第15話 ジェムジェーオンの病巣1

 薄暗い部屋のなか、美しい彫刻が施された機能的な机と椅子が一脚ずつ、背後には、墨絵の掛け軸と一輪の花が活けてあった。驕奢ではなかったが、品の良さが感じられた。

 椅子には、色白で白髪白髭の老人が座っていた。

 机の上に置かれた文書にじっくり眼を落としていた。


 側に立っていた初老の男が、白髪白髭の老人を、気ぜわに呼びかけた。


「長、報せには何と」


 「長」と呼ばれる老人は、目を落としたまま、側近のせわしい呼びかけを、小さく手で制した。老人は、年齢を感じさせない均整のとれた身体をしていた。

 初老の男が無礼を詫びた。


「申し訳ございません。使者の者が、一刻も早くこの報告を長に伝え、対応をお聞きしたいと申しておりまして、つい……」


 老人は顔を上げた。


「私たちが仕掛けている鳥籠のなかに、鳥が舞い降りてくるであろうと」


 老人の声は、張りがあった。


「その鳥とは」


 初老の男の声は緊張感に満ちていた。


「鳳凰である可能性もある」

「なんと」


 初老の男が驚愕の声を上げた。

 老人は椅子から立ち上がった。そのまま、部屋の隅まで歩んだ。


 そこには、影に隠れるようにして片膝をつき、顔を伏せて待機している者がふたりいた。

 ひとりは身体の線の細い華奢な人物、もうひとりは肩幅の広い恵まれた身体の人物、共通しているのは、ふたりとも仮面を被っていることだった。

 老人は仮面の人物たちの目前に立ち止まり語りかけた。


「手伝ってくれますか」

「もちろんです」


 顔を伏せたままで答えたのは華奢な身体の人物だった。声のトーンは高かった。


「顔を上げ、立ってください」


 老人の言葉に従って、片膝をついたふたりが身を起こした。老人は仮面のふたりの手を、両手で取った。


「武力とはハードウェアとソフトウェアが揃って初めて機能します。私たちは、最新鋭のASアーマードスーツを保有していますが、パイロットは実戦の経験が乏しい者ばかりです。歴戦を経験した優秀な指揮官がいなければ、せっかくの装備も無用の長物です。あなた方の力をお借りしたいと考えています」

「私どもでよろしければ、ぜひ」


 華奢な仮面の人物が答えた。


「よろしくお願いいたします」


 老人は頭を下げた。

 恰幅の良い仮面の人物は上背もあり、老人を見下ろすようになった。一歩下がって、深く頭を下げ、野太く力強い声で言った。


「路頭に迷い行き場のない我々を、長が救ってくださいました。今回のことで、少しでもその恩を返させてください」

「恩義など感じなくともよいのです。私たちとあなた方は、この国においては根無し草、同類、いや、友人です。友を助けるのは、当たり前の行為です」

「必ずやご期待に応えさせていただきます」

「よろしくお願いします」


 恰幅の良い仮面の人物が、神妙な口調で訊いた。


「長に、ひとつだけ確認したいことがあります」

「何でしょうか」

「我々の行動に制約は必要ですか?」

「鳥籠の鳥が激しく暴れまわったとしたら、という意味ですか」


 老人の眼が、一瞬鋭利に輝いた。


「ご理解が早く助かります」

「現場はすべて、あなた方の判断にお任せします。私から述べることはひとつです。あなた方に危険が及ぶことがないようにしてください。そのために、無理に生かして捕える必要はありません」

「鳥籠に掛かる鳥が、鳳凰であってもですか」

「本物の鳳凰であるならば、賢い選択を行うはずです。虚勢を張って格好を重視するようであれば、その鳥は見た目が美しいだけの鳳凰で、中身は違うものなのでしょう。そんな偽者に、私は興味がありません」

「長の言葉を聞いて、心置きなく行動できます」


 その言葉は、冷淡で辛辣な響きが込められていた。




 クードリア地方、『ジェムジェーオンの病巣』という通名の方が有名となっている。

 アクアリス大陸前脚地方のなかで治安が良いとされるジェムジェーオン伯爵領において、例外といえる地域として、国際的に統治難地域として認知されていた。ハイネスが位置するジェムジェーオン北部地域から西部の要衝オステリアに向かうには、首都ジーゲスリードを経由するか、このクードリア地方を通過しなければならない。


 首都ジーゲスリードは暫定政府の勢力下にあった。

 ショウマ・ジェムジェーオンは、クードリア地方を通過してオステリアに向かうことを選択した。

 バトルシップ『ギュリル』は、四方を冠雪した高い山脈に囲まれた高原地を進んでいた。あちこちで剥き出しの山肌とまばらな草木、ゴツゴツとした赤茶けた岩床が果てまで続いている。


 ショウマは『ギュリル』の艦橋から、このクードリアの光景を見渡していた。


「ここが、クードリアか」

「そうです。ここが『赤の大地』です」


 横に並んでいたのはラリー・アリアス中尉だった。


「実際に、この眼で見るのは初めてだ」


 ショウマの目に、『赤の大地』と呼ばれるこの大地の情景が、寒々しい心象を伴って映し出されていた。

 クードリア地方は長い間、無政府状態に近い状態が続き、反体制・反社会勢力の根城となっていた。歴代のジェムジェーオン当主たちは、この状況を黙って看過していた訳ではなかった。

 幾度かの掃討戦が試みられ、そのたびに、多数の血が流れた。

 赤土の地に流された多くの兵士たちの血が、『赤の大地』とも呼ばれる所以だった。


「アリアス中尉も7年前はここに?」


 前回、第3次クードリア掃討戦は7年前のことだ。


「はい。従軍しておりました」


 アリアスが神妙な顔つきで答えた。

 歴代のクードリア掃討戦のなかでも、前回の第3次掃討戦は、最も凄惨なものだったと記録されている。


「大変な戦いだったな」

「はい。アスマ・ジェムジェーオン伯爵は並々ならぬ決意で、この掃討戦に臨んでいました。最終的には、直に指揮を執るほどの戦いとなりました」

「そうだったな。当時のことは憶えている」

「小官も念願のASアーマードスーツ部隊に配属されて、初めての大規模戦闘だったので、鮮明に当時のことを記憶しています」

「父アスマは私に対して『赤の大地の解放なくしてジェムジェーオンの未来はない』と常々言っていた」


 その時だった。


〈背後よりASアーマードスーツが出現〉


 オペレータの大声が艦橋に響いた。

 一瞬にして、バトルシップ『ギュリル』の艦橋に緊張が走った。


 ショウマは即座に応答した。


「敵か」

〈解りません。後方より迫ってきます〉

「数は」

〈7、8、……いや別方向から、この『ギュリル』を取り囲むように次々に展開してきます。数が増えていきます、……約30〉

「なんだと、30機ものASアーマードスーツが……」

〈距離5000に接近〉


 差し迫った脅威に対して、アリアスがショウマに出撃を求めてきた。


「こちらもASアーマードスーツで応戦しましょう」


 このバトルシップ『ギュリル』には、50機のASアーマードスーツを搭載していた。ショウマ・ジェムジェーオンを護衛するため、ラリー・アリアス中尉をはじめ、パイロットは精鋭を揃えていた。


「いや、ASアーマードスーツの出撃はまだだ。敵の全容がわからない。バトルシップを止めて応戦するのは、かえって危険だ」


 アリアスが納得するように頷いた。


「承知」

「バトルシップは全力で加速だ」


 敵はこの規模のASアーマードスーツを用意して、迎えていた。


 ――狙いは何だ。


 どんなにクードリアの治安が悪いといっても、こちらはバトルシップで進む武装した正規軍だ。一介の賊が、武装した1個中隊の軍隊を相手するのは、得られる成果を考えた時、経済合理性に見合うと思えない。


〈敵ASアーマードスーツがこちらに狙っています〉


 追手のASアーマードスーツから対艦バズーカ砲が発射された。

 アリアスが反応した。


「撃ち落とせ」


 バトルシップ『ギュリル』後方の機関砲が弾幕を作って、バズーカ砲を撃ち落とした。

 アリアスが舌打ちした。


「友好を築きに来たいう訳ではなさそうだな」


 ショウマは厳しい口調で前方の操縦士に尋ねた。


「逃げ切れるか」

「全速で逃げても難しいかもしれません。一瞬の速度では、バトルシップは、全開のASアーマードスーツに勝てません」

ASアーマードスーツでは、全開で迫れる時間は限られるだろう」

「その通りですが……」

「とにかく、いまは、バトルシップを全速にして、逃げてくれ」


 再度、アリアスがショウマに出撃を求めてきた。


ASアーマードスーツ部隊を出撃できるように用意します」


 ショウマは思考を巡らせた。アリアスに身体を向けて回答した。


「出撃は私から指示する。準備だけしてくれ」

「承知」


 アリアスが艦橋から出て、駆け足でASアーマードスーツ格納庫に向かった。


 バトルシップ『ギュリル』は全速で航行を続けた。

 外の風景が変わってきた。荒野一辺倒だった風景に緑が混じり始めている。水が近い証拠だった。左右の山肌も近づいている。進路の先の道は狭い谷となっていた。


 ショウマの背中を、嫌な感覚が這い上がった。


 ――なんだ。この感覚は。


 改めて、外の様子をモニター越しに凝視した。


 ――自分が敵の立場だったらどうする。


 ショウマは、唐突に、前方右の崖を指さした。


「艦砲を発射する。用意だ」

「な……」


 バトルシップ『ギュリル』のクルーたちが驚愕の目でショウマの顔を窺った。

 ショウマは構わず続けた。


「仰角30度、11時の方向」


 一瞬の間。

 ショウマの強い言葉を受けた砲撃長の声が『ギュリル』の艦橋に響く。


「仰角30度、11時方向、艦砲発射準備」


 バトルシップ『ギュリル』は走行しながら艦砲発射の準備を完了した。


「発射!!」


 ショウマの声が響いた次の瞬間、複数の光線とミサイルが、崖の側面に集中した。

 大きな地響きと破壊音。崖が崩れた。白煙のあとに、自然では発生しえない炎と黒い煙が上がった。


 ――やはり。


 伏兵が潜んでいた。敵の複数のASアーマードスーツが『ギュリル』の艦砲で崩れた崖の餌食となった。


 クルーたちが喝采した。

 ショウマは一喝した。


「前方だ」


 伏兵のASアーマードスーツすべてを仕留めきれなかった。前方から2機のASアーマードスーツが対艦バズーカを抱えて迫ってきた。

 ロックオンされる寸前、ショウマは指示した。


「いまだ!! 面舵にハンドルを切ってのち、正面に向かって、ありったけの艦砲を一斉斉射しろ」


 バトルシップ『ギュリル』は右へ傾斜しながら、艦砲を発射した。


 対艦ミサイルが2発迫ってくる。敵ASアーマードスーツの対バトルシップ用バズーカから放たれたものだ。

 一発目のミサイルはバトルシップ『ギュリル』左舷を抜けていった。だが、もう一発のミサイルは避けられなかった。左舷後方に被弾した。艦内に、もの凄い大きさの炸裂音と重い衝撃が響き渡った。

 ショウマは姿勢を崩した。片足を膝立ちにした姿勢で、前方のASアーマードスーツを確認した。


ASアーマードスーツは仕留めたか」


 2機のASアーマードスーツのうち、1機に命中していた。機能停止状態で止まっている。

 もう1機のASアーマードスーツは砲撃の雨をかいくぐって健在だった。

 クルーたちが悔しがるなか、ショウマひとりだけ違う反応を見せた。


「狙い通りだ」


 ショウマは握り拳を作った。

 その瞬間、残っていたASアーマードスーツの傍で崖がさらに崩れた。崩れた土石が、ASアーマードスーツを呑み込んでいく。艦砲を一斉斉射したのは、これが狙いだった。


 おお、クルーたちが歓声をあげた。

 ショウマはバトルシップ『ギュリル』の被害状況を確認した。


「被害状況の報告を」

〈負傷者2名、死者はなし。しかし、左舷エンジンなど機関が損傷しました。出力が落ちます。これまでと同じ速度での航行は無理です〉


 死者が出なかったのは幸いだった。だが、ショウマたちが乗艦するバトルシップ『ギュリル』の左舷エンジンが損傷していた。


 ――逃げ切るのは難しいかもしれない。


 ショウマは次の行動を決めないといけなかった。


「追手のASアーマードスーツは、どうなっている」

〈一定の距離を保ったまま、こちらを追尾しています〉


 ショウマは腕組みした。


 ――さて、相手はどう出てくるか。


 決断が迫っていた。

 バトルシップ『ギュリル』は左舷エンジンを損傷したまま、出力を落としながらも前に進んでいた。


〈報告します。敵ASアーマードスーツは相変わらず、一定の距離を保ったまま、散開しつつその数を増やしています〉


 ショウマはクルーに指示して、敵の全量を把握するため、艦橋のカメラを操作した。


 ――思った以上の兵力だ。


 ひと呼吸置いた後、全クルーに告げた。


「このバトルシップはエンジンを損傷した。これ以上進んだとしても、結局、囲まれる。逃げ切ることは出来ない。ここで止まる」


 『勝唱の双玉』ショウマ・ジェムジェーオンが搭乗するバトルシップ『ギュリル』は、『赤の大地』クードリアの大地のど真ん中で、機関を停止させることになった。




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