第19話 ちょっとした昔の話

 次の日から数日間は、本当に何も起こらなかった。


 朝早く起きたら身支度を整えて、朝食を片手に宿を出る。畑に着いたら軽く顔を出して、そこから一日中ぶらぶらと見回り。日が落ちたら宿に戻って夕食を摂り、寝る。その繰り返しだ。


 レジーナがウリ坊に何かやった日から、あのウリ坊や同じ角を持った奴は愚か、獣一匹山から下りてくる気配がない。畑を荒らしていたのは、あのウリ坊鬼だけだったんだろう。


 今日で五日目。予定通り獣除けの再蜘蛛終わるって言ってたから、明日からは観光だ。どこに行こうか、いろいろ目星はつけてあるが悩ましい……。

 

「クロードさん」

「え? あ、はいなんでしょう」


 剣の柄に片手を預けて歩き回っていると、不意に背後から声をかけられた。仕事の依頼主──アラヤだ。片手にバスケットを持ち、周囲をちらちら気にしながら横並びに歩き始める。


「差し入れをもってきたんだ。息子の分だけのはずが、作りすぎてしまったからね……レジーナさんは?」

「今は山の中に入ってます。すぐ戻るって言ってました」

「わかった。じゃあ、戻ってきたら彼女にも渡してやってくれ」


 バスケットを手渡される。甘い匂いを漂わせるその中身は、この畑で取れた芋を使ったスイートポテトだ。


 食べやすいサイズに整えられた山吹色のそれを、試しに一口。味は最高だった。何らかの果肉を混ぜてあり、芋のものではない甘味や蜜のような味もほんのり感じる。


 それらが絶妙なバランスで混ざって、今まで味わったことのない美味しさを提供してくれた。


「すごく美味しいです」

「それはよかった。息子もお気に入りでね、俺が唯一得意な料理なんだ」


 彼は得意げに笑いながら、俺の横についてくる。しばらく言葉を交わさずにいたが、そろそろレジーナが戻ってくるかと山に視線を向けたとき、独り言のようにしゃべり始めた。


「……実は、俺が小さいころ、一度鬼に出会ったことがあるんだ」

「え? 本当ですか」

「ああ、本当だ。俺は小さい頃かなりやんちゃでね、自分で言うのもなんだが危なっかしい奴だったよ」


 不意に立ち止まり、目を細めて山を見上げるアラヤ。俺はスイートポテトをかじりながら、話を聞いていた。


 ──まだ十歳になったばかりの頃。同年代の子たちの中でも喧嘩が強かった彼は、この山に入ったらしい。


 特に理由もなく、強いて挙げるなら興味本位で。どんな奴がいても倒してやると意気込んでいたらしい。


 最初は何の問題もなかった。邪魔をするのはせいぜいが生い茂った草木。彼がそれで止まるなどありえなかったと言う。


 だが、調子に乗って登り続け、二時間ほどたったところで……そいつに出会った。


「俺は山の上から強烈な視線を感じたんだ。身がすくんで、知らないうちに涙も流した。本当に怖かったよ。本能で“アレには敵わない。殺される”って思った。小さい女の子だった。額には二本角が生えてたよ」


 鬼の少女はゆっくり近寄ってきて、声をかけられたんだとか。何を言っていたかは覚えておらず、急に体が動くようになったと知るや否や全力で逃げたらしい。


 アラヤは途中から声を震わせ、ここまで話した後「もう二度と会いたくないね」と呟いた。


「……それで、よく助かりましたね」

「ああ、俺もびっくりだよ。どうして殺されなかったんだろう、って考えたが、何もわかりはしない。ただ生きてるっていうこと以外はまるで不明だよ」


 畑の方に視線を逸らして、彼は肩をすくめた。「俺は家に戻るよ」と残して去っていく。彼の背中が道の向こうに消えたとき、森の方からレジーナが出てきた。


『これで終わりじゃ。この畑が獣に荒らされることもなくなるじゃろう。……そのカゴはなんじゃ?』

「これ? アラヤさんに貰ったスイートポテトだよ。差し入れだって」

『どれ、一つ食べてみよう……うむ、美味いの』


 一口食べて目を輝かせ、二個三個と勢いよく食べ始める。まだ二個しか食べてないのに、と俺もあわてて食べた。めちゃくちゃ美味しい。売り物にしてくれないかな。もしかしてもうなってるんだろうか、聞いてみよう。


 バスケットいっぱいに入っていたスイートポテトは、あっという間になくなった。あとは日が傾くまで見張りを続けるだけ。暇になってきたところで、俺はアラヤから聞いた話をレジーナに伝えた。


『むう……あやつが人間を殺すなどあり得ないがのう』


 一連の話をし終えた後の反応は、何とも微妙なものだった。俺はおかしいとも思わなかったんだが……知り合いであるレジーナからしたら、どうもしっくりこないらしい。


 そういえば、獣人は相手の気配や強さを察知するのが得意な傾向にあるって聞いたことがあるな。もしかしたらそれで、鬼が怖くなって「殺される」なんて思ったのか。


『それしか考えられぬの。まったく、あの娘がかわいそうじゃ』

「仕方ないよ、俺だって何も知らないで鬼に会ったら殺されるって思うだろうし」


 理解はしたが納得できないという顔で、足元を見つめて歩く。『あんなに可愛い娘がそんな野蛮なことするわけなかろう』とかなりご立腹だ。そんなにかわいいなら早く会ってみたいな。


 後々会うことになる鬼の姿をあれこれ妄想しながら帰路につく。そして、これまで外から覗いていた店で何を買おうかと考えながら、俺たちは寝入った。


     🐉


 ──クロノたちが眠りについて、数時間後。ベルガーの町を見下ろせる山の中腹で、一人の少女が佇んでいた。


 まだ実際にも満たないように見える小柄な彼女は、その外見とは似合わないしかめっ面で町を見下ろす。ほとんどの光が消え、眠りについた町。そこにいる、かつての知り合いを思って。


「お姉さま、今までどこにいたのよ……」


 不満を隠す様子もなく、吐き捨てるように言う。皺が寄った眉の上には、鋭い角が二本生えていた。


 ふと表情が緩み、手をポンと叩く。そして今度は、獰猛な笑みを湛えた。


「会ったらどんないたずらしてやろうかしら。アタシのことほったらかして、ただじゃ済まさないわ」


 あれをやろう、これをやろうと口に出し、その場で円を描くように歩く。やがて満足したのか「あー」と情けない声を上げると、背中から地面に倒れこんだ。


「なんにせよ、生きていて嬉しいわね……そうだ、友達も呼んだら驚くかな、お姉さまの間抜け顔が見てみたいわ」


 少女は指で二度地面を叩いた。すると、ふわりと風が抜けて、彼女の傍に一枚の紙とペンを運んだ。


 そこに一言「四日後の昼間、アタシのところにきて」とだけ書き殴ると、その紙を適当に畳んで──真上に投げた。


 それは風にあおられ、山のふもとにある町へと飛んで行く。無事に狙ったところへ届いたのを目視した彼女は、「会うのが楽しみだわ」と上機嫌にスキップしながら、山の奥へと姿を消した。

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