは心の底に恐怖が芽吹きそうだった。

 背を木に預けたのは次の祐治の作戦だ。これで背後に回り込むことはできない。先のように第2撃が来たとしても、前からなら反撃の余地はある。あわよくば頭から突っ込んできて、木に角を突き刺してくれることも考えられる。

 祐治の考えに誘われるように魔角虎が突進を仕掛けてくる。簡単にパワー負けしないことも、動きについていけることもわかった。パワーとスピードが及ぶなら、勝機は絶対にあるはずだ。

 単純な正面からの突撃を避けながら斧で斬り上げる。作戦に変更はない。今度こそそれで終わらせるつもりだった。

 だが、魔角虎は首を逸らし角が木に接触するのを避けると、まるで坂を登るかのように自然に木を駆け上がり、背中から跳んだ。綺麗なムーンサルトだった。頂点で体が反転し、天から放たれた神の投槍のように祐治に目掛けて落ちてくる。

 重力に引かれながら落ちてくるその獣は、熟練の戦士ならば容易く両断できたのかもしれない。だが、地を這う4本足の獣が上から攻撃してくるなんて祐治は想定していなかった。祐治は後ろに飛び退いて何とかそれを避ける。だが、完全に体勢が崩れ、次の突撃までは避けられそうにない。槍のような角が直前に迫る。

 その瞬間、祐治の頭に浮かんだのは諦めだった。腹を串刺しにされるのは諦めよう。だが――


「死ねぇえええ!!!!」


 肉を切らして骨を断つ。祐治は気付かざるを得なかった。素人がどんな戦法を立てても野生の獣の本能を上回れないことを。それなら策など弄さずに単純に戦った方がいい。攻撃を受け、耐え、動きが止まったところを反撃する。多分これが一番だろう。考える余裕もない。

 だが、斧を振り下ろす間もなく宙を舞っていた。先に見たリルリーシャの姿を思い出す。彼女も串刺しにされ、そして一瞬で放り投げられていたのだ。


「がはぁっああ!!!」


 落下の衝撃で肺が潰されたようだ。呼吸もままならず、瞬時に回復する様子もない。腹部の穴と同時に治すのはいくら魔女でも厳しいのだろうか。

 祐治は少しでも時間を稼ぐために、怯える少女のように尻を地面につけたまま体を引きずるように後退する。斧もふっ飛ばされたときに手放してしまった。時間が経てばまた癒えて武器を出し、動けるようになるはずだ。魔角虎は傷ついた獲物が足掻く様を楽しんでいるかのようにゆっくり近づいてくる。

 後ろ手に付いていた祐治の腕に木が当たった。思わず天を仰ぐ。赤い星が輝いた気がした。


「もう、一度……俺の武器よ……」


 かすれる声で祐治が呟いた。手に戻った斧を見るとガラスのように脆そうだった。

 祐治は考えを改め、覚悟を決めた。どうせここから回復したとしてもスタートから始まるだけだ。それでは勝てない。ならば、ここで勝負を決めてしまうのが良いだろう。この木の下がいい。

 この深い森の中で獣には木の区別がつくのだろうか。一日にきっと何千本と目にする木々に違いはあるのだろうか。獣にその差を理解することはできるのだろうか。祐治にはわからなかった。木の太さ、高さ、葉の数、そんな差を把握するどころか、樹種の違いだってわかりはしない。だが、間違いなくこの木は特別なのだ。獣にはわかるだろうか。自分がこの木の下で最後の勝負に出る意味を。

 獣の間合いに祐治は捉えられた。走り始めたらほんの一瞬で串刺しだろう。あの爪で首を飛ばされるかもしれない。だが、祐治は脱力したまま魔角虎を睨みつけたままだ。


「来いよ……終わりにしよう……」


 魔角虎は抵抗の意志を見せない祐治を訝しんでいたようだが、勝利の雄叫びなのか咆哮を上げると祐治に向かって突っ込んできた。

 祐治は全身の力を振り絞り、横に避けた。それだけでいいはずだった。この一撃だけ避ければ後はきっと彼女が助けてくれる。

 樹上から小さな影と刃が滑り落ち、支えを無くした魔角虎の首は重力に引かれて地面に落ちた。

 影は着地する余裕もなかったのか、べたりとそのまま地面に落ちた。少女趣味のボンネットが外れ、銀色の刃物のような髪が広がる。


「リルリーシャ……」


 祐治は彼女の名前を呼んだ。魔角虎の血の川を超え、這い寄るように近づく。体はまともに動かない。だが、そんなものは大した問題ではなかった。祐治はうつ伏せのリルリーシャを抱き起こし顔を覗き込む。リルリーシャはどこか虚ろな瞳で祐治を見て、視線を逸らした。


「……すまなかったのう」


 何に対してかは祐治にはわからなかったが、彼女は悲しげにそう謝った。その姿には叡智に溢れる魔女の面影は感じられない。そこにいるのはただのか弱い少女だった。世界が違えば親に怒られれば泣いて、友だちと遊んでは笑って、そんな普通の女の子のはずなのに。

 その弱々しい姿を見ているだけでも心をえぐられるようで、祐治は自分の内から湧き出す情念に抗うことができなかった。彼女の体に回した腕に力が増し、自分の方へ引き寄せた。

 本当は彼女に自分から触れるなどあってはならないのだ。可憐な花に脂ぎった指で触れるなど許されるはずがない。それでも触れたいのなら、風に揺られ、肌を掠めてくれるのを待つしかない。それなのに彼女の弱々しい姿を見ていると錯覚してしまう。自分は花を守り、愛でる資格があるのではないかと。

 魔力が枯渇すれば精神が不安定になるのだろう。きっとこれもその結果なのだ。おかしくなってしまったのならどうしようもない


「何がだよ。また俺は助けられたんだぞ? 謝られるどころか、俺がお礼を言わないと」

「……私のせいでお主は傷ついた。もう一度死ぬかもしれなかった。死ぬのは……怖いじゃろ」


 ほんの少し、リルリーシャは言葉に迷ったようだったが、死の恐ろしさを表現するのにそれ以上の言葉は必要ないだろう。彼女の言う通りだ。いくら痛みが無くても、仮初の命であっても、死ぬのを考えた瞬間、確かに怖かった。それでも戦ったのは、彼女を見捨てるのと天秤にかけたらこの結果に傾いたというだけだ。


「嫌といえば嫌だけど、リルリーシャを助けられてよかったよ」

「ばっ、馬鹿者! お主は私が呼んだのじゃ。私の身勝手なわがままで……だから、私にはお主を守って、最期まで見る責任が……」


 リルリーシャは口元に手を当てて、口をつぐんだ。


「わがまま?」

「……私がお主を呼んだ以上、責任は取る。それだけのことじゃ」


 それは悲しい考え方だなと祐治は思った。こうやって蘇ったことに対して、生きるということに対して負の考えがなければそうは思わないだろう。死は幸せの終わりだと考えるとか、不幸の終わりだと考えるか、リルリーシャはきっと後者なのだろう。だから、自分を生まれ変わらせたことにこうも責任を感じている。


「だったら、俺も呼んでくれた恩くらいは返すよ」


 それでもここに来てからの暮らしはそう悪いものではない。そう思ってからこの短い間に何度も殺されかけたのを思い出して、思わず祐治は笑った。まともな考えではない。


「……本当に、そう思ってくれるのか?」

「ああ。だから、今はそんなこと考えるな。ゆっくり休んでろ」


 祐治はそう言ってリルリーシャの髪を撫でる。リルリーシャは潤んだ瞳で祐治を見上げ、安心したように目を閉じた。

 そういえば魔獣を狩ったはいいがどうやって血を採取するんだろうか。そんな疑問が祐治の頭に浮かんだが考える余裕はなかった。魔力切れというものなのかもしれない。体に力が入らず、頭が回らず、眠たくてどうしようもなかった。

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