二四.獣の血

「……ん!?」


「どうした、フェル」


「……何か木が倒されるような音が聞こえた。それも一本や二本じゃない」


「どういうことだ?」


「もしかしたら大型の魔物でも暴れているのかもしれない。様子を見に行こう」


「ええ!? 大丈夫なのか、それ……」


「ま、クロは後ろで見てりゃ十分さ」


 そう言ってフェルは歩き出す。どうにも不安はぬぐえないがついていくしかない。大型の魔物というのは具体的にどんなのだろう。今のところ知っているのはドラゴンだけだが、こんな普通に人が出入りするような森の中にいるものなのだろうか。


「なあ、フェル——」


「悪い、ちょっと静かにしてくれ」


 そう言われてしまうと黙るしかない。フェルは帽子を取り周囲の音に意識を集中させているようだ。俺も耳を澄ませてみるが、特に不審な音は何も聞こえない。その時フェルの表情が一変した。


「この声、まさか……!?」


「どうしたんだ?」


「クロ、走るぞ!」


「ええ!?」


 フェルは突如として疾風のように走り出す。足場の悪い斜面も邪魔な木々もフェルにとっては何の障害にもならないようだ。あっという間に距離を離され姿を見失ってしまった。しかしフェルのあの様子、どうやらただ事でないのは確かだ。俺が力になれるかどうかはわからないが、とにかく急ごう。




 一瞬だが確かにリタの詠唱が聞こえた。そして気味の悪い男の叫び声も。すごく嫌な予感がする。そう距離は遠くないはずだ。フェルはさらに速度を上げ、森の中を疾走する。近づくほどに声は鮮明になっていく。男の方はどこかで聞いたような声だがはっきりとは思い出せない。少なくとも村の人間ではないはずだ。あと、もう少しでリタのところに——


「——その邪魔な手足から切り落としてやる……!」


「させるかァッ!」


「なに!?」


 視界にとらえたのは王宮の庭でリタと戦ったあの男だ。なぜここにいるのかはわからないが、今はそんなことどうでもいい。勢いに任せて男に飛び蹴りをかます。


「風よ、我を守護せよ!」


 男に触れる直前で空気の壁のようなものに体を押し返される。とっさに反対の足で男の脇腹にもう一度蹴りを入れた。手ごたえ、あり。着地と同時に体勢を整え、リタのもとへ駆け寄る。酷く痛めつけられたようだがまだ意識はあるみたいだ。


「リタ! 大丈夫か!?」


「……フェル、か。助かった、よ……」


「何があった? なんであいつがここにいる?」


「追って来てたんだ……。私に復讐、するつもりらしい……」


 せめて日の当たらないところに運んでやりたいが、あたりの木々は切り倒されどこにも日陰がない。その時、後ろから強烈な殺意を感じた。


「風よ、驕り、昂ぶり——」


「遅い!」


 男との距離はせいぜい10ライド程度、詠唱する隙など与えない。男の首筋めがけて一直線に突きを放つ。手ごたえはあった。だが柔らかい肉の感触ではない。ギリギリのところで杖で突きを防がれてしまった。一度腕を引き、踏み込みながら渾身の手刀を叩き込む。右手は杖をへし折り、さらに男の腹部へとめり込み体を吹き飛ばす。相手は脆弱な人間、どんなに魔法に優れていようとこの間合いなら確実に勝てる。


「覚悟しろ、人間……!」


「はぁ、はぁ、クソがァッ!!!」


 血を吐きながら男が懐から何かを取り出す。それはガラスの小瓶のようなものだ。中には赤い液体が入っている。何をするつもりか知らないが、余計な隙は与えない。地面を蹴り、一気に加速する。だが次の瞬間、男が取った行動に目を疑った。男は小瓶を口に入れ、それを嚙み砕いたのだ。男の表情が不気味に歪む。苦しんでいるんじゃない、こいつ笑ってやがる……!


「ははははァ! どうした、怖気づいたか獣人!?」


「……黙れッ!」


 再び加速し、体重を乗せた正拳を叩き込む。人間がまともに食らえば容易く骨が砕けてしまうはずだ。だが男は手のひらでその拳を。そして状況を理解する前に右足の蹴りが飛んでくる。


「ぐぁ!?」


 左腕で防いだはずだが、そのまま後方へ吹き飛ばされる。凄まじい衝撃だ。明らかに人間の限界を超えている。そんなことを可能にする方法は一つしか知らない。


「さっきの……リタの血だな? 他人の力でいきがってんなよ、イカレ野郎」


「なんとでも言え、薄汚い雌犬が。まずはお前から殺してやる……!」


 吸血鬼は人間の血を吸うことで凄まじい力を発揮することができる。それは二つの血が混ざりあうことで、一種の化学反応のような現象を起こしているからだとリタから聞いた。つまり人間が吸血鬼の血を得ることでも、同じ現象を引き起こすことができるのだ。そのため吸血鬼は人間に狙われ、今や絶滅寸前まで追い込まれてしまっている。


 しかしあれだけ少量の血でこれほど強くなるとは思わなかった。とはいえあくまで人間、さすがに血統術は使えないらしい。それでも今の状態で魔法を使われるのは厄介だ。


「風よ——」


「くそッ」


 とにかく詠唱をさせるわけにはいかない。左腕で男の首を引き裂こうとするが、難なく受け止められてしまう。男のカウンターをかがんで回避しつつ、足払いをかけるも手ごたえはない。顔面に飛んできた蹴りを横っ飛びしてかわし、また距離を取る。


 見切れないわけではないが、おそらくパワーは向こうの方が上だ。殴り合いで勝てる保証はない。かといって距離を取り過ぎれば魔法を放たれる。そうなれば火おこしの魔法くらいしか使えないあたしでは太刀打ちできない。このまま近接戦闘を続け、リタの血の影響が切れるまで粘るしかない。


「死ねェ、獣人!」


「上等だ、ストーカー野郎!」

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