第27話 芸術家 ナミノキョウイチ




 団地に向かう途中、涼くんと色々な話をした。

 聞けば数日前から私の様子がおかしいと理子に相談されていたらしい。妹とは日常的にメールや電話のやり取りを結構していて、その話の流れで相談に乗る形となり、私に起きた異変やおかしい言動はすでに知っている様子だった。本来なら仕事上明かせないことまでも……理子は私から情報を可能な限り聞き取り、その後涼くんと共有していたようだ。

 倉田さんとスミエさん夫妻。亡くなった岡崎さんのことはもう一度棚橋さんを訪ねて聞いてみたいけど……逆に私が現時点でほとんど知らない人物がいる。


 ナミノキョウイチ。


 昨日、スミエさん宅で話題に出た、倉田さんの絵に多大な影響を与えた画家。彼の作風を感じるとか理子は言っていたっけ。もしかしたら彼女はその人に師事していた可能性があるが、直接聞いたことは無い。そもそも私が知らないのも妹に言わせば常識を疑うレベルらしい……


「涼くん」

「は、はい」

「ナミノキョウイチって人について、教えて欲しいんだけど」

「いいですよ。自分も理子に頼まれるまでは有名画家ってことくらいしか知らなくて。まあ今はレポートが複数作れるくらい調べてあります」

「……ごめんなさい。理子が無茶を言ったみたいで」

「納得するだけの報酬や見返りは貰ってます。その辺はきっちりしてる奴ですから。それにレポートも大学の学問研究に流用しますので問題ありません。携帯に入れてあるデータ、愛理さんの方にも送りますね」


 ひゅぽひゅぽ、と連続で携帯が鳴った。

 三人で入れるようにした共有のチャットに画像と資料が入る。もしまた呪いで私と理子のどちらかの意識が保てなくなった時、いつでもお互い声を掛け合えるようにチャットは開きっぱなしにしてる。

 携帯を見ると風景を描いた絵の画像が目に入った。ナミノキョウイチが手掛けた数々の代表作。たしかに何となく倉田さんの絵に似ている。理子がそう言っていたのも頷けるな。続いて作品名と飾られている美術館の羅列を指でスライドさせた。


 希代の名画家。若くして完成された天才、みたいな呼び名の通り二十代から三十代までに受賞作品が集中している。経歴を見ると、晩年は創作活動を控えていたようだ。誰かに師事していたりされたりも記述がない。というか関連人物・項目の少なさから、極力人を避けていた節さえある。


「ナミノキョウイチって人嫌いだったのかな?」

「偏屈というか、人とは違った感性持ち……でしょうか。最も、そういった点が無ければ一流足り得ない世界なのかもしれません。それは彼の残した言葉からも伺えます」


 涼くんに促され画像の一つを開いて拡大すると、幾つかのインタビューや文章がまとまっていた。彼の言葉の中で、特に気になったセリフを年代順に拾い上げて抜粋しているみたいだ。


『どんな声も意味がある、と最近は思うようになりました。否定してはいけない。諭してもいけない。ただただ幼い子どものわがままを聞くように、心に寄り添う。それは創作活動にも限りません。自らの心に何が起きていて、今どうしたいのか? それは必ず教えてくれています。気がつかないだけでね。周囲の音が遠のき、魂の叫びが絵画に向いてくれた時、自分は筆を心の赴くままに走らせるのです』


『ナミノキョウイチという人間を、絵の声が聞こえる稀有な画家だの鬼才だのとのたまう輩がいるがこの際はっきりさせておこう。俺は……絵と向き合うことで自分の声を聞ける、と言っただけだ。目の前にあるキャンパスをどうするべきか。自分自身の声に耳を傾け、出した答えに従っているだけに過ぎない』


『人は誰でも、声帯ではない部分に自分の声を持っている。深層心理に潜む魂の叫び。その声を聴けるようになる条件は人によって異なり、俺の経験が及ぶ範囲で言うなら、命の危険や非常事態。運動や武道。極限まで集中した時に体験する可能性がある。……恐るべきは。自らが妄想した声かどうかの判別に困ること。天使と悪魔のささやきという表現に似ている。少なくとも俺が絵に塗り込めるのは、甘えや妥協じゃない。真剣で、愚直な、厳しい声だけ耳を傾けるようにしてる。それ以外は創作に限らず全て雑音だ』


 その受け答えの文章を辿ると、歳を重ね名声を得る度に偏屈で神経質な部分が出て来ている印象を受けた。自覚しているかは置いといて、心を追い詰めないと作品を描けない……そんな頑なな強迫概念すら感じられた。


 やっぱりこの人、倉田さんと面識があるんじゃないか? 似たような言葉を彼女からアドバイスという形で聞いた。もうすぐ到着する団地の道で。懐かしいさすらあるが、今はいい。

 どこだ? どこでどんな関係で二人は繋がっていたんだ?


「ありがとう。涼くんのレポート。まとめ方がいいからスラスラ読めた。もし私がナミノキョウイチを調べてたら、知りたいことが埋まるまで一日以上かかったと思う」

「理子から分かりやすさ優先って注文があったんです。自分は読む相手の知識前提で端折るくせがあるので。でも、始めから愛理さんに見せるためだったんですね」


 たしかに最初に見せてもらったオカルトの説明文は、やたら難しくて眼が回ったけど。そうか。理子と涼くんは物事を頭で組み立てるスピードが似ているのかも。私は……まあ、ちょっとその辺は苦手だ。


 倉田さんと関連がないか生誕や住所学歴の項目もちらっと見たが、そもそも実家以外の情報に乏しいのに気付く。ただ生年月日で年齢は分かるかな。ええと六十……


 そこで初めてナミノキョウイチの近影写真を見た。

 三十五歳時。自宅アトリエにて撮影。


「え?」

「どうしました?」

「この人……」


 若い時の写真だから、一瞬分からなかった。

 そんな……でも間違いない。


 岡崎さんだ。


 私がヘルプで訪問した時の――神経質な顔立ち。自分の思い描いた通りになっていないと気が済まない性格が、写真からも同じように伝わって来る。パレットを持って胡坐をかき、絵を敵のように睨んでいる岡崎さんを見て……私は彼が絵描きだったことを認めた。


 そして遠目で団地の一室を見る。自分の部屋で耳と目を深くキリで貫いた、その凄まじい死に方が現実に起きた事なんだと実感する。気付けば身体が震えていた。



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