5話.NBI

 私と染毬はNBI━━ 現在いまとなっては、NBI跡や廃墟と言うのが正しいのかもしれない場所。その駐車場に到着した。所々、アスファルトがひび割れて、雑草が生い茂る。京都の趣ある『渡月橋』や『竹林の道』といった観光地を完全に無視して通り過ぎて、向かって行った先には観光客の姿は一切視認できない。


 「ねぇ、照望が元研究員と今でも交流があるだなんて、 存知ぞんちしていなかったですわ」


 私と染毬は此処ここに来る途中で、二ヶ所寄り道をしていた。両地点の共通点というのが、NBI━━非営利生物学研究所の研究員だった人物の、現在の居場所であるという点だ。

 




 「ごめんください。鶴ヶ峰つるがみね蘭子らんこさんは、いらっしゃるでしょうか?」


 私は京都の銘菓を売っている、とある老舗菓子店入り口の襖障子を開き挨拶をした。

 

 「……てっ……照望さんッ!」


 色とりどりの和菓子や、瓶に入った金平糖がガラスケースの中で煌めいている。レジの前に立っていたのは、鶴ヶ峰蘭子当人だった。店のロゴの刺繍が施された小豆色あずきいろ作務衣さむえを着こなし、白衣を着た彼女の私個人のイメージを搔き消すほどに似合っていた。


 「どうかなさったんですか?あらかじめいらっしゃるのでしたら、連絡をくださればよかったのに!」 


 「すまない。急ぎの用事だったんだ」


 私の背後から、ゆっくり染毬が出てきた瞬間に蘭子の表情が強張るのが分かった。


 「まるで死人でも見たような表情ですわね」


 「あっ…………いえ」


 蘭子にとって染毬は、上司のような存在であった。元人間の天才少女は、研究グループの中でも二番目の地位に君臨していたのだ。世間一般の、簡単な認識的な呼称で表すのならば副所長だ。他にも多くの上位的な立場だったらしいが、長ったらしい名前のものは知らない。


 「今、少しだけ時間いいかい?」


 私と染毬は、二階の飲食スペースの座敷に通された。



 「無限坂 玲衣を……。あなたは知っていますわね?」


 無表情で、染毬は不必要な質問をする。


 「……はい。勿論です。玲衣くんのお世話係でしたので」


 「彼を収容していた場所のカードキー……まだ持ってるかな?」


 口調こそ穏やかにしようと心がけている。しかし、今も玲衣が移動しているかもしれないと推測すると、時間との勝負である為に、のんびりもしてられない。


 ━━『無限坂 玲衣のお世話係』。


 お世話係というのは、その名の通り身の回りの世話で、認識としては間違いは無いのだろう。


 数少ないカードキーを保持できるのは、管理室にあるカードキーを自由に持ち運べ、『お世話係』という聞こえこそ可愛らしくとも、実際は一般人に最も近い人間が任命される役職であった。


 ただの研究者であったとしても、 NBIアソコで研究に勤しむ者の中には常人と言えるニンゲンは極少数だったと思われる。仕方がなく、苦渋の決断によって、常人代表として連れて来られたのが老舗菓子店の娘である彼女━━鶴ヶ峰 蘭子であった。染毬のような、上の立場の研究者の考えた結論。一瞬の探究心の暴走で抜け駆け、研究動物をダメにする事を防ぐ為の最善策。


 蘭子は、言ってしまえば本来研究員では無いのである。 ただし、奇人や探求者共の 巣窟そうくつに常人が居れば浮いてしまう。という事で、彼女は表面的にでも非正規雇用ではなく正式に研究員の一人として雇われたのだ。


 「……カードキーですか。今になって……突然。何かあったんですか?」


 「あなたには、関係ないのですわ」


 カードキーの引き渡しを彼女に求める限り、蚊帳の外には出来まいと私は染毬の発言を撤回しようとする。


 「無限坂 玲衣が保護されている施設から脱走したそうだ」


 一時いっときの沈黙の後に、蘭子が息を吸い込み━━ゆっくり吐いた。吸い込んだ空気の量にしては、遥かに少ない量の二酸化炭素。


 私は染毬が 関係ない・・・・と言った理由が、分かった気がしていた。蘭子を巻き込むような真似をすることを、染毬は根本から避けたかったのだろう。でないと、二度も一般市民に非日常的な日陰を重ね兼ねない。

 しかし、私は思う。彼女は、NBIで起きたコト。そこで生じた過去を無かったことには、したくは無いと言う気持ちがあると。


 「君なら、持っているんじゃないかと思って訪ねたんだ。律儀に、私のビルに毎月、美味しい金平糖を贈ってくれている━━君なら」


 蘭子の瞳の奥が一瞬揺らぐ。


 「……どうぞ!」


 真っ直ぐに突き出された手には、不恰好な形の布で作られた手作りの御守りが握られていた。


 「あっ……あなたは、あの狂った 実験エクスペリメンタル 動物アニマルを大切に思っているの?……どこにいるかすら教えられていない……今ですら」


 染毬の発する言葉には、混乱と疑念が含まれていた。表情こそ変わらずとも、声色が明らかに腑に落ちていない様子だ。 てのひらサイズのカードキーが大切に包まれた御守り━━染毬は目の前の常人と全知全能の 『繋がり』を受け取らない。


 天才科学者は自らの理解できない事柄に、呆然としているようだった。仕方がないので私は、染毬の代わりに蘭子からカードキーをゆっくり受け取る。蘭子の手から、カードキーの入った御守りが離れる。



 数分後、私と染毬は老舗菓子店の玄関から出ようとしていた。昨日までの大雨はすっかり止んでいた。


 「朝早くに訪ねてしまって、すまなかった」


 「いえいえ、また来てください。次は日和ちゃんも連れて……」


 「ああ。きっと日和も喜ぶ」


 「カードキー……、ありがとうですわ」


 黙っていた染毬が、突然口を開いた。蘭子は、 転瞬てんしゅん意外そうな表情を浮かべたが、私と顔を見合わせてから「染毬さんも、また来てください」と言ってニコリと笑った。



 「照望さん!私には、彼が只の子供に見えました……えっと……その、玲衣くんをよろしくお願いします」


 私にとって、その言葉は意外だった。私が詳しく知らない少年の狂者性は、染毬と蘭子で異なっていたからだ。返す言葉が見つからなかった。「ああ」と返答した気がする。



 再び、私は染毬を助手席に座らせて車を走らせた。

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