淡海遷都(上)

 とうちょく使りゅうとっこうはこのとしじゅうがつこくくまでのあいだなにずいいんたちにものいをゆるしていたが、これはいくさひつようとなるぶっめんについてのした調しらべをねていたらしかった。

 このふゆ高麗こまノくにだいじんいりんだということが、うみえてこえてきた。じゅうねんあまりのあいだこにきしもとらつわんるいこくせいもっぱらにしてきただいじんほうは、あらしまえれのようにないがいもんおよぼす。にはさんにんがあり、もしそうぞくけんあらそえば、とう新羅しらきがそのすきじょうじていままでのうらみをらそうとするであろう。

 よくねんはるしょうがつとうこうていほうぜんおこなうと、りんとくさんねんあらためてけんぽうがんねんごうした。


 リョこくでは、イル・カちょうナムセンちちくらいぎ、こくせいつかさどっていたが、このはるこくないじゅんさつしにて、おとうとナムコンナムサンピョンヤンじょうとどめ、あとのことをゆだねた。ナムセンおとうとどもがせいなまけるのではないかとあんじて、かんじゃのこしてふたかんさせた。ナムコンたちはあにかんじゃがあることをってこれをらえ、ぶんたちがけんりょくにぎることをあににくんでころそうとしているのではないかとうたがった。

 そこでナムコンコンキシめいであるとして、ナムセンしょうかんしようとした。ナムセンはそのけいってえてもどらない。ナムコンはいよいようたがいをふかくして、ナムセンひとホンチュンころす。

 ナムセンクッネエじょうはしり、そのしゅうタンマルガルへいひきいてまもりをかためると、ホンソンってとうこうていうた。こうていホンソンゆうえいしょうぐんしゃくさずけ、うまほうとうあたえて、くにかえらせてナムセンおんたくしらせさせた。

 なつろくがつこうていみことのりしてきょうえいたいしょうぐんケイビツ・ハリクレウトゥンどうあんたい使きんえいしょうぐんパン・トンシェンと、ユェンチウとくカウ・カンレウトゥンどうこうぐんそうかんとし、えいしょうぐんシェツ・ジンクィかんぼんしょうぐんリィ・キンカン殿軍しんがりとしてえ、へいひきいてクッネエじょうかわせた。

 あきがつリクらはナムコンへいやぶり、ナムセンすくしてチャンアンかえった。こうていナムセンとくしんレウトゥンたいとくしてビェンジァンどうあんたい使ねさせ、クェンぐんこうほうじた。

 ふゆじゅうがつこうていくうにしてイェンクォクこうけんこくこうしんでもあるろうしょうリィ・セクを、レウトゥンどうこうぐんたいそうかんけんあんたい使とし、ケイビツ・ハリクパン・トンシェンならびにこうぐんふくたいそうかんとして、リョつためのすいりくしょぐんべさせることとした。またてんりょう使パウ・ギィトゥッコ・キェンウンクァク・タイポンらはセクはいり、ぐんようきゅうするためにカープォクしょしゅうぶっレウトゥンはこぶこととした。

 さらにおとうとチョンが、じゅうじょうもっシンとうこうし、シンコンキシはこれをして、そのじゅうじょうそつおくってまもらせた。これによってリョナムコンはんたいかたれ、じゅうねんあまりにわたってくにかためたりょくは、まったすることとなってしまった。


てんのうみことのりしたまえるところうけたまわりしより、たみどもをうれめぐむがゆえに、いわえだちこさしめざるなり」

 とうけんぽうねんたるとしはるがつじゅうしちにち、亡きおおたノのこのろくねんほどかりあんされていたひつぎを、のちノおかもとノてんのうみささぎまえはかめるさいに、なかノおおえノはこうべて、そのはかつくりをかんりゃくませたわけをした。

 そのいっぽうでここすうねんちくしノくにみずをはじめとして、ながとノくになどのかくにも、百済くだらしきじゅつれたつくさくおこなわれていたし、このとしにもあらたに、やまとノくにたかやすノやまさぬきノくにしまつしまノくにかなに、どうようもうけるけいかくてられている。

 かわベノおみももら、百済くだらせんえきかえったものたちによる、新羅しらきノくにけいかいすべきだというしゅちょうは、ほうつたえられてから、よりおおくのひとびとなっとくさせるようになった。高麗こまほろべば新羅しらきいっそうぞうちょうするであろう。つぎにはちくしノくにいずもノくにこしノくになど、やまとノくによううばおうとするかもしれない。

 こうしてぼうめいしゃたちをはたらかせるためのぎょうはずみがなかで、かまたりなかノおおおうみノくにおおみやこうつすことを、ぼうととのえることのいっかんであるかのようにしてすすめ、そのけんせつもほぼかんせいしつつある。

 なかノおおかまたりも、せいとしてのやまとノくにきらっている。

 たしかにやまとノくにはこのすうひゃくねんあいだおうけんいとなちからもとづところとしてつづいた、耀かがやくようなでんとうっている。しかしそれだけにきゅうへいおおいにもっている。

 むかしからやまとノくにめんは、ものノベノむらじおおともノむらじへノおみといったぞくたちのひきいるうじによってかたれていた。うじりょうみんにとって、くんしゅとはそのうじこノかみであり、やまとノきみとはかんせつてきしゅじゅうかんけいつにぎなかった。やまとノくになかやまとノきみゆうになるものはあんがいすくないのであった。

 なかノおおものごころいたころには、ぞくたちがきょうそうかさねたすえに、がノおみだけがけ、おうしつていた。だからがノえみしノおおおみいる鹿かノおみだけをたたけば、ぞくれんちゅうぜんたいあたまさえ、おうけんかくちょうすることはたのであった。

 それにしてもぞくたちのじつりょくおとろえたりとはいえ、みんしゅうたいするえいきょうりょくはまだしえないものをっている。なかノおおいまおうしつであるひこふとノみことは、ひゃくじゅうねんほどまえやまとノきみになったにぎず、これよりまえからやまとノくににあったぞくらは、よりふるゆいしょほこって、じつりょくとはかんけいなしにたかけんたもってもいる。

 やまとノくにとうは、こうしたぞくたちのめいぼうたよらざるをず、ぞくたちはおもてではなかノおおしたがうようなふりをしながら、うらではきゅうたいぜんとしたかんしゅうほうあやつって、めいぶんほうによるかいかくさまたげているのだ。むしろちくしノくにあづまノくにのようなようほうが、なおほうれいじっしているようなのである。

 ここをはなれなければ、おもうままにていこくきずくことはならない。

「もとよりおうこそはおおしま中心地なかツくになるべし」

 そうなかノおおかまたりった。

 おうみノくには、もともとひこふとノみことひざもとであり、いまもそのえんほこりとして、おうしつちゅうじつものおおい。

おう

 とばれるなんぼくながみずうみをそのとするくにであり、そのみずうみなん西せいがんおおというがある。みずうみわたればこしノくにつぬみなとからきたうみみちへ、ひがしはすぐしなやまみちへ、みなみせノくにからひがしうみみちへ、西にしやましろノくになにみなとつうじている。

 このうつくしいみずうみにはおさなころ、まだちちははいとわれるようになるまえに、きょうだいそろってれられてあそんだ、なつかしいおももあった。

 おおたノひつぎまいそうしたからひとつきたないさんがつじゅうしちにちなかノおおやまとノくにてて、らくせいしたおうみノおおつノみやうつってった。

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