030.沈む太陽

 1月の張りつめた空気はあっという間に過ぎていき、今度は2月が一瞬で通過していった。その間にも、何度か遥には会いに行ったが会いに行くたびに寝ている時間が過ぎたりどんどん明るい雰囲気が失われていったり。点滴も少し苦しそうにしているのを見るのが嫌になって2月の中旬くらいからはもう会いに行かなくなってしまい、ひたすらに医療ポットの開発に没頭していくようになった。


 このころになるともう本当に時間がないしいつ容態が急変してもおかしくないと聞かされていたのでなおさら僕の中で焦りは大きくなっていった。ただ、このころになると臨床実験が始まったから特に僕がやることがあまりなかったから積極的に雑用を引き受けた。頼むから早く終わってくれ、そう思わずにはいられなかった。



   しかし、時は無慈悲だった。


  〇 〇 〇 


 3月に入って学年末考査も終わり本格的に自宅学習日が続く中、僕は相も変わらず出勤していろいろな部署の雑用を片っ端からこなしていた。唯一担当の株式会社オオイエへの営業以外さえ終わってしまえばもうやることがないから営業部の簡単な資料作りから人事部の資料整理、開発部から聞かされた商品に客観的な意見を言っていくとかの学生で専門的な知識がない中でできることならなんでもやった。


 そうじゃないと落ち着かないということもあったし、それをしていればまだ希望があると思えたんだ。少し新庄さんや父さんが僕に心配そうな目を向けていたがそれに反応することもあんまりなくなってしまった。


 でも、そんな日常は唐突にピリオドを打たれることになった。


 3月も2週目に入りあと数日すればまた登校日という日。僕は営業部で資料の整理をしていた。もちろんそんな踏み込んだものじゃなくて、五十音順に並べるとかそのくらいのものだ。

 ちょうどその資料整理を1つ終えて資料室へと運ぼうと入れ物にしているコンテナみたいな容器を持ち上げた時だった。人事部の入り口に突如として3人の人物が走りこんできた。1名はここの正門にいた警備員の人。そしてここの関係者なのかわからないが白衣を着た眼鏡の中年男性、そして新庄さん。


「この中に五十嵐翔くんはいらっしゃいますか!」

「はい、僕ですけど」

「ああ、いた! とりあえず急いで下に来ている車に乗ってくださいまし!」

「え、でも資料が……」

「そんなものあとで私が運んでおきますわ! まず今は急いでくださいまし!」


 いつものゆったりとした雰囲気の新庄さんではないことにかなりの違和感を覚えつつも、まずは言われた通りに会社の廊下を走る、走る、ひたすら走る。


 エレベーターホールまでくれば数人の社員が1つのエレベーターを意地でも止めようとボタンを連打したりドアが閉まろうとしているときに足を引っかけたりしてキープしていた。ここまでするとは只事じゃない……。


「こっちです、こっち!」

「ありがとうございます!」


 4人で走ってきた僕たちをみた社員さんたちが用意してくれたエレベーターに乗り込んで、一気に1Fまで降りる。その間に軽く挨拶されたのが、白い白衣を着た男性――新井さんと名乗った医師で、わざわざ稚内から来たといっている。


「この時が来たら、絶対に来ようとは思いましたが……ついに来てしまいましたか」

「はぁ……」


 どこか暗い雰囲気を出す新井さんはやりきれないといった感情を表に出しながらポツポツとつぶやく。それを聞いていればすぐに1Fのエレベーターホールに出てからさらにフロントまで走る。少し息切れを起こしながらもさらに行って、待機していた車に乗り込む。


「私たちも違う車ですぐに向かいますわ!」

「ええ、お願いします! 運転手さん、四葉中央病院まで!」

「わかりました」


 どうやら新庄さんは別の車で行くらしく、僕を後ろの席に押し込むとそのままドアを閉めて離れて行ってしまう。ここまで何も聞かされてない僕は車が発車してもただただ困惑してそわそわすることしかできなかった。ただ、とても悪いことが起きているのはわかりながらも……。


「あれは6年前のクリスマスの日でしたか……遥くんにアンドロメダシンの施術の話をしたのは……」

「新井さん?」

「当時、私はまだまだ未熟だった。5歳のころから小児がんで入院していました。彼女が8歳のころに担当が私に代わりましてね……やはり当時から病院内のアイドルのような存在でずっと明るくしていました……」


 そこから新井さんは少しずつ今までのことを語っていた。普通の学校には通えず院内学級でずっと学び、週に1回ある嫌なはずの検査も顔色一つ変えずに行い、栄養重視で自分が食べているジャンキーなものより数倍もまずい病院食を喜んで食べる。健気に生きているからこそ神様も治してくれると思い、必死にやれることを尽くした。手術も何回も、あまり成功率が高くないものも何度も潜り抜けた。


 でも、天使は何度も遥を天国に手招きした。それに応じるかのようにどんどんとにっくきがん細胞は遥の小さな体のあちこちに隠れていった。


 そして、とうとう11歳の時に、あと2年持つかどうかの瀬戸際まで追い詰められてしまった。その頃はまだ医療ポットなんて話があるくらいで実用化の目途はたっていなかった。ただ、アンドロメダシンはあったから多く見積もっても5年はなんとかこの世に居てもらうことはできた。


 ただ、それは実質的な5年の余命宣告と同じこと。まだ自分の2分の1も生きてない遥にこのことを伝えて提案するのはとても酷なことだったという。


「遥くんは早くに両親を交通事故で亡くされていてね……ただその親戚連中はそんな彼女を煙たがって一回も見舞いにこなかった。当然、私も伝える気はさらさらなかったけど」


 でも、最終的に新井さんは5年以内に遥の症状をすべて改善される治療法が出てくる可能性に駆けて、12歳のクリスマスの日にこのことを遥に提案した。


「その時、彼女はなんて言ったと思う? ”やった、これで外の世界を少しでもみられるよ!”だ。小学生の6年間を一切代わり映えのしない病院の中で過ごした彼女にとって病院の外はとてもあこがれる場所だったのさ」

「……そう、でしたか」

「もっというと、今まで食べなかったお菓子とか色々食べれるようになるっていうのも大きかったんじゃないかな」


 そう新井さんは苦笑するとまた表情を暗くして続きを語っていった。


 無事にアンドロメダシンの施術が終わってリハビリを終えた3月に遥は極寒の稚内の空港から広島の四葉町へ向けて羽ばたいていった。その時だけは仲の良かった、隣のベッドにいた子も連れて見送ったそうだ。珍しく晴れた日に青空へと飛び立った飛行機が天国への便じゃないことを何度も確認したらしい。


 そして、もしも遥が力尽きるようなことがあれば、自分は仕事をクビになってもいいからここに来ようと。その日は絶対に来なければよかったのに――


「じゃあ、遥は……」

「五十嵐くん、遥くんは通常一番長くても5年までしか効果のないアンドロメダシンを使って、”6年”生きた。はっきり言って1年も末期がんが身体を蹂躙している中で生きていたことは――はっきり言ってキセキ、なんだ」

「そんな……!」

「彼女はよく生きた。この1年は本当に意味がある。医学的にも、生物的にも、そして私たちの”希望”としても。太陽はいつまでも昇っているわけじゃない……苦しいとは思いますが、どうか最期は笑顔で送ってやってください」



「今度は、私たちが太陽にならなければいけないんです」

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