第23話 黙して語る




 理子の指が私の顔を何度もなぞる。

 まぶたの裏には何も映らないけど、感触で何をしているのは大体分かった。下地を塗って、のばして、たたいて、馴染ませて。しゅーっと、べたーっと、ふわふわ、ぽんぽん。目尻の辺りからスポンジが内から外に流れ……手際よく大きめのブラシが円を描く。


「り……」

「喋るな。もうちょいで顔の上やるから。質問は後にして」


 理子にメイクをしてもらうのは初めてだ。料理以外をセンス良くこなせる妹だけど、特にすごいのは服選びとメイクだと思う。その二つを自ら進んでやっているのは、どういうことだろう?

 結局はさっきの提案通り、怪しげな人物を頼ることに決めた。この後会う予定を理子はセッティングしたみたいだから、それに関係しているってことで……ここまで念入りにする必要があるらしい。


 理子の大学関係者とか? 

 先輩、教授……オカルトに強い有名人? まさか尊敬の念ってだけで姉の私を見れる顔にしてるって線は薄いか。あるいは格式を重んじるような場所に向かうから? でも、そんな霊験あらたかな所だとしたら華美なメイクなんて要らない気もするし。


 ただ理子は真剣だ。どんな意図があるかは読めないけど一切手を抜いていない。機械的でもない。倉田さんが絵画に向かう姿勢のように、私を仕上げようと集中している。


 倉田さん……

 本当にあの絵は呪いが込められていたの? あんなにたくさんの素敵な絵を描いていたのに。魂を込めるようなひたむきさには暗い感情があったってこと?

 向かいの団地の岡崎さんは亡くなり、カスミさん夫妻も死ぬところだった。事前に何か気付けていれば。何か出来ていたなら。結果は違っていたはずなのに。私はいつもそうだ。すべての取り返しがつかなくなってからようやく頭が動きだす――


「……」

「よし。目はつむったままね。聞きたいことって何?」

「ええっと、あの……」


 理子に聞きたいことはたくさんある。

 どうして自分のメイクしてるのかは後で分かることだ。重要なのはもっと他の……そうだ。本当はもっと、ずっと前から確かめたかった、理子の答えがないと納得できないこと。


「昔のこと聞いてもいい?」

「終わったことなら受け付けない。いい加減忘れなさいよ。頭の中をほじくり返したって過去は変えようがないんだ。岡崎や倉田さんのことも。ニュースでやってた火事もそう。どうしようもなかった。あたしたちのママだって……パパの事もあんたに何かやれたとは思えない」

「でもあの日、玄関で声をかけてれば……」

「だからさ、もういちいち考えるなよ。そりゃ人のいない所で倒れたのは運がなかった。ほんの少しの偶然があれば助かったかもしれない。けどね。前もって気付くのは無理。例えばあんたが毎日同じ道を歩いていて、いつか事故に巻き込まれる運命だとして、その日その場所の前で急に脇道に逸れたりできる? できないでしょ?」

「……違う。確かに私は気付かない。でも理子は……前もって体調が悪いのを知っていた。悩みとか、よく話を聞いていたんだから。いくらでも助けられた瞬間があった。なんで、どうして……あの日が来るまで、見逃したんだ!」


 理子のメイクを施す手が止まる。

 目を閉じているから表情は見えない。理子の顔色を窺ったって私には一生読み解けっこない。それよりも指先のほうがよっぽど正直だ。携帯をいじっている時だけは苛立ちや失望、私の言葉でどう反応したかを誤魔化せない。いま理子が触れている所からも、同じように分かる気がする。動揺して、気持ちが不安定に揺れて……あと、迷っている?


「へえ、知恵が回るじゃない。口先だけじゃダメか」

「なんで家族なのに……追い詰めるようなひどい真似をした? さんざん苦しめて見殺しにして、楽しかった? 理子は何がしたかったの?」

「そうやって、いつもいつも都合のいい様に考えて来たってわけね。パパやママを利用して自分を騙さないと、部屋から出れもしない。あんたこそ、家族を何だと思って――」


 理子が途中で言い淀む。

 言葉が過ぎた、なんて少しも思っていない。私が知りたいその先に触れそうになったからだ。ああくそ。挑発してやったのにあと少しのところで冷静さを取り戻してる。


「……本当のことを教えて」

「嫌よ。あんたは頭の中でずっと迷子になっていてくれないと。ただ、あれこれ憶測で探られるのも不快だし、言うわ。言うけど、今あたし達が抱えている厄介事が片付いてから。それならどう?」

「絵は燃えて無くなった。もし、呪いも消えてるって分かったら、すぐに話してくれる?」

「約束する。嘘じゃない」

「全部よ?」

「全部話す」

「呪いの診断なんて気味が悪いけど……結果が分かるなら誰とだって会う。どこで待ち合わせ予定?」

「ここだけど?」

「……え?」


 今やってるメイクも服選びも、出掛けるからじゃないの?

 いや、それより理子が誰かを家に呼ぶなんて……親戚さえ頑なに入れてないのに。家の相続とか面倒を見るからと、世話好きの叔母家族がいろいろ言っていたのを、一蹴して門前払いしていたくらいだ。


「今から来るそいつの判断次第で外に出る可能性はある。呪いが健在で、解く方法が見つかるなら」

「信頼できるの? その人は」

「オカルトって非現実的な分野にあたしが委ねるくらいにはね」

「年配の方?」

「いや同い年。大学の」

「ならメイクしなくても良かったんじゃ?」

「それはその、あるのよ。あ、憧れを壊すのは気が引けるし」


 ……理子を慕ってる同学年の子かな?

 珍しい。何となく妹なりに嫌われたくない人みたい。私には言わないけど、同性に人気がありそうな感じはする。まあ男女限らず納得しなければあっさり切り捨てるから敵も多そうだが。曲がりなりにも憧れの対象の姉がみすぼらしいと幻滅されるから、ってことにしとこう。


 結局聞きたいことは先延ばしにされて、はぐらかされている状況は変わりないけど。片付ける優先順位が決まってるのはいい。迷わずに済む。


「出来た。唇の仕上げは服を合わせてからにして……」

「理子」

「あぁん?」

「いつまで目を閉じれてばいいの?」




「……まだよ。せっかくだから、いろいろ着せ替えた後でね」



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