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「わあぁ、何これ! でっかいコンビニ……!?」


 再びやってきた土曜日を、僕は当然のように枝垂挫と過ごしていた。

 その場所は雨飾駅から徒歩十分。枝垂挫の自宅やいつぞやの喫茶店、イチョウ並木の反対側――南口より直進し、ほどなくして見えてくる大型スーパーだった。雨飾駅付近では最大級であり、ほしいものがあれば大抵はここに来れば事足りる。地元に住む者にとって、このスーパーはデパートに次ぐ宝庫である。付け加えれば今日は週末で、心なしか普段よりも客が多く感じた。併設された家電量販店の方も盛況しているようだ。


「すごいすごい! 駅の反対側ってだけでこんなに人がいる……!」


 つま先立ちでスーパーを見渡し、驚愕する顔がそこにあった。

 見開かれた視線を追う。

 広い天井の下、立ち並ぶ商品棚。入り口からでもわかるほどに混み合ったレジの行列。あふれかえった人の気配に混じり、軽快な音楽が流れる。ここまで届く「ポイントポイント」「二倍二倍」という歌はラジカセから発せられたもので、独特の圧を放っている。視界の先を埋め尽くすのは果物類の鮮やかすぎる色彩で、自動ドアの向こうにいつもどおりの騒がしさが詰まっている。

 普段と何ら変わらない。

 引け腰の枝垂挫は、無意識にか、僕のパーカーの裾を掴んでいた。慣れっこの自分には問題ないけれど、初めて訪れた彼女には、彼女にしか感じられない入りづらさがあるのかもしれない。

 自動販売機もコンビニも知っているくせに、スーパーという場所を知らなかったらしい。相変わらず基準が分からない。

 そういえば、枝垂挫が二重人格として生活していた頃は、夜中の短時間だけ入れ替わり様々な情報を学んでいたらしい。それを踏まえると、インターネットを教科書代わりにした結果の偏り、という方が納得できる。昨今のネットにおいて、地元スーパーのチラシなど探そうと思わなければ見ない。それよりも『コンビニ旬の新作スイーツ』の方がよっぽど頻繁に目に付くものだ。枝垂挫がスーパーに近寄らなかったのは、そういった経緯があるからなのかもしれない。

 こういう知識の偏りはまだまだいくつも見られる。これからも苦労しそうだ。

 ――などと思考していた僕は、ふと我に返った。いけないいけない、とネガティブを振り払い、気を取り直す。せっかくの休日なのだから、細かいことを考えるのはやめよう。

 それよりも、このまま入り口付近で足踏みしていては迷惑になる。ここは引っ張っていかなければならない。僕は買い物カゴを手に取った。


「待って瑞枝くんっ! 置いてかないでっ! 私どれを選べばいいかわかんない!」

「カゴ持つのは僕だけでいいから! カートもいらないから! それは真似しなくていいから!」

「えっ」


 枝垂挫は「これがドレスコードってやつじゃないの……?」と驚愕しつつ、手に取ったカゴを戻した。そして尻込みしていた数分前までの自分も忘れ、自動ドアの先に待つ俺の方までやってくる。背後でおばあちゃんに見られていたこともあってか、顔はすこしだけ赤かった。

 彼女はしばらく、しおらしい状態でついてくるだけの生き物になった。




 背後をついてくる枝垂挫を尻目に、預かったメモに目を落とす。


「野菜、牛乳、納豆にお好きな菓子ときた。いかにもなお遣いの定番メニューだ……。食品に限定してるし、なんなら裏面にコーナーの場所まで書いてあるし」


 端正な文字が四つ折りの白紙に並んでいる。分りやすく、読み仮名まで振られているものもあった。枝垂挫の母親はずいぶん心配しているようだ。

 平日は文化祭準備期間のため自由な放課後が奪われてしまう。そこで、枝垂挫は休日を利用して『やりたかったことリスト』の達成を図ったのだろう。

 けれど、フタを開けてみればこの状況である。

 なにも詳細は知らされないまま枝垂挫を迎えに行ってみれば、待っていたのは枝垂挫ママのにこやかな笑顔とささやかなお願いだ。そして今現在、枝垂挫とスーパーで買い物、というよくわからない状況に至る。


「なあ枝垂挫」

「っ!? な、なあにっ?」


 興味津々に辺りを見渡す枝垂挫が、ゆっくりめに歩く僕を見た。


「今日のコレ、本当に『やりたかったことリスト』に載ってたの?」

「……う、うんっ! ちょっとズレちゃってるけど!」

「ず、ズレ?」

「いやっ……えと、そんなことなかった! とにかく大丈夫だから!」


 ますます怪しい。最近、枝垂挫が挙動不審にみえるのは、僕の気のせいだろうか? 真意を探ろうと軽く睨んでみるが、返ってくるのはいつもの微笑みだけだった。逆にこっちが気まずくなって顔を背ける。

 僕は『やりたかったことリスト』の中身を知らない。みせてもらえるのは、きっと羅列された項目をクリアしたあとになるだろう。だから、実際にどんな願いが今の枝垂挫を突き動かしているのか理解できない。

 従うしかないのは、理解しているつもりだったけど。やはり気になるものは気になってしまうのだった。


 野菜類を選び終えたころには枝垂挫も緊張が薄れてきたのか、平常を保つことができるようになっていた。未だに人混みの威力に「ほえー」とか「うわぁー」とか独り言をこぼしているが、それでも話しかければいつもの調子で受け答えをしてくれるようになった。僕と枝垂挫は軽く会話しながら巡っていく。

 買い物カゴを持つ俺と、しきりに目移りしつつ付いてくる女の子。先ほどから後ろ髪を引かれているようだが、しっかり付いてきてくれる。

 僕は歩きながら、ときどきメモの通りに品物を手に取りながら、物思いに耽っていた。

 枝垂挫と、言葉を交わしながら巡る。たまに笑いながら時間が過ぎる。

 いつもならこんな二人組を見て「カップルで買い物かよ」なんて勘違いしていたものだが、案外そう単純ではないかもしれない、と思い知っている最中だった。常日頃一緒に行動している男女だって、実は何かの契約を元に動いているのかもしれない。そう考えると、愚かな偏見で物事を捉えるのは控えようという気になった。

 まったく、意外な事態だ。予想だにしなかった未来だ、これは。まさか僕が彼女と、またこうやって話すなんて。

 本当に――意外だ。全部が全部。

 君もそう思うだろう、枝垂挫さん。

 と、一歩後ろをついてきていた枝垂挫が服をくいくいと引っ張る。なんだろうか、と振り返って、僕は彼女の方をみた。


「瑞枝くん、これは?」


 指差しているのは、ちょうど通りかかった菓子コーナーだった。しかし単なる菓子ではない。商品棚の端っこの一画にまとめられた、オレンジと黒の賑やかな装飾が目に付く。


「お菓子だよ。ハロウィン仕様」

「ハロウィン……! 知ってる! お菓子の美味しそうなお祭り!」

「まあ、あながち間違いでもないね」


 僕は苦笑する。枝垂挫らしい感想だった。

 ハロウィンについては理解しているらしい。チョコレートの詰め合わせをひとつ手に取り、興味深そうに眺める。

 今日は九月二十七日。まだ日本のハロウィンまで一ヶ月ほどあるが、街中は雰囲気を先取りしているところがほとんどだ。

 実際、先取りしすぎなのでは? と個人的に思う。世間さまは毎年毎年気分がお早いことで。どうせハロウィン当日になったらクリスマス意識、切り株を模したブッシュ・ド・ノエルとかリースとか赤い靴下型のお菓子とか売り出すんですよね? いやぁお早い。

 買えるのも今くらいだろうな……とそんなことを思いつつ、枝垂挫の横に並び、菓子の山を眺めた。


「瑞枝くんも何かするの?」

「ウチは特には。ちょっといつもと違うものを食べるくらいかな。両親は共働きで遅いし、かぼちゃ味のスイーツくらいは買い置きしておくけど。わざわざ仮装するほどでもないかな」

「仮装……仮装するお祭りなの? てっきり恋人とイチャつくための記念祭みたいな扱いかと思ってた……ケ、ド」


 肩に手を置く。

 僕は優しい眼差しで笑みを浮かべて、ゆっくりと首を横に振った。

 ダメだよ、と。彼女の偏った知識の間違いをさとすように。


「恵まれてる人と、恵まれていない人がいるんだ」

「……、なんか、ごめん?」

「いや、いいんだ。それに僕は慣れっこだよ、親の帰りが遅いのはいつものことだし、学費を稼いでくれているふたりに我が儘を言える立場じゃないしね」


 自嘲的に笑ってみる。我ながら気持ち悪い笑い方だったかもしれない。

 しかし彼女は意に介さず、それどころか目を輝かせて詰め寄ってくる。

 枝垂挫の冷たい手が、カゴを持つ僕の右手をつかむ。半ば引き寄せられるようなカタチで、至近距離に枝垂挫の顔が近づく。ふわりと柑橘系の香りが鼻をかすめ、硬直してしまう。


「なら、私としないっ!?」

「っ、あー、えっと……ハロウィンを?」

「ハロウィンを!」


 数秒間、丸い瞳から目が離せなくなってしまう。だが羞恥心の方が勝り、つい、横目で周囲をうかがってしまう。ハロウィンのお菓子詰め合わせ袋のまえで、なんとも目立つ行動をしてしまった。

 その視線で気づいたのだろう。自分の大胆さを恥じたらしく、小柄な身体が勢いよく距離をとる。

 枝垂挫は「ご、ごめん」とだけ呟いて、目をそらしてしまった。ハロウィンを彩る菓子袋のまえから逸れて、買うべきものもわかっていないクセに先導し始める。

 僕はしばらくその背中を見つめ、頭をかきながら追いかけた。

 騒がしい店内を歩く。

 メモに記された残りの売り場は反対方向なのだけど、そのままついていった。もちろん、「次はこっち」と首根っこを掴むことだってできた。そうしなかったのは、些細な遠回りをしても、それはそれで魅力的な過ごし方かもしれないと、そう思ったからだった。

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