第37話 ジーゲスリードの政変

 現在より半年前、帝国暦627年10月初旬、ジェムジェーオン騒乱、のちにこのように呼ばれるジェムジェーオン伯爵国の内戦は、ジェムジェーオン伯爵領の南部国境に近い都市ニケロニアの小規模な暴動が発端となった。


 ジェムジェーオン南部は、良港を持つニケロニアを中心に交易が盛んで、経済的な要地となっていたが、政治的に不安定な地域でもあった。無窮光教徒の聖地ジョーダム地方と、帝国直轄地の学術都市連合ノリスを間に挟み近接しており、ニケロニアでは、無窮光教徒と住民との間で、いざこざが絶えなかった。

 無窮光教。帝国を覆っている頽廃と無力感によって、近年、帝国市民の間で爆発的に信徒の数を伸ばしている。人間は誰であっても、天上の光主様を信じることによって、光の導きによって、来世で願いが叶うと唱えていた。


 ジェムジェーオン伯爵国当主アスマ・ジェムジェーオン、金色の長髪と無精髭の姿は、決して君主に相応しいとはいえなかったが、端正な顔立ちのアスマは精悍でかつ気品を失わず、むしろその姿は箔を与えていた。爵位を継いだとき美青年だったアスマも現在49歳、伯爵を襲名してから21年が経過していた。

 ニケロニアで暴動が発生したとの報を受け、アスマは顔を顰め、小さく呟いた。


「また、無窮光教徒とのいざこざか」


 アスマは直ちに、ニケロニアに駐留する南部方面軍司令モルダー中将に、暴動鎮圧の命令を伝えた。ニケロニアの秩序回復に当たらせた。


 これまでの諍いと同様、暴動は短期間で鎮圧される見込みだった。

 ところが、今回の暴動は、簡単に沈静化できなかった。暴徒たちはジェムジェーオン南部方面軍との全面衝突を避けながら、神出鬼没の用兵を繰り返し、次から次へと場所を変え、ジェムジェーオン南部で暴動を拡大させていった。


 結果、南部戦線は1ヶ月もの間、膠着が続いた。


「いまだ、決着しないのか」


 業を煮やしたアスマは、討伐軍の総司令官にジェムジェーオン防衛軍の司令長官マクシス・フェアフィールド元帥を指名し、首都方面軍の投入を決めた。


「マクシス、ニケロニアの暴動を短期に決着させてくれ。卿に首都方面軍を預ける。この兵をもって、直ちに南部戦線に向かってほしい。もし、無窮光教徒が組織的に対抗している証拠を上げることができれば、ジョーダムへの侵攻も許す」

「ジョーダムへの侵攻もですか」

「そうだ。病は原因から断ち切られねば、いつまでも対処療法しなければならない。根源を断ち切るべきだ」

「承知しました」


 マクシス・フェアフィールドが立ち上がり、挙手の敬礼をアスマに向けた。

 作戦は速やかに遂行された。



 帝国暦627年11月15日、マクシス・フェアフィールド元帥率いるニケロニア暴動を鎮圧するための遠征軍は、首都ジーゲスリードを南に向けて出発した。


 遠征軍が南部に向かったその日の夜のことだった。

 ジェムジェーオンの誇りとも称されるジーゲスリードの伯爵家居城『グランドキルン』が、強襲された。『グランドキルン』は大きな炎に包まれた。

 ジーゲスリード市街には被害が及ばなかったが、炎と煙によって赤色に染まった『グランドキルン』が、ジーゲスリード市民を不安に陥れた。


 次の日、南部に向かったはずの遠征軍が、急転して首都ジーゲスリードに戻ってきた。

 軍は規律を保ち首都ジーゲスリードの治安を維持し続けた。5日後、隣国バルベルティーニ伯爵国の部隊がジーゲスリードに到着し、治安維持に加わった。

 首都ジーゲスリードは戒厳令が布かれ、不気味な静けさに支配された。

 この事態のなか、公式に、政府や軍から何が起きているのか、発表が一切なかった。


 市民たちは、次第に不満を口にするようになっていった。政府や軍の沈黙が、様々な憶測や噂を流布させ、新たな混乱になろうとした時、1週間の沈黙を破って、ジェムジェーオン防衛軍司令長官兼南部討伐軍総司令マクシス・フェアフィールド元帥が、民衆の前に姿を現わした。

 会見の場に現れたマクシス・フェアフィールドは憔悴しきっていた。

 居合わせた記者たちは、ようやく登場した元帥に次々と質問を浴びせた。

 マクシスは一切の質問を遮った。

 そして、矢継ぎ早に、次のことを発表した。


・国主アスマ・ジェムジェーオン伯爵は混乱のなか逝去したこと。


・アスマ・ジェムジェーオン伯爵の国葬を1週間後に執り行うこと。


・ジェムジェーオン伯爵世子ショウマ・ジェムジェーオンならびに伯爵後継第2位である双子の弟カズマ・ジェムジェーオンは、行方不明であること。


・国主アスマ・ジェムジェーオン伯爵の死亡に関連して、統合幕僚本部長ギャレス・ラングリッジ元帥を捕えたこと。


・国葬の喪主は、伯爵三男ユウマ・ジェムジェーオンが務め、同時に暫定政府の元首として推戴すること。


・ジェムジェーオン伯爵領全土に非常事態宣言を発令し、軍政を敷き、暫定政府は集団指導体制を敷くこと。


 あまりに衝撃的な内容に、会見を画面越しに観ていたジェムジェーオンの国民だけでなく、その場にいた記者たちでさえ、言葉を失った。

 マクシス・フェアフィールド元帥は、これらを発表し終えると、記者たちの質問を受け付けずに、後ろに退いた。会見の続きは、ドナルド・ザカリアスに引き継がれた。ザカリアスから、暫定政府の陣容が発表された。

 暫定政府首班にはマクシス・フェアフィールド元帥が就いた。これまでのジェムジェーオン防衛軍司令長官の職に加えて統合幕僚本部長の職も兼任することになった。政府次席にはドナルド・ザカリアス中将が大将に昇格したうえで就くことになった。ジェムジェーオン総参謀長と副司令長官の職も兼任のうえだった。


 これらをザカリアスが発表したのと同時に、マクシス・フェアフィールド元帥は会見の場を退席していった。

 すでに落ち着きを取り戻していた記者たちが、元帥の態度に不満の声をあげた。

 ドナルド・ザカリアス大将が代わりに記者たちの質問に答える形で場を収めた。


 会見終了後、ジェムジェーオンの隅々まで不審が広がっていった。

 噂は、マクシス・フェアフィールド元帥に向けられた。

 あらかじめ、伯爵の殺害を知っていたのではないか。あれほど早く、南部に向けて出撃した首都方面軍を帰還させることができるものなのか。さらに、長年に渡って、イル=バレー要塞を巡って争ってきたバルベルティーニ伯爵国が、この動きに呼応して援軍を送り出してきたのも解せない、と。

 ギャレス・ラングリッジ元帥を拘束したことや『勝唱の双玉』が行方不明なことも、この噂に拍車を掛けた。

 国内に強い影響力を持つラングリッジ元帥を排除したうえで、成人の『勝唱の双玉』ではなく14歳のユウマ・ジェムジェーオンを立てるのは、フェアフィールド元帥が国を制御するのをを容易くするためではないか、と。


 ジーゲスリードの政変、ジェムジェーオン伯爵国の誇りである宮殿『グランドキルン』が炎に包まれアスマ・ジェムジェーオン伯爵が死亡したあの日。それから4ヶ月が経過していた。

 事件の真相は究明されないまま、時は流れていた。


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