第40話 輝きとともに

 


 どこを向いても真っ暗だ。

 ここはどこだろう。

  

 誰かの名前を何度も叫んでいたのは何となく憶えている。謝る言葉を並べて地べたに這いつくばり、涙を流して……夢でも見ていたのか? ありえない話だ。誰かに謝るなんて。誰にも頼らないって決めたじゃないか。そうだ……あたしは神さまになんか頼らない。この手でやりたいことを叶え続ける限り、周りに何の文句も言わせない。そう言い聞かせて来た。あたし達を守れるのは自分だけなんだから。


 眠る直前みたいな意識が沈む時に似た暗転。それがずっと続いているような感じだ。止まっている、のとは少し違う気がした。何も聞こえないし、この暗闇が目で正確に捉えられているのかも疑わしい。ただ息苦しさや辛さは感じられない。音も気配もしない。いつだって寝ても覚めて絶えずついて回ったあの閉塞感も……たぶん、ここは広いんだと思う。そして、こうやって考えることが出来る以上、何かある――


 不意に巨大な白い塊があたしのそばをゆっくり通過して、音もたてずそのまま下へと落ちていく。高さと遅さ、という概念を認識した時、今いる場所が水中みたいだ、というイメージが湧いた。黒い水。コールタールのようなドロドロした粘つきはない。どちらかといえば墨や絵の具を溶かしたって表現が近い。

 ……見上げる、という言い方も怪しいが、ともかく白い塊が来た方向を眺めた。同じくたくさんの白い塊が降り注いでくる。形もそれぞれ異なっていた。長いもの。短いもの。筒や輪っかのようなもの。卵の殻みたいなもの。丸い、尖った、湾曲した、平たい、分厚い、百を優に超える何かが下へ下へと沈んでいく。

 周囲を伺ったが、他にあるものと言えば無限に続きそうな暗闇だけだった。本当に捉えようもなく広い。今度は白い塊たちの行方を追う。落ちていく動きが止まった。いや、次々に横たわっていってる。あれが底の部分。底が浅いというよりも、今自分がいる場所が相当深いんじゃないか、と思っていたのは合ってたらしい。


 あれ……あの輝きは?


 白い塊が底に触れた時、幾つもの輝きが飛び散って浮き上がった。わずかな振動、揺れのようなものが光の舞う動きで想像できる。やがてよく降ったスノー・ドームのように攪拌された輝きで溢れ、白い塊の沈む底は遮られていった。

 この見通しの悪さ、どこかで……いや、それよりあたしは何をしていた? とても大切なことを、やっていた途中だった気がする。誰かが待ってる……誰? 分からないがとにかく、もう行かなくては。はやく戻らないと。そんな思いだけが大きくなる。ただ自らの意識に反してどんどん深みへ、底が近くなっていく。そして漂っている無数の輝きの一つが、あたしのすぐ近くを掠めた。


【いいですか? 止めなかった子も何もしなかった子も全員この手でぶちます。でも理子を泣かせたのが誰か、教えてくれた子はちょっと弱くします】


 この記憶、小学校高学年……理子のクラスに乗り込んだ時の。つまりここは、あたしの深層心理!? そうだ……思い出した。団地の橋のたもと、倉田さんの埋めていたものを掘り返していたんだ。あと少しのところで呪いのバケモノに捕まって……顔を潰れたトマトみたいにされた。

 でも、こうやって考えられるし、記憶を司る頭脳は確かにまだ残っている。あれは肉体的な損傷ではない? あたしを気絶させるための精神に向けた攻撃……?


 だとしたら理子が危ない。

 あたしがここにいるってことは、呪いの対象がいま理子一人だけになっている。自分と同じ目に……いや、あたしたちを操り涼くんにけしかけるだけで終わる。マジに時間がない。戻り方、というかどうすれば目覚める? 寝てんじゃない起きろ、起きろ起きろ起きろッ! 

 底なし沼にはまったみたいに、もがけばもがくほど沈んでいく。自分の頭ン中だぞ!? あたしの考えた通りに動けよッ!?


【愛理。誰かに何かを伝える時、一度考えてみるんだ。口に出す前にきれいな言葉、優しい言葉に置き換えるようにね。知らない人、家族ではない人には特に。愛理のことをよく知らない人は、きっと愛理のとげとげした言葉に傷つくことがある。覚えておいてね】

【理子のこと考えてくれたのねえ。さすがお姉ちゃん、えらい! ふふ、そんな顔しないで? この瞬間がずっとずっと続けばいいのに、って思う時間ほど、すぐ過ぎてしまうものよ。だから今日の過ぎた時間を惜しむより、次の楽しい時間の準備をするの。理子もその方が喜んでくれる】

【り、りょうくん。おうちの人に教えてもらわなかった? 女の子を泣かせる子は最低……ああいや、とげとげする言葉は使っちゃいけないんだった。待ってお姉ちゃん待って、今のは間違えただけだから……ええとその、とにかく泣かせたらいけないの!】


 きらきらした幼い頃の記憶。あたしが大切だと感じる魂の飛沫。その輝きと暗闇の底で何かが聞こえる。音のした方に意識を向けると、つやのない白い塊があった。どこか遠くの砂粒のようにも見えたし、手を伸ばせばすくい取れるほどの距離にも思える。


 それは骨だった。

 頭頂部の砕けた、辛うじて人間の形を成した骸骨が、じっと丸まってその場所にいる。さっき上から落ちて来たのは骨の部位だったのか。なんでここに? これもイメージなだけ? 疑問が次々に湧いて出る。誰かに頭を割られて亡くなった? でも、亀裂の入り方がきれいすぎる。このひび、継ぎ目はなんだろう。介護の仕事に就く前に教えてもらったような……。

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