第12話 職場へ



 いつもの職場へ向かう道を歩く。

 せっかくの二連休だったが、携帯がないと明日の朝連絡が出来なくなるから仕方ない。家の電話でも問題ないけどメールの方が気楽だ。それに個人的な問題もあって仕事前に誰かと話すテンションまで自分を高めるのは正直きついから、出来る限り普段のリズムで仕事に入っていきたい。


 昼前の時間帯だと電車内や駅に人はいても、だいぶまばらな印象を受ける前に半休を使った時とはまた違う感じ。昼食や休憩に外に出る人が、まだ少ないのかな? 

 勤務日以外で事務所に行くことはあまりない。せいぜい大型イベント……節分とか敬老会の時くらい。それも半分参加側だしあっても軽い補助をする程度。まあ行事を担当する都合上、休みのローテーションをずらしてでも働くことがほとんどだけど。


 介護福祉士の資格を取ったのは、いずれ来る両親の世話のためでもあった。しかし父は仕事中に死に、母はみるみる衰えて……実際に私が介護補助をしたのは半年ほど。結局、二人が私や理子にしてくれたことを、ほんの少ししか返せなかった。

 自分の心の支えが消えて、何のやる気も起きない日ばかり続いた。それも月に何回か、特に辛い日が訪れる。私が急にいなくなっても誰も気にせず、困る人はいないと言う事実を意識してしまう。ぜんぶ投げ出したくなるのをギリギリで抑えられるのは、理子の存在と訪問介護を利用している方たちのお陰だ。胸を張れるほど大層なことは出来ないけど、後ろめたくない日常を続けていく。それは日々をやり過ごす中で、私がどれだけ救われていることか……。


 別に誰かの特別になろうとは思ってない。

 介護士の仕事は一人だけが突出するのはNGだ。事業所の職員全員が同じく均一化したサービスを提供するのが理想であるし、私にはそれが合っている。誰かに必要とされていると感じる場面。その時だけは何も出来ない自分にも、価値を見いだせるような気がする。

 理子のことを嫌いになれないのは、その辺のバランス感覚が上手いからだ。私に対して距離は取っているものの、何かあれば干渉してくる。最初から期待をしてないし断言することはあっても、指示はしない。あくまで私に決定権を残してくれている。口調は厳しくて容赦ないけど。


 今日は理子も大学が休みで家にいる。なんなら午後、二人で出かけようって提案すれば良かったな。母が亡くなって以来、私の気分転換になら嫌な顔をしながらも付き合ってはくれるし。

 家に帰ったら、理子に昼食を作らなくちゃ。食材はもう買ってあるから後は腕を振るうだけ。それも大切な日常のリズムだ。ありがとうと気持ちを込めるくらいはしていいと思う。

 ……たとえ両親を追い詰めたのが、妹だとしても。




 *  *




「おはようございます」


 事務所に入り何人かの同僚と挨拶を交わす。

 なんか、みんなピリピリしてる。いまの時期はイベントとか事務も追われるほど大変じゃない。……何かあった? もしかしたら倉田さんの件で、私が不在中も対応してもらったのかもしれない。それとも、単に当日欠勤の人が多いだけか? 出勤ボードを見ると私以外に休みの人がちらほらいた。


 坂本所長は奥の所長机に座っていて、パソコンで作業をしている。

 どうやら急な案件があったようだ。周囲の緊張感はここから伝わったらしい。


「おはようございます。忘れ物を取りに来ました」

「ああ……北川さん」

「すみません。一昨日は色々机に置きっぱなしにしたみたいで」

「いいのよ別に。事故報告マニュアルとかの資料は誰でも見れる奴だったし、あとはペンとかくらいのものよ。珍しいわね。北川さんが何かを忘れるのなんて」

「あはは……あの時は動揺してましたから」


 人によっては水筒やシフト表が残されていたり、中には個人情報の申請書とか出しっぱなしにする人もたまにいる。いくら仕事途中の離席でもまずいし、たいてい坂本さんや私とかが気付くけど。


 所長は、かなり疲れた顔をしている。

 規定人数ギリギリなのと、予期せぬ事務作業……おそらく両方かな。


「誰か熱とか風邪でした?」

「ええ。ちょっと欠員が出てね。今日に限って仕事は増えちゃうし。まあ、そんな時もあるわ」

「明日、振れる仕事は必ず振ってくださいね」

「ありがとう……貴女は大丈夫なの?」


 その声と表情には、私に対する純粋な心配と……倉田さんが亡くなって、明日から組まれている訪問ローテーションに入れるかどうかという含みがあった。坂本所長はその辺が分かりやすい。あえて誰でも察することができるようにしてると思う。だから今日のみんなは緊張しているし、上手く回っている時は部屋の雰囲気も明るくなるのだ。


「問題ないですよ。明日から通常でいけます」

「……そう言ってくれるのね。でも、休んだ方がいい」

「え? 本当に大丈夫ですよ?」

「北川さん自身がそう思っても、どこか辛そうに見える。だから……今週末まで全部休んで、月曜からならどう?」


 辛い? まだ休んだ方がいい? 

 坂本さんの見立ては合っている。倉田さんのことを完全に割り切って明日から仕事するのは難しいし、精神的にきついのも確か。あの時のことが頭に急に浮かんでくるのもしょっちゅうだ。

 でも、それでも。多少無理をしてでも頑張るべきだと思える。

 海で溺れたとして、その後海から遠ざかる期間が長いほど、恐怖で泳げなくなったりする話がある。私にもそれが当てはまるんじゃないのか? 特に動き始めるのが遅い性分なんだ。それは分かってる。止まって錆付く前に心を動かした方がいい気がする。本当に、私が。何にもできなくなる前に。


「今日、このあと休んで……明日連絡しますから。きっと大丈夫だと思うんです」

「少なくとも明日からは絶対ダメ。止めておきなさい!」

「……あ、ダメ……? ですか。でも、わ、私は……」




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