二六.罪と愛
こいつはリタやフェルを傷つけた奴だ。俺たちの自由を奪おうとする敵だ。覚悟さえ決まれば自然と殺意は湧いてきた。そして俺の感情に呼応するかのように黒い揺らめきは形を変え、右腕にドリルのような鋭い突起を創り出す。これでやれ、ということなのか。まるで悪魔に唆されているようだ。
「風よ、我を守護せよ!」
優男の目の前に魔力が集まっていくのがわかる。攻撃を防ぎ、カウンターを狙うつもりだろう。だが構うことなくそのまま右腕を突き出す。黒い渦は風の防壁とぶつかり合いながらも、その魔力を確実に削り取っていく。もっとだ、もっと強く——
「戦列、血痕、鉛と泥、墓標の下で肉を喰らえ」
その時、突如として飛来した巨大な杭が優男の体を貫いた。血を吐き崩れ落ちた優男はすでに絶命したようだった。杭は正確にその心臓を貫いている。杭が飛んできた方向に目を向ければ、そこにはナイトレインが立っていた。その姿を見た瞬間、全身の緊張の糸が切れてしまった。黒い揺らめきは霧消し、後には痛みだけが残っている。
「どうやら間に合ったようだな」
「ナイトレイン……! フェル、フェルが……!」
「わかっている。すぐに治療する。お前さんは吸血鬼のお嬢さんを頼む」
フェルの様子が気になるが、ここはナイトレインに任せるしかない。痛む体に鞭打ってリタのところまで歩いて行く。
「クロ……終わったのかい……?」
「ああ、もう大丈夫だ……。全部リタのおかげだ。……ありがとう」
「ならお礼に日陰へ連れて行ってくれないかい……? もう溶けてしまいそうだよ……」
「わかった」
リタの体を抱きかかえて木陰まで運んでいく。そういえば少し前にもこんなことがあったな。あの時は恩返しのつもりだったが、今回もまた大きな借りを作ってしまった。この調子ではとても返済の目途は立ちそうにない。
「リタ、怪我は大丈夫か?」
「ああ、このくらいなら明日には治っているだろう」
「血、いるか?」
「……じゃあ、ちょっとだけ」
俺が左腕を差し出すと少し遠慮がちにリタはそこに噛みついた。わずかな痛みとともにリタの舌が肌を舐める。その感触についリタとキスした時のことを思い出してしまう。そういう意図がなかったとはいえ、さすがに色々と意識せずにはいられない。
「なあ、ちなみにその……あれってどういう仕組みなんだ?」
「あれ?」
「だからその……キスしたら急に俺が強くなったやつ」
「あ、ああ、あれか。あれはその、吸血鬼の血の力だよ。あの時は手段を選んでいる余裕がなかったから……その、不快に感じたのならすまない……」
「あ、いや、全然不快とか、そんなことはないし、むしろリタの方こそ嫌じゃなかったかなって……」
「え? ……あー……まあ……私も、別に嫌というわけでは……」
「ならよかった……あ、いや、よかったっていうのも変か……」
「……」
「……」
「なにいちゃついてんだよ」
「フェ、フェル!?」
「い、いちゃ……!?」
いつの間にかフェルがすぐそこに立っていた。今の会話、全部聞かれてたんだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。
「もう大丈夫なのか? あんな傷を負ったのに……」
「私が治した。心配はいらん」
フェルの後ろからナイトレインがゆっくりと歩いてくる。この短時間であの傷を完全に治療したということなのか。あの攻撃にしても相当な魔法の使い手であることは間違いない。そんな人間がなぜこんな田舎で葬儀屋をやっているのか、謎は深まるばかりだ。
「先に家に戻っていろ。私はこの男を葬ってから帰る」
「でもそいつは——」
「言いたいことはわかる。だがもう死んだのだ。許してやれとは言わんから、せめて静かに眠らせてやれ」
「……行こう、二人とも。家でラヴが待ってる。あまり一人にしない方がいいだろう」
リタがそう言っている以上、食い下がるわけにもいかない。俺たちはナイトレインを残して、村へ帰ることにした。
ナイトレインが戻ってきたのは夕方になってからだった。それまでは特に会話らしい会話もなく各々体を休めていたが、ナイトレインを見るなりフェルが急に口を開いた。
「ここを出て行く。……これ以上迷惑をかけるわけにはいかない」
そこまで予想外の言葉、というわけでもなかった。一歩間違えば村にも大きな被害が及んでいたかもしれない。それに今回の件をきっかけにまた別の追手がやってくる可能性もないとは言い切れない。ようやく手にした生活拠点を失うのは辛いが、ここに居座り続けるのは危険だ。リタやラヴも反論はしなかった。
「どこか行く当てがあるのか?」
「……ない。でももうここにはいられない」
「まったく、本当にお前は無計画だな。世の中には力だけではどうにもならんこともある。そんな調子ではすぐに立ち行かなくなるぞ」
「それでも、あたしは——」
「それにお前さんのこともある。あの黒い瘴気のようなもの、明らかに普通ではない。このまま放っておくのはあまりにも危険だ」
「それは……確かにそうかもしれませんけど……」
結局あれが何だったのかは誰にもわからないままだ。調べようにもどこから手を付けていいか皆目見当がつかない。今のところ特に害はなさそうだったが、それでよしとするにはいささか不安が残る。
「……私の知り合いにレスカトールという魔法の研究者がいる。珍しいものには目がないから、おそらくお前さんたちのことも受け入れてくれるだろう。あいつなら何かわかることがあるかもしれん」
「ナイトレイン……!」
「その人は今どこに?」
「ここからずっと西に行ったところにあるプラダクスという街だ。歩いて行くには遠すぎるし、鉄道を使うなら一度王都に行く必要がある」
「王都には行けない。……こうなったら歩いて行くしかない」
「まあ待て。そうやって結論を急ぎ過ぎるのもお前の悪いところだ。私に考えがある。今日はもう休め」
考えというのはなんだろうか。気になるところではあるが、あんな戦闘があった後だ。ナイトレインの言う通りおとなしく休むことにした。
暗闇の中でぼんやりと考える。結局優男にとどめを刺したのはナイトレインだ。そのおかげで俺は辛うじて人殺しにならずにすんでいる。もし俺の手で優男を殺めていたとしたら、俺の中で何かが変わっただろうか。睡魔によって意識を奪われるまでその答えは出なかった。
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