惨敗の痕

 しょう百済くだらこくしてからねんとうりょうさくさんねんあきがつになると、とう新羅しらきのためにみじめにちのめされたやまとぐんぜいのこりが、なにみなとげてきた。また百済くだらからせんさいけてげたのうみんなどのふねも、うらうらとうとうながんでていた。

 こうしたなんみんろうしゃになってちつじょみださぬようにみちびくには、百済くだらおうぞくぞくきょうりょくともひつようである。

 百済くだらじんたちのなかには、とうとうこうしてしまうものと、やまとノくにのこっていたしょうおとうとぜんこうしたってものとにかれていた。なにわノみやっていたぜんこうもとには、ほうがくおさめたしんしゃじゃくじょうみょうじゅがくあかるいしちじゅうそち兵法へいほうつうじたこくしんしゅもくおくらいふくとうほんしゅんやくがくしちじゅうしんとくちょうじょうきちだいじょういんようがくろくふくといった、ぶんばかりかきょうようたかぞくたちがあつまってきた。

 おおしまノは、百済くだらひとびとしょうしょうそくたずねてまわった。

 しょうはこのなつろくがつふくしんほんうたがいをかけ、そのしんしつおそわせてこれをらえ、くびってころしてしまったのであった。とう新羅しらき高麗こまへのしんこういったんあきらめて、百済くだらちんあつてんこうし、たいしょううしなった百済くだらぐんぜいつづきとなった。あきはちがつじゅうはちにちさいけっせんがあり、やまとすいぐんはくすきノえというところで、りゅうじんすいぐんたたかってかいめつした。

 しょう姿すがたは、なが百済くだらひとびとなかにはく、そのゆくようとしてれなかったが、いくとおりかのうわさも、うまってきたはしったというてんいっしていた。

(さはおもいけるがごとし)

 と、おおしはらそこなっとくをする。たとえほかきるみちいとしても、しょうがこのやまとノくにかえりたいとはおもうまい。

 百済くだらでは、しんのみがにんぞんじょうってていこうつづけているとのことであったが、このふゆにはりゅうじんこうしょうこくじょうらをようして、これをおとしたとのことがつたえられてきた。

 よくねんは、とうりんとくがんねんたる。

 はるさんがつなかノおおてんのうで、ぜんこう百済くだらノこにきしほうじ、ぼうめいしゃたちをせしめることとした。

 かまたり百済くだらひとびとのために、ちくしノくにじょうさいきずぎょうじゅんし、これをなづけて、

みず

 とんだ。これは百済くだらからきてかえった、かわベノおみももらのけんによったものでもあった。ももらはこくしてらい新羅しらききょうきょう調ちょうし、ぼうかためるべきだとしゅちょうしていた。そのようは、あるいははくすきノえざんぱいしたことによるしょうげきから、せいしんじょうきたしたのではないかとおもわれるほどであった。かまたりももらのけんげ、なかノおおしんげんして、ちくじょうけいかくたいした。そのねらいはなんみんどもにごとあたえて、ぜんこうぞくらのかおによってしきし、こっりょうみんとしてとうすることにある。

 なかノおお百済くだらぞくらにたいするもうひとつのやくわりは、おおともノみがくもんとなりともとなることである。うねやかけてませたこのも、もうじゅうはちかぞえるせいねんとなっている。いままでもるだけがくもんつとめさせてきたが、これをいっそうたかきょうようあたまんで、りっあとぎになってほしいものだ。そうだ、このけるいくさえてしたことも、これがもくてきであったのだ。

はじめよりのためとこそおもいけることなり」

 それがやがてはくにのためにもなるのだ、とこのあにだれうともなくくちかららすのをけば、おおしふんがいもまたふくらむこととなる。

 おおしきさきのノささらノも、なかノおおへのふくおもいをおおきくしている。

 はこのねんほどまえに、ようやくおおしとのあいだに、くさかべノみんでいた。だんをそのはらしえたことは、ははちノいらつめてからしずみがちであったこころを、いたくおどがらせた。しかしあねおおたノが、おなころおおつノみ、そのさんじょくなかんだことは、まぶたははかさねさせもした。

 はははやくにこころんでんだことは、ちちなかノおおのせいであるとかたしんじている。そのうえちちおおともノみへんあいしてあとぎとみ、ほかどもをしていることがにくい。しかもぶんいたこうである。おおともうねぎぬではないか。

れこそはてんのうとなるべかりめり」

 とは、おおしみみにはえんりょなしにささやく。このにはかしきひめノてんのうのちノおかもとノてんのうというだいじょていおなのぼるべきかくがある。おおしはそれをていしない。


 なつがつつしまノくにより使つかいがあり、とうちんしょうりゅうじんげんかくそうというひとつかわし、百済くだらこうしょうくんらをしたがえていたり、やまとノくにへのつうこうもとめているとしらせてきた。なかノおおやまとノきみとしてうねめノみやつこしんそうべんらをつかわして、そうようきをわせた。しんらはそうに、

表書ふみおよびたてまつらむものりやいなや」

 とくと、そう

しょうぐん牒書ふみひとはこおよびたてまつものりき」

 とこたえた。しんらはちょうしょはこけてなにもどった。

 はこには〔とうどうこうぐんたいそうかんよりおうてる〕というむねおもてきがしてあり、ふうをしたうえいんしてある。いんふうやぶれば、はこひらいてぶんしょったことになる。

 なかノおおは、はこをそのままにさせて、

りゅうしょうぐんこころたるやにあるらむ」

 とかまたりう。かまたりにはなかノおおが、ふくしんしたことでこうていからめをけるのをおそれているのだとわかる。かまたりはそのいをもくげ、へんとうかたちなかノおおそうじょうする。そのけんはこうだ。

 じつとうじつりょくは、ひとびとうほどのものではない。きょうだい突厥トゥルクくっぷくさせたというが、それはあいめつじょうじたので、しょうめんってたたかったのではない。西にし吐蕃チベットくるしみ、ひがしリョわずらいがある。ペクチェせんきょするにも、これをするにはシンからえんじょけねばならない。これからまたリョとうとしているのだろうが、シンにだけたよるのではあんのこる。そこでやまとノくにリョせいするがあるのか、そうでなければものやまとノくにから調ちょうたつできるのかどうか、さぐりにたのではあるまいか。

 もしそのとおりであれば、こちらはどうたいおうすべきか、かまたりなかノおおまよった。

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