2話.科学者が機械になる話〈天才編〉

 わたくしには、感覚神経は無い。物の軟性と表面構造をてのひらと体表面…………ハァ。簡易的に言ってしまえば、人工皮膚の数箇所に内蔵された触覚センサーで読み取られた情報を唯一の生命的である部位━━『脳』に送ることで、『感じる』に類似した電気信号を得ることが出来る。


 そして、現在いま……わたくしの脳に送られた電気信号による手触りは、柔らかい布。大半がアクリルを加工したもの。視認出来うる距離には、二人のヒト。両方とも女性で、年齢は二十代前半と十代ですわ。

 ああ、思い出した。あまり女性らしさの感じられない寝巻きパジャマを着ている方が、数日前にわたくしが現在いる建造物の二階から、涼川 照望の不死身性を試すためにおこなった、実験に利用した堂川 清香だったわ。


 そして、もう一人。わたくしに十分五二秒前から延々と、熱い視線を送り続けている少女は、照望の隠し子……じゃなくて。大切に育てている娘っ子……いえ、これだと、血縁の娘ってことになりかねないですわ。……身元を引き受けている、照望の大切な存在━━矢子 日和。


 「ねぇ、わたくしと話をしたいことは清香さんにあらかじめ聞いているのだけれど」


 「はいっ!染毬ちゃん、単刀直入に聞かせてください!染毬ちゃんは照望さんの過去の女なんですか!」


 …………染毬ちゃん。


 この瞬間、わたくしの頭の中でオッフェンバックの『天国と地獄』が流れましたわ。


 「まぁ、表現の使用によっては昔の女なのかもしれないですわ」


 「じゃあ、二人の間に何があったか教えてもらおうじゃあないの!」


 興味津々に清香さんが、わたくしに迫ります。


 「何故、取り調べの口調ですわ!」


 こうして、わたくしはお泊まり会と言う名のお話会を開始させましたわ。


 語るに当たって、この少女と照望の監視役に対しては、言葉選びに最善の注意を払う必要がありますわ。わたくしと照望との間の物語は、非常に非情で非合法な世界での出来事なのだから。







 わたくしの家に、週に何度も大人達が出入りするようになったのは七、八歳の頃だった。私は青空の下緑色りょくしょくしばの上で、愛玩動物であった縞栗鼠しまりすのスニガーと寝ころぶことが好きでした。


「さぁ、スニガー。永遠とわの踊りを踊りましょう!」


 そんなわたくしをただ眺めるだけの大人や、私に話しかけてくる大人、謎の機械を私の頭に取り付けて脳波を調べる大人。全ての大人が私にとっては画一的に見えていましたわ。


 日本人の病弱ながらに優しい母。少し背の高いイギリス人の父が訪れる大人達に対して、私を普通の女の子だと説明していたのを私は聞いていました。私は自分自身が人よりも、ほんの少しだけお勉強が得意なだけだと思っていました。しかし、小学校と中学校を飛び級してしまうのは大人達にとって、異例なことだったらしい。



 美しい日常というものは幻想であって、少しずつ消え失せて行くものなのだと幼いながらに私は知った。母を病魔が冒したのですわ。無能な医者が母に余命宣告をした━━残り半年と。父はわたくしの前では気丈に振る舞いながらも、母の入院する病室の前で辛そうに拳を握りしめ、唇を噛み締めている姿を私は視認しコトの大きさを知ったのですわ。


 父が一人病院に母のお見舞いで、家を留守にしたある日。一人の大人が玄関先で、私に小さく手を振って挨拶してきた。


 私は愛想程度に会釈。


 玄関の横から一言。私に向かって大声をあげたわ。


 「取引しないか。君のお母さんを僕たちと一緒に救おうとは思わないか」


 相手にしていなかった身体が、大人の方にびくりと身震いし、私はその大人に注意を向けた。


 「……ママを、助けられるの?」


 私の心は揺らいでいた。きっと声も震えていたと思います。


 「僕は君の秘めたる力を君以上に知っている。君ならば……お母さんを助けられる」


 そう断言した大人は、黒いスーツを着た男性でしたわ。身長は高く、私からだと更に高く見えた。太陽が男性の横で、光源としての役割を果たす。その光に男性が被ると、黒髪に銀髪が混じった鋭い目付きがコチラを向いていた。


 私は七歳の時点で藁をも掴む思いで、研究者である男性の口車に乗った。




 その四ヶ月後。わたくしは驚異的な速さで母の病気の新薬と、治療法を生み出した。勿論、基礎知識は寝る間も惜しんで毎日複数人の学者に学ばされた。新薬の認可は特殊なルートから申請されて認められ、真っ先に母に使用された。そして、私は母を救った。


 数週間後、NBI《非営利生物学研究所》に私は加わった。私に母を助ける為に課された代償だったのかもしれないですわ。

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