第46話 非日常のお出かけ


 駅前から目的地に向かう先、少しずつ歩く人の間隔が狭くなっていく。

 ……もしかして、あたし達が向かう場所と同じ? 向こうの大通りみたいにスーツ姿の人も少ないから、たぶん合ってる。

 オフィス街を背景にして、レンガ造りの美術館が見えた。多くの人がすでに列になって並んでいる。開館時間はだいぶ過ぎているから、入場待ちみたいだ。平日でこんな……え、これ30分以上は余裕でかかるんじゃないか?


「すごい行列。美術館ってこんなに混むものなの?」

「そっちは当日券の列よ。亡くなったナミノキョウイチの絵を見てみたいって人が多かったようね。さすがに日本各地の美術館から作品を集められただけあるわ」


 理子が言うには、亡くなった芸術家の作品を集めた開催を回顧展と呼ぶらしい。生涯を振り返った作品展。今回はそれぞれの美術館から収蔵物が一堂に会する……天才画家フジノシュウイチの変死はちょっとした話題になっていて、自分もニュースで開催を知った。

 日時指定制の前売り券もすぐ完売し、しばらくの間は当日待つことになりそうだ。この注目度なら開催以降、日が経つにつれて客は増え続け行列も伸びていくんだろうな……と考えながら入口の列に並ぶ。


「よく前売りチケット買えたね。ネットで予約したの?」

「ま、何とかなったわ。こういうのは涼が得意なんだけど」

「涼くんのケガは大丈夫?」

「手はギプスで固定したし、二か月くらいで治るって。あの時は呪いの影響であたしが暴れてて色々大変だったしな」

「そうだ。別行動してた理子たちの話も聞かせて」


 呪いと対峙しているときは、お互いに心配するどころじゃなかった。文字通りみんな必死だったんだよね。


「いいけど。ええと、しばらく涼に後ろから抑えられてた時、ぐうぜん棚橋のお婆ちゃんに見つかってさ。たぶん涼のことを変質者か痴漢だと勘違いして引き剥がそうとしたのよ」

「……どうなったの?」

「あたしの意志と関係なく棚橋に襲い掛かっちゃった。本当に呪いのせいよ呪いの。でもあいつの逃げ帰る動きと、恐怖のツラは滑稽だったわ。『ぎゃあ悪魔! こんな女、関わるんじゃなかったー』ってね」

「か、悲しい……助けようとしてたみたいだったのに」

「自業自得よ。ずっと昔に、倉田さんが岡崎と一緒にいるって通報できたのはあいつしかいない。でなきゃ部屋まで倉田家に特定されるわけがないんだ。最悪のタイミングまで狙った訳じゃなくても、ある意味災いを招き……その報いをちょっぴり受けたってだけ」


 棚橋さんだって、たぶん幼馴染が取られたみたいな気持ちで面白くなかったんじゃないかな。本当に些細な始まり。それがきっかけで、通報したとしても倉田さんが団地を離れ、有望な若手画家が二人とも筆を折る結果になるとは望んでなかったと思う。


「それでお姉ちゃんが気を失ったタイミングで、呪いの支配が強まって……あたしも諦めかけたんだ。いよいよ負担がヤバくてね。そこからは無我夢中であんまり憶えてない。涼が呪いとの対抗を支えてくれた気がする。ずっと休んでるのも、手のケガより精神的な負担が大きかったみたい」

「……呪いと繋がってないのに干渉できたのかな」

「たぶんね。荒っぽい解呪も可能性に入れてたから、それくらいやれたんじゃないの?」

「改めてお礼を言わないと。お菓子でも焼いて持って行こう」

「いいね。きっと喜ぶよ。ついでに抱きしめて耳元で感謝の一つでも伝えれば、少しは涼も報われるわ」


 正直、涼くんがいなかったらと思うとぞっとする。

 あの場面を切り抜けられたのは、二人のお陰だ。大した後遺症もなく回復したあたし達と違い、手のケガに精神衰弱と、呪いを直接受けていない涼くんだけ割に合ってないからなあ。


「片手が使えないなら、介護が必要かもしれないよね」

「まぁ、うん……確かに涼は一人暮らしだけど」

「次会う時に聞いてみる。涼くんに出来ることは何だってしたい」

「あ、あたしが大学まで付き添うんだし、世話ならするよ? 訪問介護だとNGなこととか、その、あるでしょ?」

「洗濯とか。お料理も」

「……ああそうだよね、掃除もね!」

「今日だって、涼くんが来れたら良かったんだけど」

「それは無理。分かってるでしょ? 涼は何か起きたときに動けなきゃ困る。これからあたし達の身に、

「言ってみただけ。三人で普通に美術館巡りして、無事を喜べたらって思っただけよ。この開催自体どう? ナミノキョウイチ……岡崎さんが亡くなってから十日も経ってないのに、やれるもの?」

「普通はあり得ない。ファッションとかの展示会でもそうだけど、準備には最低でも数か月は要るんだ。それだって事前に決めておくことをクリアしてるのが前提よ。年単位で用意する企画だってざらにある」


 美術館の企画はいつ立ち上がったものだろう?

 岡崎さんが前もって準備していたのか、あるいは死の直前の意志で決めたものなのか……回顧展というのは生前に行うこともあるらしい。その目的次第では、理子の想定した悪いところは当たることになる。


「ただの杞憂で終わればいいけど」

「ナミノキョウイチがすべての黒幕だって疑いは晴れてないよ」


 


 *  *




 入館し、受付は理子に任せて辺りを見回す。

 格式高いホテルと同様の絨毯に磨かれた床。奥の通路には絵が飾られていて、人のざわめきがなければ別の世界に入り込んだような、そんな錯覚を憶えたかもしれない。それはある意味合っている。ここは岡崎さんの作品が集められた、絵画の世界に違いないのだから……。


 パンフレットと言うには分厚い作りの冊子を見ると、案内図の順路を進んでいけばナミノキョウイチの経歴を辿れる構成らしい。最初期の荒々しい筆運びから洗練されていく構図や色使いを、おおまかに作品順で展示されている……のが分かる。

 涼くんに岡崎さんについてレクチャーしてもらったおかげだ。美術鑑賞が目的じゃないが、彼のガイドがあればもっと良かったのにな。


「はい、チケットは財布に入れといて」

「あ、うん」

「お姉ちゃんどうする? 見て回る?」

「理子は?」

「順路と逆、ってわけじゃないけど、あたしは二階の方から行ってみたい。作品以外の出生情報とか、インタビューの文章があるんだ。日記とか書かない人だったからその辺はいいとして……涼が調べ損ねたものがないか、一応確かめとく」


 理子はそう言って二階へ向かう。付いて行っても全然かまわなかったが、涼くんが調査したものに対して強いこだわりがあるようだ。案内図的にもぐるりと一周するルートになっているからな……どこか途中で合流できるしこっちは順路通り行こう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る