第2話 同棲生活の始まり

「阿賀くん大丈夫だった⁉」

「電話で言った通り、ぴんぴんしてます」


 山口さんから提案をもらってすぐ、俺は言われた駅に向かっていた。


 電車内で携帯からニュースを見ていたが、自分の住んでいたマンションが火事になったことが既に全国で放映されていた。

 幸い死んだ人はいないらしく、それを見て少しだけ安心した。……同時に、本当に燃えちまったんだなあと悲しい気持ちになったが。


 ――自宅のパソコンにあったとっておきのエロフォルダーがなくなってしまったことが悲しい。さようなら、俺の青春。


 ともかく、家なき子になった俺。不安と喪失感に満ち溢れた状態だった。


 そんな状態で駅に着いた俺を迎えてくれたのが山口さんだった。走ってきてくれたらしく、ぜえぜえと息が切れている。


「とりあえず私の家に行きましょう」

「いえ、でも、課長」

「大丈夫、うちの家は結構広いから。すぐにシャワーを浴びましょう」

「ですが、課長」

「場所はこっちね。ほら、ついてきて」

「はい、ありがとうございます……」


 ホテルに泊まる予定ではあったんだが、山口さんは本当に泊めてくれるらしい。

 課長の願い出を拒否しようとしたが、諦めてお言葉に甘えることにする。


 正直に言えば、家が燃えたという非常事態に俺も疲れが溜まっていた。ホテルで泊まるより遥かにありがたい。


 課長に連れていかれるがままにマンションの入り口を通っていく。


「本当に大変だったわね……。怪我とかなくてよかった……」


 山口さんはいつもの会社で見せる顔よりも、表情がいくらか豊かだった。

 もちろん思いがけない事態に焦っていることもあるだろうが、俺はそんな山口さんが新鮮に見えた。


 この人って感情があるんだって、失礼なことを思った。


「むしろ、自分の方こそ家にお邪魔しちゃって申し訳ありません……」

「いいのよ、そんなこと。怖いことがあったあとだもの、ホテルよりは落ち着いたところで寝られた方がいいでしょう?」

「……すみません、正直助かります」


 燃えてしまった元々の家とホテルとでは環境が違いすぎて、色々と考えてしまっただろう。

 もちろん元の家と比べると課長のマンションも相当グレードが違うと思うが、それでも少しは気持ちが楽になる。人がいるということもありがたかった。


 エレベーターで指定階に上がっていき、そのままリノリウムの床を課長に続いて歩いていった。


「ここよ、入って」

「し、失礼します……」


 開けられた扉をおそるおそるくぐる。


 玄関だけでも自分の家より広い。下駄箱がある。ちらりと見ると靴がたくさんあった。

 サンダルも外に出たままになっている。山口さんも休日に外に出る時はサンダルなんだろうか。


「ちょっと散らかってるけど、気にしないで」

「あ、じろじろ見ちゃってすみません」


 課長に従って靴を脱ぐ。

 途中扉がいくつもあったが、開けられることなくそのままダイニングに案内される。


「ここに荷物を置いといて。あとここにあるものは好きに使ってね」

「ありがとうございます」

「自分の家だと思ってくつろいでくれればいいから」

「……ありがとうございます」


 そうは言ったもののすぐには自分の家だとは思えない。


 なんかいい匂いがするし、家具だってどれも高級そうな感じがする。

 徐々に心が立ち直ってきたのか、変に山口さんのことも意識し始めてしまう。やばい、夜のこととか考えちゃう。このすけべ変態野郎め。


「私はお風呂を沸かせてくるから。先入る?」

「いえ、いや、えっと……」


 お風呂。なんていい響きなんだろうか。


 ただどうしたものか。先に入ると課長には申し訳ないし、後に入ると山口さんの残り湯で妙な背徳感があるな……。

 あれ、思ったよりも難しくね。この同居生活。


「私、着替えて一度部屋に戻るから、何かあったら言ってくれるかしら」

「は、はいっ」


 そう言って山口さんはダイニングからさらに奥の部屋へと消えていく。


「ふぅ」


 冷静になってくると段々と感じ始めてくる。


 もしかして、結構いますごい状況なんじゃないかと。




 ————————————————————



「はあ」


 私は背中で寝室の扉を閉めると、こわばっていた体の緊張が解けた。

 思っていた以上に緊張していたのか、力が抜けるとそのままベッドに倒れてしまった。


「ど、ど、どうしよう……」


 バタバタっとベッドの上でバタ足を漕ぐ。


 ——流れで阿賀くんを家に呼んじゃった……!


 家が火事になったって話を聞いて頭が真っ白になって、その後に無事だって聞いたらつい気持ちが緩んじゃって……。


 あぁばかばかばかっ。なんで後先考えずにそんな大胆なことするのわたし!

 距離感わからなくて無愛想な顔しちゃったじゃない。何してるの、ほんと……。


 というか夜どうしよう。まさか……二人でベッドに?

 ダメダメダメ、そんなことしたら絶対にダメ。いや、絶対じゃないけど。うん、阿賀くんが硬い床で寝るくらいだったら、むしろベッドで一緒に寝た方がいいけど。いいけど!


 阿賀くんってどうなのかしら……いつもアタックはしてみてるけど、あんまり反応もないし……意外とベッドに入ると獣になっちゃったりして!


 ……って馬鹿なことばっか考えてる。あほだわたし。

 ちゃんと阿賀くんのこと考えないと。


「でもほんと……無事でよかった」


 ひとまずは阿賀くんに安心してこの家を使ってもらうことから頑張ろう。

 ……わたしの方が心配な気がしてきたな。大丈夫かな。


「——って、もしかしてこれから一緒に住むってことは……?」


 もう残業をしてもらう必要も……なくなった、ってことだ。


 だって、もう残業なんかにしなくても2人きりの時間がたくさんあるってことだから。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る