第三十六話『探していた人は近くに』




 凄みのあるレグルスの声を聞いても、アタラクシアはまるで意に介さない素振りで微笑む。腕を組みながら、右手を顎に添え、どこか小馬鹿にした表情を見せる。

 その表情が気に食わなかったのだろう。レグルスは目を鋭くさせると、アタラクシアを睨みつけていた。




「このクソガキが……まぁいい、どうせ俺が殺すんだ。好きに言ってろ」




 しかしアタラクシアを睨んだ後、レグルスは小さく失笑していた。

 思わす反応に、アタラクシアが僅かに眉を寄せた。




「あら、意外ね? もっと感情的な人間とばかりと思っていたわ。思いのほか、理性がある人間なのかしら?」

「はっ、言ってろガキ。その生意気な面、あとで思う存分変えてやるから楽しみにしとけ」

「殿方の誘いとしては最低ね。もっと紳士的な誘う方を学びなさいな」




 減らず口というのだろう。アタラクシアが脅しと受け取れるレグルスの発言にも、失笑で返していた。

 僅かなやり取りでアタラクシアの性格を察したのか、レグルスが彼女を鼻で笑っていた。




「お前は後にしてやる。俺の用はそっちのガキだからな」




 アタラクシアから視線を外して、レグルスがセリカを睨む。

 突然、レグルスに睨まれたことにセリカが後ずさる。しかしすぐに彼女は現状を理解できないまま、咄嗟にレグルスを睨み返していた。




「私になんのようだよ……領主の息子が私みたいな孤児のガキになんの用があるってんだ?」

「見れば見るほどそっくりだな。お前の顔を見てるだけで胸糞悪くなってきやがる」




 セリカの問いに、レグルスは答えることなく不機嫌そうに顔を歪めた。

 無視されたことに、セリカが内心で腹を立てる。思い切りレグルスを睨みつけると、彼女は無意識に舌打ちをしていた。




「その物怖じしない態度も、見てて腹立つな」

「私を知ってる風な言い方してんじゃねぇよ! お前なんて私は知らねぇんだからよ!」

「お前が俺を知ってようが知らなかろうが関係ねぇ。黙って俺に殺されろ。わざわざ俺が殺してやるんだ。感謝の言葉くらい欲しいくらいだ」

「殺されて感謝する奴がいるか! 馬鹿かお前!」




 殺されて感謝する人間などいるわけがない。セリカは思ったことを正直に叫んだ。




「お前みたいな奴が俺の代わりになるくらいなら、殺した方がこの街の為だ。黙って、俺に殺されろ」




 セリカには、レグルスが口にした言葉の意味を理解できなかった。

 レグルスが、唐突に右手をセリカに向ける。

 なにをしようとしているか分からず、セリカが怪訝に眉を寄せたが――レグルスが口にした言葉に、彼女は目を大きくした。




『風よ――切り裂け』




 風の属性指定から一説の詠唱。風の第一魔法を行使する言葉だった。

 レグルスの詠唱が終わった瞬間、彼の手から見えない刃がセリカに向けて飛翔した。

 セリカには、その魔法がどんなものか知る由もない。故に、彼女には躱すという選択も、それが攻撃の魔法とも理解することはできなかった。

 間違いなく、レグルスから放たれた風の刃がセリカの身体を切り裂く。そう、レグルスは確信していた。




『闇よ――守れ』



 しかし、それを阻む者がいた。

 セリカの前に唐突に黒い魔法陣が現れ、風の刃はその魔法陣に衝突していた。

 霧散する風の刃を見て、今度はレグルスが動揺する番だった。

 必ず当たると思っていた魔法が防がれたことに、レグルスは眉間に皺を寄せた。




「防がれた……だと?」

「その子を殺されると私が困るの。悪いけれど、その程度の魔法で殺せるなんて思わない方が良いわ」




 セリカの前に、ゆったりとした足取りでアタラクシアが立つ。

 その言葉と、セリカを守るように立つアタラクシアを見て、レグルスは心底驚いた表情を見せていた。




「これは驚いた。まさかガキが魔石使いなんて思わなかったな」

「私をそんな程度の低い人間とは思わない方が身の為よ」




 レグルスに失笑を向けるアタラクシアだったが、彼にはそれが去勢にも見えたのだろう。くつくつと笑うと、レグルス

はアタラクシアに右手を向けていた。




「魔石使いじゃないなら、自分はあの魔女だとでも言いたいのか?」

「その通りよ。あなたに勝ち目はないから、その手を向けることはおすすめしないわ」

「はっ、言ってろクソガキ。お前の魔法があとどれくらいで尽きるか楽しみだ」




 そう言って、レグルスは右手をアタラクシアに向けたまま――詠唱を行った。




『風よ――切り裂け』

『闇よ――守れ』



 二度目の魔法を、アタラクシアが防ぐ。



『風よ――切り裂け』

『闇よ――守れ』



 三度目の魔法も、アタラクシアが防いだ。




『風よ――切り裂け』

『闇よ――守れ』




 そして四度目の魔法をアタラクシアが防いだ時、レグルスが笑みを浮かべる。




「今ので合計四回だ。次は防げるか?」




 勝ち誇った顔で、レグルスが再度魔法を詠唱した。




『風よ――切り裂け』

『闇よ――守れ』




 しかし、五度目の魔法を防がれた瞬間――レグルスの表情は驚愕に変わっていた。

 五回、魔法をアタラクシアが発動させた。それがレグルスには目を大きくさせるほどのことだった。




「なんだ? お前……魔法石を何個持ってやがる?」




 魔法を五回使った。そこから導かれる答えは、二つしかない。

 第五魔石を所有しているか、魔法を五回使える分の魔法石を所持しているかしかありえない。

 目の前のアタラクシアという黒髪の子供が魔法石を複数個所持しているとは思えず、レグルスは怪訝な目を彼女へ向けていた。




「ふふっ……思う存分撃ちなさいな。それで勝手に負けを認めてくれるなら、私は楽ができて助かるわ」




 そして今だに余裕を見せるアタラクシアを見て、レグルスは得体の知れない彼女に僅かな警戒心を抱いた。




「おい! なんでアイツ、私を殺そうとしてんだよ!」




 そして今までの静かな戦いを見届けて、セリカが自分の前に立つアタラクシアにそう叫んでいた。

 アタラクシアが首を動かして、セリカを一瞥する。彼女は小さく笑うと、楽しげな表情を見せながら答えていた。




「そんなことは簡単よ。私達の探していた人間があなただっただけよ。そして、あそこにいる男が殺したがってる人間ってことにもなるわね」

「はっ……?」

「この街の次の領主候補となる人間。現領主の妻の妹であるセレス・フロールスの子供、その名前はセリカ・フローレス……つまり、あなたのことよ」




 突然、アタラクシアが告げた言葉。それはセリカは理解の範疇を超えた内容だった。

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