夢世界転移者を許すな

黒木耀介

第1話 三つ巴の転移者

 森の中を死に物狂いで走ったことがあるだろうか。異世界から来た少年『燃一前もえいちまえ焼輔しょうすけ』は、足をもつらせながら駆けていく。

 体験したことがないくらいの速度で、木々の間を過ぎ去っていった。


 上体が引っ張られる感覚。つま先が深緑の草木に隠れた根っこに引っ掛かる。これまで通りの焼輔しょうすけなら、頭から突っ込んで倒れていただろう。コンクリートの小石にさえつまづき、膝は擦り傷だらけで怪我の無い日はなかった。


 だがこの世界では違う。脳から発せられた信号は、焼輔しょうすけ本来の脳機能をはるかに超えて、体中を巡って伝達する。体が前に倒れそうになると、反射的にもう片方の足が前に出た。


 足元からじわりと青い炎が滾る。落としかけた視線を上げて、再び走り始める。



「逃げなきゃ……こんなところで死にたくない!!」


 その瞬間、頬を過ぎる冷気とともに、目の前に剣が突き立てられた。


「罪人が逃げられると思うな」

 色褪せた長い金色の髪がたなびく。白いコートを纏った少年は地面に突き刺した剣を引き抜いて、鎚を振り払った


「なんでオレが、お前に殺されなきゃならねぇんだ!!」


「……お前は自分のやったことを言われなきゃ気づけないか」


 冷徹な青い瞳が焼輔しょうすけに向けられる。

 焼輔しょうすけの背中に垂れた汗が凍ってしまいそうだった。


 少年はトーンを変えず語り始める。

燃一前もえいちまえ焼輔しょうすけ。住居侵入罪及び冒険者殺傷の罪で、テメェを“執行”する。闘技場で戦って負けたお前は相手の家に入り、寝ていたその冒険者をご自慢の炎で焼き殺し、そのまま骨も残さず灰にした……ふざけた内容だ」


 青い瞳の少年は吐き捨てるように言い放った。焼輔しょうすけの青ざめた顔に気にも留めず少年は話し続ける。


「お前の能力は『群青の炎』。能力そのものが魔法攻撃や身体強化に作用でき、使用に伴う魔力消費はゼロ。だが普段の戦闘では活かせず、冒険者との戦いでは全敗。周りには『燃えカス』なんて揶揄されてたみたいだな。動機はそういう奴らへの腹いせだろう なあ、“異世界の英雄”サマ?」


「違う!!!」


 焼輔しょうすけは怒声をあげる。その声は少しだけ上ずっているようにもとれた。


「オレは人殺しなんてしてない!! 確かに試合には負けまくった! でも負けたからって誰かを殺すわけないじゃないか!!!」


「それが殺してるんだよ。お前の『群青の炎』がこれ見よがしに現場から検知されている。何ならお前が燃やした奴の灰からは本人の微弱な魔力が確認され、本人だと断定された。解らないとでも思ったのか? いい加減その被害者面を捨てろ。この人殺し。」


「俺じゃない……俺じゃないのに!!! うわあああああ!!」


 焼輔しょうすけは腰に差した剣を引き抜いて青い瞳の少年に振るいかかる。


 少年が手を左から右に振るうと地面の草木が凍結して一面白く広がっていった。


「あ、足が……くそ……!」


「残念ながら、俺には“スキル”の類いは効かない…………抵抗するな。殺すぞ」


「こんなの、チートじゃないか……なんでオレ以外が優遇されてるんだよ……」


 青い瞳の少年の眉がぴくと動く。

 少年は目にも留まらぬ速さで焼輔しょうすけの胸倉をつかんで睨みつけた。


「ふざけんじゃねぇ!! テメェの力でどうにもできねぇ奴が、恵まれた奴が不幸を嘆いてんじゃねぇよ!!!」


「え────────」


 冷気が体中を巡る。足を固めた氷がさらに腰にまで広がり、掴まれた胸ぐらが凍り付いていく。


「テメェは最初っから優遇されてんだよ!! 生まれ変わって、神様から能力を授かっておいて、負けても後で殺せばいいやってか? 一から積み上げて戦ってきたやつを踏みにじって優越感に浸ってんじゃねぇ!!!!」


「違う、ちが────いたっ!!」


 少年は右足を焼輔しょうすけの腹部に押し付ける。ぴしぴしとヒビの入る音が焼輔しょうすけの耳をつんざき、一瞬にして『死』を直感した。


「や、やめてくれ…………オレは、オレはここでも死にたくない!!!!」


「テメェが殺してきた人たちはなぁ!! 明日の大会で勝利を目指していたんだ!! それを、テメェは無為にしたんだ!! 皆何も言えず死んでったんだぞ!!! 最強の力で倒した気分はどうだったよ、なあ!! お前の痛みは夢の中で消えていった奴らの感じた苦しさだ。地獄で腹割って詫びやがれ!!」


「嫌だ…………しに、たくない、死にたくない!!!」



 焼輔しょうすけが叫んだ瞬間、青い瞳の少年は何かを察したように左に顔を向けると、瞬時にバックステップをする。


 焼輔しょうすけと少年の間に割り込んだ、大人二人分ほどの巨大な生物とクリーム色の剣。この異世界では記録にない。黒い仮面に三本の角を生やし、胴体と足は繋がれていないにも関わらず、まるで人間のように動いていた。



「トーヤ、彼を殺さないでほしい」

 けだるそうな口調が聞こえてくる。森の中から茂みをかき分けて歩いてきた男は、トーヤと呼ばれた少年の目の前に立った。


 長い前髪を垂らして左目を隠し、紅色の詰襟を纏っている。黒くて丸まった髪で若く見える顔つきだが、ロボットのように表情は変わらない。



「何してんだ……」


「僕は、僕の役目を果たしに来た」


「そうじゃねぇ……なぜ止めたんだ、徳地カルマ!!!!」



 徳地カルマは黙ってトーヤを見続けている。



 「転生者殺し」と「異世界事件を解く者」。

 発端は数時間前へと遡る。


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